第1話

文字数 1,769文字

春の名前を持った彼女は、ありきたりな遺書を遺して死んでいった。死因は窒息死。ロープによる首吊り自殺。理由は多分、彼女の持っていた病気で、余命が少なくなったせい。
私、渡部凪はハルのバイト先の喫茶店で働く、彼女から見れば先輩だった。
年が近めということもあり私はハルの教育係なるものについていて、ハルは私によく懐いていた。バイト仲間からももちろん、常連のお客さんからも仲良いね、と言われることがよくあった。自分達でも、仲良しですからー!!と元気よく返事をしていた。
プライベートでは、友達が少ないのか学生らしく恋愛相談とかもよくしてきた。もしかしたらそれは彼女なりの意思表示だったのかもしれない。

そんな私は今、彼女の骨を持っている。普通ならば、家族に渡されるはずの、彼女の遺骨。
なぜ私の手に渡っているのか。その理由は案外簡単。家族が存在しなかったからだ。意味がわからないだろう。私だってそうだ。
家族が存在しなかったというのは、つまりみんな死んでいたということだ。父親も、手紙に書いてあった母親もか、お姉ちゃんも。
それ以外に書いてあった名前、つまり彼女が「凪さん」と読んでいた私しか存在を確認できず、私に遺骨が渡された。

ここだけの話、実は私はハルが好きだった。しかし、思いを伝えたことはなかった。LGBTが注目されてきたとはいえ、まだまだ差別対象で、周りからもよく思われない。第一ハルが私のことを好きだという確率はあまりにも低いし、思いを伝えて今の関係が崩れるなどあってはならなかった。
いつも「凪さん」って呼んでくる声だったり、ふわふわした色素の薄い髪だったり。とにかく好きだったのだ。

でも、こんなことになるくらいなら言っておけば良かった。自殺されるぐらいなら、あなたが好きですと。
ーたとえ彼女が、幻のような、嘘の化身だったとしても。

そう、私は彼女を好きだったが、何も知らなかったのだ。彼女について。
髪の色は地毛なのか。学生なのか。そもそも、戸部ハルという人間なのかさえも。好きな相手をこれほどにも知らないとは、笑える話だ。

結論から言えば、彼女はとてつもない、大嘘吐きだったのだ。
例えば、名前。戸部ハルという人間は、日本の戸籍上どこにも存在していなかった。
一般人の私にはどうやって偽装したのか想像もつかないが、警察も死亡してから始めてわかったらしい。私は彼女の名前すら知らなかったということだ。なんて悲しいのだろう。私は彼女の名前が好きだったのに。

栗色の髪も合成繊維で、地毛は黒色。焦茶色の目はカラコンで作られていて、本当は真っ茶色。彼女を構成していたものは、ほぼすべてが製られたものだった。私はほんとうの彼女の容姿など見たことがない。
それに、年齢。彼女は学生で21歳と聞いていたが、18歳だった。いったい何を思ってこんなに嘘をついていたのか。18の少女は。
聞く相手が死んでいる限り、もう永久に、誰もわからない。

ただ私の好きだったハルという名前だけは、本物であってほしいとひどく願う。


しかし、遺書からは何も特定できない。分かることは、
「この人間は、渡部凪が好きだった」ということだけ。
笑える話だ。彼女のことは何もわからない。けど好きな人はわかる。おかしいなぁ。

ねぇハル、いや、あなたをハルと呼んでいいのかもわからないけど。どうしてこんなものを遺して死んでいったの?わからないよ。
私はあなたの想い人だったんでしょ。なら真実を明かして、本当のあなたを見せてくれればよかったのに。たとえあなたが嘘つきでも、私は愛せるのに。どうして、どうして。あなたが好きだったのよ、わたし。





そんなことを今日も考える。考えては泣き、考えては泣き、日々を繰り返す。二年間、ずっとそうでいる。
あぁだめだ。人に惹かれると、あなたを思い出してそれどころではなくなってしまう。
私はきっともう立ち直れない。好きだった人の嘘に気づけないような私には、誰かを愛する資格なんてないのだろう。
ーーでも、いいよ。愛そうとは思えない。私が愛せるのは、彼女が遺した私への愛の言葉だけ。



ずっとあなたを考えながら、私は今を生きています。


ーー彼女が遺していったのは、大量の嘘と少しの事実、そして愛。
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