-himno- 第8話「まれなひと」

文字数 2,650文字

四季がいくつか廻った頃、銀翅はまたも十六夜の山を訪ねました。

銀翅があの日、十六夜より授かった風車は、尚もその役目を果たしておりました。
それも――何故か、真新しい形を残した儘に。

その御守は、どうやら持ち主の力を借りて、ある程度は修復するようでした。――知った銀翅は、流石に驚いたことでしょう。
意外にも早くに、再びこの地を訪れたのは、その辺りの詳しいことも十六夜に尋ねようと考えてのことだったのかもしれません。


銀翅が山に入ったのは、日が暮れる頃のことでした。
目指しゆく処といえば、やはりまた、あの洞穴なのでした。

銀翅は、山道の途中で何気なく麓を見下ろします。――以前と比べて、殊更変わった様子は見られませんでした。
ならば良し、と銀翅は安堵しました。

――私が突然居なくなって、村人達はさぞ驚いたことだろう。
何処か愉快な気持ちで、銀翅は洞穴を目指しました。

洞の入り口に着くと、入れぬよう注連縄(しめなわ)が掛けてありました。
――…ほう。以前はこんなもの、なかったというのに。
銀翅は笑います。あのやり方は、どうやら功を奏したようでした。

ちらりと中を見れば、小さな鳥居の前に供物がありました。どうやら村人達は、この洞を祭壇としたようでした。
こうなれば、這入(はい)るわけにはゆきません。銀翅は、ひとまず祭壇へ挨拶をし――さりとて、他にゆく場所もなく、どうしたものかと思案します。

そのまま、何気なく川へと足を向けました。
そして、程よい大きさの岩を見つけると、そこに腰掛けました。

辺りは既に、昏くなっています。
――星の輝きから察するに、雨には降られないだろう。
銀翅はそう思案しながら、くろく流れる川面を見つめ、ふと其処に――蒼い炎が映ったのを目にしました。

不思議に思って顔を向けると、洞の方向から人影が近付いてきます。
蒼白く照らし出された表情は、どこか険しいようでした。

「…久しぶりやな。」
「十六夜か。」

「――それ以外に、誰が居るっちゅうねん。」
「…。まあ、良いじゃないか。…私の居らぬ間、何事もなかったかい?」

「ああ。…あんたこそ、どうもあらへんかったか?」
「何度か危うい目にも遭ったが、君のくれた御守りのお陰でどうにか無事だったよ。」

「…そうみたいやな。」
互いの姿がはっきりと判る程に近付き、そこでようやく、十六夜は僅かに表情を緩めます。

「…まさかとは思うが、ずっと気に掛けてくれていたのかい?」
思い掛けぬ様子に銀翅は驚き――けれども自らの発言を失言だと認め、どこか苦く笑いました。

「……………。」――十六夜はそれに応えませんでした。
しかし、尚も銀翅に近付き、その身に縋るように、首元に腕を回しました。

「…、山出てすぐに、あんなんに襲われてたしや。」
「ああ…、…。」

あれが――もはや日常茶飯事である銀翅にとって、十六夜の心労は如何ばかりだろうと察するのは些か難しいことでした。
一度目のそれを既に気に病んでいたのなら、気の休まることなどあったのでしょうか。

「…折角、印も消えたというのに。」――十六夜の首筋を見、銀翅は呆れたように笑います。
「ほんまや。…全然、気ぃ休まらんかったわ。」――怒ったような十六夜の声色にさえ、銀翅は笑うのでした。

「――気持ちは有難いけれども、私のような者に懸想をするのはお止し。…早死にすると言ったろう。」
「そんなん言われたかて無理やわ、今更。」

「…やれやれ。――困ったものだ。」
銀翅は、その身に過ぎた願いに困惑します。――(うぬ)にも、(なれ)にも。

そうは思いつつ、銀翅は十六夜の頭を優しく撫でました。
それで、漸く安心したのでしょう。十六夜は銀翅から離れると、安堵の表情を浮かべました。

「――それで。私はどうすれば良いのかな?」
「…………。」
十六夜は銀翅の言葉に頷くと、静かに空き地を指しました。

「それは有難い。少しの間だが、また世話になろう。」
厚意を受け入れて尚、銀翅はやわらかく微笑みます。
「…。………、ああ。」
それを見た十六夜は刹那、何か言いたそうにしましたが、一応は頷きました。

「…。一応言っておくが、妙な気を起こすとまたあの呪をかけるからね。」
観念したように目を閉じ、それでも笑いながら銀翅は言います。

「なっ、…それ、まだ続いとったんか」
「――、そうとも。」
慌てた十六夜の様子に、銀翅はさも可笑しそうにくすりと笑うのでした。

「…。何や、うちばっかり痛い目に遭うとる気ぃするわ…」
はぁ、と息を吐き、目線を地に落とした十六夜の耳に届いたのは、少し意外な言葉でした。

「――さて、それはどうかな。」

「…?」
「何でもないよ。」
僅かに拭い去れぬ違和感に目を瞬いた十六夜でしたが、銀翅の言葉通り、さして大事なことのように思わずとも良い気がしました。

銀翅は、何時もと変わらぬ笑みを浮かべています。けれどその目はちらりと、麓に向いていたのでした。
十六夜も同じように目を向けますが、何を見ていたのだろう、と首を傾げることしかできませんでした。

***

――ゆら、と朱が揺れた。

何処から見ていたのか知る由もないが、此れはどう傾くだろうか?
思わず笑みを零すが、十六夜は変わらず首を傾げるばかりだった。

「――ああ、そうだ。十六夜」
「ん?」

「土産がある。…まぁ、大したものではないけれど」
「!? 何、何? 美味いもんか?」

「残念ながら食べる物ではない。…何日かかるか分からなかったからね」
「それもそうか。…で、何なん?」
そう言いながら、またも造られた屋敷の戸をがらりと開ける。――以前暮らしたそれと、何も変わらぬ視界が広がった。

「そう急かさずに。逃げやしないから安心しなさい」
急かされるままに荷を解き、小さな箱を取り出した。

「――櫛だよ。」
山に在るものだから、海は見たことがないだろうと思い、貝があしらわれたものを選んだ。

「…! へぇ…!」
「少し都に立ち寄ったのでね。土産が無いのもどうかと思ったから、序でに。――気に入らぬかもと考えて使えるものを選んだけれど、気に入ってくれたかな?」

「綺麗やなぁ…! おおきに」
「どういたしまして。」

都。貝、高価なもの。
――…さて。彼らはどう出るかな?
何処かへ目をやりながら、その目を細め、ひとり、嗤った。
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登場人物紹介

十六夜

山に棲む狐。

銀翅

陰陽師の男。

銀翅に仕える少年。

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