第1話

文字数 3,093文字

 夏の夜空は少しぼんやりして、星が霞んでいる。ただ、辺りに光源の無い、空気の澄んだ場所なら、天の川がうっすらと見える。
 「星ってこんなにあったんだね…」
 真尋が目の前に広がる海と、星が煌めく夜空を見ながら僕に言った。
 「本当は山の方が綺麗に見えるんだけどね。真尋は海が好きだろ?だから今回はここにしたんだ」
 「ありがとうね、翔太」
 二人並んで砂浜に座りながら、真尋は僕の肩に頭を預けた。
 「せっかくの夏休みだからね。最近仕事が忙しくてあんまり会えなかったし」
 僕は駆け出しの写真家をしていた。仕事柄時間が不規則だし、収入も不安定だ。趣味を仕事にしてしまった僕は、一般企業に就職した真尋との時間があまり取れなくなっていた。最近、それが原因ですれ違いが続き、僕たちの間が少しギクシャクしている。
 そこで、僕は思い切って1週間仕事を休みにして、真尋と海に出かけたのだ。
 「今日晴れてよかった。真尋に見せたかったから今回休んだんだ」
 「え?何を見せたいの?」
 「まあ、空を見ていなよ」
 僕は目の前の空を指さした。真尋は不思議な顔で僕と夜空を見比べている。
 暫くすると、夜空にシュッと一筋の光が流れた。
 「あ!流れ星!お願い言うの忘れた!」
 「大丈夫だよ。ほら」
 暗い空にまた一筋の光が走り、間を置かずにまた流れる。
 「凄い凄い!」
 「今日は『ペルセウス座流星群』の極大日なんだ。夏を代表する流星だよ」
 「流星群の極大日?」
 「そう、年に何回かいろんな星座方向からの流星群があって、凄く星が流れる日があるんだ。これを真尋に見せたくて。冬は『ふたご座流星群』とか綺麗だぞ。まだ撮っていない流星群もあるし。全部撮りたいよ」
 「さすが写真家だね。こういう風景も撮るんだね…」
 星が一つ、また一つと流れ、僕と真尋はただ黙って、空を見続けていた。

 あれから約3カ月、僕の傍に真尋がいる時間は少なくなった。僕の仕事があの後さらに忙しくなり、会える時間がほとんど無くなっていたからだ。
 僕からの連絡も真尋からの連絡も次第に少なくなり、気が付けば僕がたまに連絡するだけで、真尋からくることは無くなっていた。
 ある日、仕事が珍しく早く終わり、同じ写真家の友人に飲みに行こうと誘われた。僕は家で寝たかったのだが、強引な誘いを断り切れず、夜の街へ繰り出した。
 久しぶりのネオン、少しだけ心が浮きかけた時、見てしまった。真尋が他の男性と歩いているところを。
 僕は声も掛けられず、ただ立ち尽くしていた。真尋は歩きながら楽しそうに話をしている、しかし、僕にはそれを責める資格はなかった。
 友人と居酒屋に入り、写真の話を肴に酒を飲む。しかし、僕は友人の話が頭に入らず、遠い世界から聞こえてくるように思えた。
 先ほどの光景が目に焼き付いたまま、継がれた苦い酒を浴びるように飲み、真尋の面影を消そうとしていた。

 相変わらず、真尋からは連絡が無く、僕がメールをすれば何となく返事がある、それの繰り返しだった。
 もっとも、僕のメールの内容自体も、他愛もない事ばかりなので返事のしようがなかったかもしれない。
 僕たちは付き合っているのかいないのか、何となく心が中途半端なまま、久々に真尋をディナーに誘った。真尋は、断りはしなかったが、何となく気乗りし無さそうな感じではあった。
 真尋と向かい合い、少し奮発したフランス料理を食べる。笑いながら話すものの、何となく擦違う感じだ。
 「翔太、結構忙しんでしょ?大丈夫?ちょっとやつれた感じだよ」
 「まあ、ボチボチかな。大きな仕事が一段落ついて気が抜けたというか…」
 実際、僕の単独の写真集が発売される事になり、ある程度の時間と、収入の余裕は出来ていた。
 「ところで、真尋…」
 「なに?」
 ワインを飲んだせいか少し顔を赤らめた真尋が僕の眼を見る。僕はこの間の男性が誰なのか聞いてみたかった。しかし、真尋の口からそれを聞くことが怖かった。
 「…、いや、何でも…。最近、忙しいか?」
 「う、うん。事務とはいえ、最近残業も多いかな…」
 僕から少し目を背け、真尋はこたえた。
 「そっか…。いや、俺、最近時間が出来始めたからさ…」
 「私はまだ忙しいかな…。また、時間できたら、そのうちに旅行に行こうね」
 少し硬い顔で真尋が笑った。
 僕は胸の中で、もう、終わりなのかな、そう思った。
 それから僕は、真尋に連絡をしなくなった。そして、寂しさを紛らわすために、周りにいる女性に見境なく声を掛けた。
 食事をしたり、一夜を共にしたり…。でも、僕の心は荒んだままだった。いや、更に荒んだかもしれない。
 
 冬の海は風が冷たい。僕は夏に真尋と来た、あの海に来ていた。砂浜の奥に行き、風よけ出来そうな場所を見つけ、簡易テントを張り、テント前に大きめの石で竈を作る。
 竈に薪をくべると、やがてパチパチと薪のはじける音がし始めた。
 海に映った月の姿が波で揺れ、竈の隙間から漏れる焚火の灯りに照らされた水面は、夏の海よりキラキラとしている。
 僕は防寒着にくるまり、空を見上げた。
 今日は『ふたご座流星群』の極大日だ。4カ月前に真尋と見た流星を思い出す。あの時は、まだ暖かかった。身体も、心も。
 あのディナーの時、僕が聞けなかった事、他に好きな人がいるのか…、口に出していたら彼女は何と答えたのだろうか。
 僕は夜空に流れる星たちを見ながら、別れの言葉を考えていた。このまま時間を過ごしても、真尋のためにならない。まして、収入も時間も安定しない男など…。
 僕は砂浜に寝転がり空を仰ぎ見た。冷えた砂浜から、防寒着越しでも冷気が伝わってくる。
 星の流れの合間に、真尋の幻が浮かぶ。
 このまま顔を見ない方が、自然消滅の方がお互いに楽なのではないか。
 いろんな思いが流星の雨の中でよぎり、自分の考えがまとまらない。
 僕は目を瞑った。波の音が静かに聞こえ、瞼の裏には月光が染みる。
 ふと、サクサクと砂浜を歩く音が聞こえた。焚火の灯りに誰かが誘われたのだろうか。
 僕は起き上がり、足音の方向を向いた。月光に照らされ、時折流星を見上げるその顔は、真尋だった。
 「山で見ているかと思ったけど、多分ここかなって…。この海…」
 真尋は僕の横に座った。そして流星を眺める。
 「冬にも流星群あるって、前言ってたから、多分どこかで見ているかなって」
 僕は流星を見ながら何も言わなかった、言えなかった。
 「私ね、プロポーズされたの。お見合い相手に」
 「そう…、真尋はどうなの?」
 僕の問いには答えず、真尋は続けた。
 「翔太が忙しいのも分かっているし、将来が不安なのも分かってる。それを承知で付き合っていたし。でも、日に日に連絡が少なくなっていくことが凄く怖かった」
 「真尋、それは…」
 弁解しようとする僕を真尋は止めた。
 「まだ、私の話終わってない。翔太から連絡が少なくなって、私は貴方にもっと振り向いて欲しくて、わざと連絡をしなかった。そうしたら、心配してもっと連絡くれると思ったから」
 「それじゃあ…」
 「見合いの話は親の友人が持ってきたものだから断りにくくて。実際、会ったらその人は優しいし、仕事は安定してるの。でも…」
 「でも?」
 「どんなにいい人でも…、その人がいても、私の心はダメなの…翔太じゃないと…」
 僕は真尋を抱きしめた。強く、もう離さないように…。
 「俺だって…、実際、何回も考えた。俺がいない方がいいのかなとか、もう終わりにしようって…。でも、やっぱり、真尋じゃないとダメなんだ…」
 星が降る冬の夜に、僕と真尋は、多分、初めて一つになった。
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