第9話 幸せの価値

文字数 8,779文字

 「東京よみうり版」にはいまどきの情報誌よろしく、ホームページがある。毎月載せてる情報に漏れたものや、新規に企画された落語会の情報などを載せているのだ。
 以前は専門の業者に頼んでいたが、今は社員が担当している。いまや、これぐらいは皆自前でやってしまうみたいだ。
 そのホームページのリンクの欄に「編集子kのらくごブログ」なるブログが張られている。この「編集子k」とは何を隠そう俺のことだ。俺が会社の公式的な(ほぼ公式なのだが)ブログを担当することになったのはかなり前のことになる。
 会社のホームページを製作するに当たり、編集長や会社の常務が
「公式ホームページは情報のみだから、何かもっと血の通った情報も欲しいな」
 そう言っていたところに、よせば良いのに佐伯が
「神山はパソコンに詳しいみたいですよ」
 そう余計なことを言ったのだ。全く、勘違いも甚だしい。俺は確かに自作でPCを組んではいたが、ネット関係にはごく当たり前のことしか知らなかった。HTML言語なんて知らなかったし、「ホームページビルダー」なんてソフトが何万もするなんて思わなかったのだ。それを佐伯の奴が変に勘違いしてしまったと言う訳だ。
 そんな訳で俺は最初は別のホームページを立ち上げてリンクさせることを考えていたのだが、その頃から世間ではブログという日記形式の簡易ホームページが浸透して来ていた。俺は「これだ!」と思った。無料の業者も多くあるし、月数百円の有料プランなら広告も非表示させることが出来るし、何より自分の会社の情報や、「東京よみうり版」から出されたCDや書籍の広告が貼れるのだ。これは良い、それに何よりあの高い「ホームページビルダー」を買わなくても済む。俺は会社がホームページを置いているサバーの関係の会社が運営するブログに自分の名前に関したブログを開設したのだ。当然ホームページにリンクを貼って貰った。新規のブログなんて誰も訪問者なぞいない。リンクを貼っておけば誰か騙されて来る者がいると思ったのだ。

 本来の仕事の合間に作業をするので、遅々として進まなかったが、それでもとりあえずは開設出来た。記事の内容だが、雑多にやって行こうと考えた。落語会の模様(感想ではない)、他の取材で判った噺家の日常なども載せようと思った。メインにするつもりだったのが、古典落語の解説だ。意外と噺の背景を知らずに聴いている人が多いと知ったので、これをメインにしたいと思った。
 そこで、最初に取り上げた噺が古典落語の基本「子ほめ」だ。これは前座噺などとも言われている基本の噺だ。まず登場人物の会話が常に一対一であること、場面が順々に進み、その場に応じた会話が展開されることなどから最初に話すには相応しいと言われている。同様の噺に「道灌」がある。
 そうやって噺の解説を書き出したら、早くもコメントを貰った。ハンドルネームが「横丁の隠居」と言う方だった。内容は他愛無いものだったが、初めてのコメントはやはり嬉しかった。ご丁寧に空白でも構わないメール欄にウェブメールだがアドレスが書き込んであった。コメント欄にこちらも返事を書いた。これが返コメの最初だった。
 それからも、色々なことを載せて行った。中には紹介した落語会での出演の噺家が酷かっただの、色々な感想まで貰えるようになった。基本的には、変なコメントでなければ返コメはきちんとする。まあ、多い日でも五~六コメントだったので、苦にはならなかった。それに本業が忙しい時はその旨を書いておいて、返コメが遅くなると断っていた。
 「横丁の隠居」さんはコンスタントに色々なメッセージを伝えてくれて、俺としてもやりがいが出て来た。
 何時の間にか七年が過ぎて、順調に行っていた。そんな時に薫と出会った。紆余曲折の末に結ばれたのだが、彼女は俺が家でPCを開いてブログの更新や返コメをしていても全く怒らない。むしろ俺と一緒になってブログを読んでいる。
「あ~判る! 判る!」と興奮したりしているのだ。俺が家に仕事を持ち込んでも怒らないのか? と尋ねると
「だって、怒る必要なんかないじゃない。一緒に考えれば楽しいよ」
 そう言って俺の首に腕を絡めて来たのだった。
 
 その日は編集部でブログの更新をやっていた。この日の記事は「居残り佐平次」についてだった。この噺は、居残りを商売にした佐平次の面白い行動を描いた噺だ。
 あらすじは……
 右を向いても左を向いても貧乏人が集まったとある長屋。その輪にいた佐平次という男が「品川にある遊郭に繰り出そう」と言い出した。
 金もないのにどうやって?と思いながらも一同、品川へ。一泊して後、佐平次は
「実は結核に罹って医者から転地療養を勧められていた。だからここに残る」
 と言い出し、ほかの仲間を帰した。その後若い衆に
「勘定はさっきの仲間が持ってくる」
 と言い居続け。翌日も「勘定勘定って、実にかんじょう(感情)に悪いよ」とごまかし、その翌日も居続け、しびれを切らした若い衆に、「金?持ってないよ」と宣言。
 店の帳場は騒然。 佐平次少しも応えず、みずから店の布団部屋に篭城することになる。
 やがて夜が来て店は忙しくなり、店は居残りどころではなくなった。佐平次頃合を見計らい、
客の座敷に上がりこみ、
「どうも、醤油をもってきました」
 と客に取り込み、あげくに小遣いまでせしめる始末。花魁がやってきて、
「あらいやだ。居残りなのよ」
 と言う始末。それを聞いた客は
「居残りがなんで接待してんの?……ってやけに甘いな、このしたじ」
「そりゃあ、蕎麦のつゆですから」
「おいおい……」
 などと自分から客をあしらい始め、謡、幇間踊りなど客の接待を始める。また、それが玄人はだしであり、しかも若い衆より上手かったから客から「居残りはまだか」と指名がくる始末。
 これでは彼らの立場がない。
「勘定はいらない。あいつに出て行ってもらおう」と相談する。
 佐平次は店の店主に呼び出され、
「勘定はもういいから帰れ」
 といわれ追い出された。しかもその折に店主から着る物から金、果ては煙草までせびる始末。 心配でついてきた若い衆に、
「てめえんとこの店主はいい奴だがばかだ。覚えておけ、俺の名は遊郭の居残りを職業にしている佐平次ってんだ」
 と捨て台詞を残して行く。 若い衆は驚いて急いで店主に報告する。訳を知り、激怒する店主。
「ひどいやつだ。あたしの事をおこわにかけやがったな」 それに若い衆が応えて、
「旦那の頭がごま塩ですから……」

 とさげる噺だが、このサゲの部分が色々と言われているのだ。「おこわにかける」この言葉がそもそも意味が判らないと言う。何でも明治の末期にはもう判らない言葉になっていたそうだ。それ以来このサゲは問題になっている。
 語源は「おおこわい」から来ていて、人を陥れる意味だったそうだ。それを赤飯のおこわと掛けたものなのだが、かなり古くから色々な噺家がそれこそ噺家の数だけ別のサゲに変えているが、正直満足なのに出会ったことがない。
 既に亡くなったが、ある大御所は佐平次の母親まで出させて噺をぶち壊した。困るのは、取り巻きにそれを注意する人間がいないことだ。だから、あいつは駄目になったんだ。と俺は思ってるが、ブログにはそこまでは書けない。 
 大体サゲをコロコロ変えるぐらいなら、登場人物をしっかりと描き分け出来るようにしろ。とその大御所の一門の弟子に言いたい。まあ、寄席で会わないからいいけど。
 ブログにはそんなことをオブラートに包んだ感じで載せたのだ。これに「横丁の隠居」さんが飛びついた。
『全く、その通り、大体あの一門は人気がある者が多いから基本が出来ていない若手もいる』と書いてくれたのだ。
 俺も、「我が意を得たり」と調子に乗って色々と書いてしまった。後悔はしていないが、ちょっと書き過ぎかなと反省して、柔らかい描写に改めたのだ。
 そんなことがあってから、「横丁の隠居さん」とは良くやり取りをするようになった。
「古典落語の言葉は、昔の言葉の宝庫なんです。だから簡単に無くさないで欲しいですね」
 そんなことを書いてくれて、俺を喜ばせてくれた。

 それから暫く経った頃だった。佐伯が編集部のPCのモニターを眺めていて、
「この「横丁の隠居さん」だけど、相変わらず鋭いコメントしてくれているけど、コメントする反応速度がやや遅くなったな」
 そんなことを言ったが、それはそうだろう。「横丁の隠居」さんだって色々と忙しいだろう。記事を読むタイミングだって遅れる時もあると思う。その時はそう思っていた。
 そうしたら、鍵付きのコメントを貰った。俺が書いているブログの会社には鍵付きのコメントをやり取り出来る機能が実装されている。何か他の人には言いたく無い読まれたくない時に使える便利な機能があるのだ。
 その鍵付きのコメントで「横丁の隠居」さんが
「この度、検査入院をすることになりました。暫くの間コメントが出来ません。妻か娘に言ってプリントアウトして貰って読もうかと思っています。コメントがなくても読ませて戴きます」
 そう書いてあった。「検査入院」というのが正直引っかかった。単なる予感だが、もしかしたら、本格的な入院になるのではと思った。長年のコメントのやり取りで「横丁の隠居」さんの考え方が判っていたからだ。
 そんな時にあるメールを貰った。それは最初編集部宛てだったのだが、宛名が「編集子k様」となっていたからだ。俺はあくまでもネットでは「編集子k」と名乗っていた。「よみうり版」の奥付を見れば俺の名も書いてあるが、ネットでは、あくまでもそれで通したのだ。
 そのメールには……

 初めてこうしたメールをさせていただきます。「横丁の隠居」と名乗ってる者の家内です。
 突然のメールにさぞ驚かれたでしょう。実は、夫のことでお知らせしたいことがありまして、ご無礼とは思いましたが、メールさせて戴きました。
 先日、夫が「検査入院」をするとコメントしたそうですが、実は進行性の末期がんで、余命いくばくもないと先日医師から宣告されました。若い頃から随分無理をして来ましたので、寿命に関しては満足しております。
 お気づきかとは存じますが、主人は数年前より隠居生活を送っておりました。忙しく世界中を飛び回っていたそれまでとは違い、日がな一日ぼうっとして過ごしておりました。
 ごくたまに夫婦で近所へ出掛ける以外には外出もせず、主人はひょっとしてこのまま老いてしまうのではないかと案じておりました。
 何か夢中になれる趣味を持てばいいのにと、水を向けますと、若い頃に多少聞き及んだ落語に再び興味を持ったようでした。
 相変わらず外出は控えている様子でしたが、DVDやパソコンで落語を聴いては楽しんでおりました。時々は、拙い噺に当たって怒ることもありましたが、再び喜怒哀楽を取り戻した主人を見て嬉しく思いました。
 そんな折、主人がパソコンの画面を見ている時間が多くなってまいりました。聞けば「編集子k」さんのブログを読んでいるとのこと。
「面白いの?」
 と尋ねると夫は
「落語の関係者は自分の仕事に障るから、現役の噺家に関してはキツイことは言わないものだが、このブログ主は違う! 本気で落語の将来を憂いている、損得抜きで落語を愛しているんだよ。それが俺には判る。だから毎日コメントしてるんだ。それにちゃんと本音で返してくれるんだ。それが嬉しくてな、俺もこの人に負けないように、勉強するんだ」
 そう言って、それから図書館や色々な場所に出かけるようになりました。
 嬉しかったです。主人がまたあの頃のようにやる気になってくれたことが本当に妻として嬉しかったのです。
「本当のことは言えないけど、ちゃんと挨拶はしないとな」
 そう言って先日のコメントをしたのです。ここの所コメントが遅れてがちだったのは、病院でパソコンに触れることが出来ない主人に変わって私がやり取りをしていた為です。申し訳ありませんでした。
 実は、今の主人には望みがあります。それは「居残り佐平次」という噺を昔のままで聴きたい。生では聴けないからせめてお勧めのCDやDVDを教えて戴きたくメールをさし上げた次第です。どうか、宜しくお願い致します

  編集子k様
                               横丁の隠居の妻

 最後まで読んで、そんなに悪いとは思わなかった。検査入院ではないだろうとは思っていたが、まさか余命いくばくもないとは思わなかった。
 メールを読んで頭を抱えていた。お勧めのCDって言っても、六代目圓生とか志ん朝とかしか急には思いつかない。時間がない……そう残された時間がないのだ。そればかりが頭を巡る。
 色々と考えていたら、編集部のドアが開いて、見知った顔が覗いた。麗々亭柳生だった。
「こんにちは。今日はお願いがあってやってきました。あれ、神山さんどうしました?」
 柳生は、怪訝な顔で俺を見ていた。そんなに酷い顔だったのか……
「売れっ子がどうした?」
 柳生は、復活落語会から大忙しで、売れている。TVこそ余り出ないが、落語会やラジオの落語番組には良く出演していた。
「今日は、今度やる独演会の情報を来月号に載せて貰おうとやってきたんです。これなんですお願いします」
 柳生は今度開かれる独演会の情報が載った紙を俺に渡した。
「独演会は何をやるんだい」
「三席やるんですが、『ぞろぞろ』で始まって『竃幽霊』で仲入りで、トリが『居残り佐平次』です」
「『居残り』だって?」
 俺の言い方がよほど何か迫っていたのか
「『居残り』がどうかしたのですか?」
「師匠のはサゲはどうなってる?」
「サゲですか? 昔ながらの『おこわ』でやってますよ。嫌なんですよコロコロ変わるのは」
 俺はこれは天の助けだと思った。落語の神様は俺を愛してくれたのだと思った。
「師匠、独演会の前に『居残り』だけで良いんだけど、ある場所でやってくれないかな?」
 俺の頼みに柳生は戸惑いながらも
「恩人の神山さんの頼みなら喜んで引受けますけど、どこでやるんですか?」
「実は病院だ。それも余命いくばくもない患者の前で」
「はあ?」

 時間に余裕はなかった。もたもたしている間はない。俺は「横丁の隠居の奥さんにメールをして、入院先の病院を訊きだした。そして院長や関係者の許可をとった。ミニ落語会の開催を……
「実はね。弟子を取ったのですよ。師匠が言うには弟子を取らないと成長しないと言われたものですから、以前から入門したがってた者で、私の大学の落語研究会の後輩なんですが、入門させたのです。寄席にはまだ出られませんので、その病院で十分でも喋らせいたいんです。どうですか?」
 そうか、弟子を取ったのか、柳生の素晴らしい高座を是非継承して欲しいと思った。
 病院と交渉すると、なんせ病人なので長いのは無理なので全部で一時間なら良いということだった。そこで、弟子が十分話して、残りを「居残り佐平次」に割くことに決まった。
「高座はどうする?」
 そう考えを巡らせる俺に柳生は
「うちの一門に簡易高座セットがあるんですよ。どこでも仕事が出来るように師匠が作ってくれたんです。毛氈、座布団に板と台、それにめくりです。ね、ちゃんと高座になるでしょう」
 なるほど、それだけあれば高座は作れる。残りは会場の下見と「横丁の隠居」さんにご挨拶だ。何としても生きているうちに柳生の「居残り」を聴いて欲しいと思った。

 早速時間を拵えて病院に向かう。柳生は来られないので、新しく弟子になった柳星くんを連れて行く、何だか高校野球みたいな名だと思った。
 病院に着いて、受付事務の人に言うと話は通っていたみたいで、すぐに院長が出て来てくれた。診察時間でなくて幸いだった。
「院長の村上です。笑いは体の抵抗力を増強させ、自己治癒力が増進するので良いのですが、なんせ長いと患者さんの体力に響きますからねえ」
 そう言って苦笑いをしていた。早速会場を見せて貰うと、普段患者さんがコミュニティスペースとして使ってる場所にパイプ椅子を置いて使うのだそうだ。柳星くんが簡易高座のスペースをメジャーで図ると
「四十個椅子が並びますね」
 そう計算してくれた。さすが学士さんだ。
 それを確認した後、「横丁の隠居」さんのお見舞いと挨拶に向かう。長い廊下を歩いてエレベーターに乗り末期がんの患者のいる病棟に着いた。会場までが遠いと感じた。こちら側ではやれないのだろうかと思った。だが、入院室を見て回っていて、この病棟にはそんな余裕がないと感じた。目の前で命のやり取りが行われているのだ。そんな場所では落語は話せない。
 その他にも色々なことを確認した。そして「横丁の隠居」さんの部屋に着いた。「隠居」さんは明るい窓ぎわにベッドの背もたれを立てて起き上がっていた。歳は七十は軽く越してるだろう。俺は静かに近寄り
「編集子kです。横丁の隠居さんですね。初めまして」
 そう挨拶をすると隠居さんは
「横丁の隠居です。まさかこうやってお逢い出来るとは思いませんでした。それにこの病院で落語会も開いてくれるとか」
「何としても、きちんとした「居残り」を聴いて戴きたいのです。当日は彼の師匠麗々亭柳生師匠が渾身の「居残り」を演じます。楽しみにしていてください」
 俺の言葉に隠居さんはにっこり笑って
「柳生さんですか……前からフアンだったのですよ。本当に望外の喜びです」
 その言葉が俺の胸に残った。

 その当日、俺と柳生と柳星はバンに「簡易高座」セットを載せて病院へと向って行った。何もかも自分達でやらねばならない。儲けなんかないし、持ち出しになる。だが、そんなことではなかった。隠居さんに本物を聴いてから旅立って欲しかった。そして向こうに行って、まだ本物の噺家が存在することをかっての大師匠達に伝えて欲しかった。
 到着し、三人で高座を拵える。作業は簡単だ。倉庫からパイプ椅子を運んで来て並べる。これが意外とキツかった。尤も片付けの時は病院の事務員さんも手伝ってくれるそうだ。
 意外と見事な“寄席”が出来上がった。そして時間が近づくにつれ、人が集まり始めた。その中に車椅子に乗った「横丁の隠居」さんもいた。その側には奥さんらしい人が寄り添っていた。俺は静かに目礼した。奥さんも返してくれた。
 前座の柳星くんの後に柳生本来の出囃子「小鍛治」が鳴り出す。これは柳星くんがラジカセでCDを流しているのだ。
 やがて柳生は座布団の上に座ると
「え~遊びのお噂をひとつ……その昔、品川という所はとても栄えていたそうでして……」
品川が舞台の噺の導入部が始まった。こんな入り方をするのは「品川心中」「居残り佐平次」など品川が舞台の噺だ。それ以外では聴くことはない。
「どうだい、散々飲んで食って遊んで〆て一円というのだが乗るかい?」
「乗る乗る! でも一円っていまどきそんなんじや禄なものも買えねえ」
 佐平次が仲間に一円を出させる場面だ。この噺には嘘か誠か佐平次が自分は肺の病であると告白するシーンがある。この病院でそれがそう出るかが不安だったが……
「実はな。医者に見て貰ったら胸が悪いと言われてな。海の傍で、何か旨いものでも食ってのんびり暮らせば治ると言われてな、俺はここに居残ることにしたんだ」
「よしなよ! 金だったら拵えて来るから悪いことは言わないからさ」
 佐平次の言動に驚く仲間だが佐平次の心は変わらない。やがて、居残るつもりがバレて
「それじゃ行灯部屋に下がりましょう」
「今どき行灯部屋なんかある訳ないだろう!」
 そう言って下がる。患者は食いついて聴いている。時に「隠居」さんの集中力は凄い! 真剣に聴いているのだ。
 やがて最後のサゲになる
「俺はな居残りを家業にしている佐平次と言うもんだ。須崎や吉原では顔が割れているかが、品川では初めてだからやったんだ、お前も俺の顔を覚えておけよ」
「旦那、大変です、あいつは佐平次と言って居残りを商売にしている者でした」
「まあ、どこまであたしを、おこわにかけるのだろうね」
「あなたの頭が胡麻塩ですから」
 昔ながらのサゲが決まった。何時の間にか大勢の人々が見ていて、廊下に溢れている。その誰もが拍手をしている。
「ありがとうございました! ありがとうございました!」
 柳生が頭を下げて挨拶をしている。「隠居」さんを見るとどうやら薄っすらと涙を滲ませているみたいだ。俺の目から見ても今日の柳生は良かった。気合も入っていたし、何よりこの噺を代々伝えて行くんだと言う気が感じられたのだ。
「師匠、凄い!」
 柳星くんがポツリと言った言葉に今日の出来が現れていると思う。

 あれから、ひと月後「横丁の隠居」さんの奥さんから再びメールが来た、それによると、先日「隠居」さんは天に召されたそうだ、がんなので最後まで意識がハッキリしていたそうだが、最後の言葉が「いい居残りだった……」と言ったそうだ。あの日の噺のことだろう。娘さんやお婿さんは「いい人生だった……」と聞いたらしいが、奥さんは、「いい居残りだった」と聞いたのだ。そしてその顔は満足気だったとそうだ。
 俺は、それを読んでこのメールを柳生に見せてやろうと思った。
 麗々亭柳生の名はあの世でも噂になるかな……
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