彼とマチコ
文字数 4,994文字
ふんわりふわふわ、風に乗って空中を漂うケイコです。風はそれぞれの流れに沿って思うがままに吹いて参ります。ときに上がったり下がったりを繰り返しながら、どこまでも途切れることなく続いていくのです。
そんな心地の良い旅をしているケイコは、半ば夢現つの世界を行ったり来たり。そんな調子ですから、目が覚めた時にはとんでもない場所で慌てることもありました。ええ、そういえば、あんなことも。鳥のクチバシに咥えられたまま、ペッと吐き出され、危うく海で遭難しかけたことも。その時はカモメに乗って戻ってこられましたが、今日は幸運を使い果たした不運だけの日。このままケイコを放っては置かないでしょう。
風と風が交わる交差点。そこではグルグルと風が回り、そこを通ると、どちらに向かうかは風と運次第。うつらうつらのケイコはそこに向かって真っしぐらです。
そんな時、いきなり別の風が乱入してきました。ええ、よくあることですが、それにマチコが乗っていました。そうしてそうして、ガツーンとケイコと衝突! 咄嗟にケイコの足首を掴んだマチコです。
ケイコとマチコは連れ立って宙を舞い、クルクル状態。あれー、という間に、また別の風に乗り込めたケイコとマチコです。
「ホンギャァァァァァ」
「なーんだ、ケイコか」
夢から覚めたケイコが目の前のマチコに悲鳴を上げます。きっと何か良い夢を見ていたのでしょう。そんな夢からお別れしてきたばかりなので、まだ現実と夢の違いが分からないまま、マチコとのご対面にご不満のようです。
「なんで、あんたがここに居るのよー」とケイコ、
「あんたこそ、どこに行くつもりなのよぉ」のマチコです。
「別にー。ただ、風に乗ってただけよ」
「顔に書いてあるよ。どこ? どこに行くの? 教えて」
「本当? 書いてあるの?」
腕組みをして悩むケイコです。『顔に』と言われて気になるケイコですが、それを確かめることは出来ません。もしかしたらお腹にも書いてあるのかも、とお腹を覗きますが、そこには何も書かれていません。しかし、全てを知られてしまったと思うケイコは素直に打ち明けたのでした、ペラペラ。
「う〜ん、私が行くわ」とマチコが名乗りを上げました。
「どこに?」
「あん? 都会によ。第一、あんたには無理だからよ。行ったことないでしょう、と・か・い」
「あるもん! お話聞いたこと、あるもん」
「やっぱりね。ほら、都会ってさ、怖いところなんだよ。あんたみたいな田舎娘が行ったら食べられちゃう、かもよぉ」
「本当?」
お姉さん風を吹かせるマチコの言うことに何度も騙されてきたケイコです。ですが今回は、ではなく今回も信じ込んでしまいます。
マチコは、楽しいこと、愉快なことへの嗅覚がとても鋭く、そのためならどんな努力も惜しまない野心家でもあるのです。ですからケイコの役割を奪ってまで都会、その彼に会ってみたいと欲望のままに行動します。そして更に念を押すのでした。
「本当はさぁ、私も怖いんだけどぉ、そんな場所にあなたを行かせるわけにはいかないじゃん。代わりに行ってあげるよ」
「行ってくれるの?」
「大丈夫だって。本当は私ってさぁ、都会育ちなんだよねぇ。そう見えるでしょう? ケイコ」
「うん、見えるよ。やっぱりマチコは普通と違うと思ってだけど、普通じゃなかったんでね」
「ちょっとねぇ」
こうして都会の彼に、彼女の伝言を伝えに行くことになったマチコです。その前に行き先を確認するため、マチコはケイコと頭をゴツンとしました。これでケイコの知っていることがマチコに移るのです。
「じゃあねぇ」と早速、都会に向けて風にノリノリのマチコです。
「気をつけてねー、お土産もねー」
マチコの背中を見送りながら、なんだか寂しくなってきたケイコです。何時も一緒にいるわけではありませんが、遠く離れ離れになるのは今回が初めて。側に居ない不安がそう思わせるのでしょう。心の中で、早く帰ってきてね、と呟くケイコです。
◇
都会の風は複雑です。山のように聳える高いビル、交通渋滞の激しい道路。それらは風の流れを予想も出来ない方向へと導くのです。道行く人が空を見上げたつもりでも、次から次へと現れる人の波に押されて見失ってしまうでしょう。
そんな荒海のような都会の空を、マチコは上手に渡っていきます。本流から支流へ、そのまた支流から分岐、交差を繰り返しながら綺麗に流れていく様は、まさしく留まる風 です。
マチコは目的の場所である、少々古臭い建物の3階を目指します。その部屋の窓は運良く開いており、中に入ることが出来ました。時は既に日が暮れ、暗かったのだですが、部屋の住人がいたおかげで部屋には明かりが灯っていました。
窓から吹き込む風に、何時もとは違う感覚を覚えた彼は、何かの侵入を察しました。しかしそれが何か分からないものですから、その不思議な感じは直ぐに消えてしまいます。そうして窓から視線を元に戻すと、
「ねえ、あなた」という声が聞こえてきました。それに一瞬、どこから聞こえるのだろうと気にはしたものの、直ぐに気のせいだと思い直し、『それ』を探すのをやめてしまいます。すると、
「ちょっとぉ、せっかく来たんだから挨拶ぐらい出来ないの?」という声に驚いた彼は辺りを見回し、その視線は窓に向けられました。
「やっと気がついたのね、おバカさんよね、あなた」
マチコは彼の視線が自分に向けられていると思いましたが、彼はまだマチコの存在は見えてはおらず、気になる方向に目を向けているだけでした。そうしてじっくりと窓の隅々まで目を動かしながら、そこでやっと窓枠に腰掛けるマチコを発見しました。そして驚きの声を上げるのです。
「ワォ! 妖精じゃないか。とうとう僕にも見えるようになったのか。これはすごい。だけど、えっと、話せるのかな? どう、僕の言っていること分かるかな。いや、それよりも僕のところに来た? のかな。違ったらば残念だな」
「あーうんもー、何時まで一人で喋ってるつもりなのよ、帰るわよ」
「喋った! で、ででで僕に会いに来たんだよね。それって、とうとう僕も君たちの世界に行けるんだ。そうでしょう? 迎えに来てくれたんだよね、ヤッター」
窓枠に腰掛けていたマチコはスクッと立ち上がると、彼に背中を向け、
「帰る」と羽をパタパタ。でも、それでは飛び上がることは出来ません。本気で帰るつもりはないので、彼の反応を待つマチコです。
「待って待って、待ってよ。僕だけ話して悪かったよ、話があるんだよね、聞くから、君の話、ちゃんと聞くから。だってだって、妖精を見るのは初めてだし、興奮、いやいや、慌てる? 誰でも慌てるよ。だけどもう大丈夫、落ち着いたから。だから、行かないで」
「言ったそばから長々と。本当におバカさんね。まあいいわ、あなたのバカなところに免じて許してあげてもいいかもね」
「あ〜、良かった」と胸を撫で下ろす彼は窓際に寄ると、ぐっと顔をマチコに近づけ、
「妖精が来たってことは何か良い知らせとかなんだよね、そうだよね」とわくわく顔でマチコの返事を待っていると、ムッとした顔でマチコは羽をパタピタと動かしました。するとどうでしょう、彼は強風に煽られヨロヨロと後退、そのままベットの縁に座り込んでしまいました。
「困った人ね。あんまり私に近づかないでよね」と腕組みをしながら彼を睨みつけるマチコ、シルフィードの力をマジマジと見せつけます。
その力に圧倒された彼は目をパチクリさせては驚くばかり。マチコが小さいからと侮っていた自分が甘かったことを反省しています。そしてシュンとなる彼です。
ベットに座り両手を握ったまま頭を下げる彼とマチコの間に、暫しの沈黙が続きます。これにマチコは自分が責められているような気持ちになったようで、それは許せないとばかりに話し始めました。
「あなた、彼女に手紙を送ったでしょう」
「送りましたが、……もしかしてあれですか、切手が足りなくて突き返されたとか。ああ、それで追加の料金を支払えってことですか。おかしいな〜、間違えてはいないはずなんだけどな〜、どうなんです?」
「おかしいのは貴方の方よ、本当にバカなのね」
「違うんですか? それなら何だろう、心当たりが〜」
「返事よ、彼女からの返事を持って来たの。それくらい分かりなさいよ」
腕組みをしたままのマチコに、彼は笑顔でベットから立ち上がるとマチコに歩み寄ろうとしましたが、その足を止め、
「それで、彼女の返事は? 手紙はどこにあるんですか?」とマチコを隅々まで観察します。それに顔を赤くして、
「手紙? そんなものは無いわよ」と答えるのがやっと、という感じです。
「無い? じゃあ返事というのは」
「伝言よ」
「伝言? 彼女が言ったんですか」
「疑り深いわね、そんなことじゃ教えてあげないわよ」
「すっすみません、聞きます、教えて下さい、いや、聞かせて下さいかな。どっちでも良いのでお願いします」
マチコは、勿体振るように片足をブラブラさせてはチラッと彼の方を見て、
「どうしようかなぁ、もう忘れてたかもぉ」とエヘン顔をひけらかします。そのマチコに祈るような仕草で彼は、
「お願いします、この通り」と祈りを捧げるのでした。
「仕方ないわね」
「ありがとうございます」
「じゃあねえぇ、こうしましょう」
マチコは右手の手の平を上に向けると、そこに一息吹きかけました。するとその息は小さな風となって彼の周囲を飛び回ります。そうして最後に彼の右耳に入り込むと、スーとどこかに消えてしまいました。彼にとっては少しだけ耳がくすぐったい感触があっただけです。
「どう? 聞こえた?」とマチコは彼に確認しますが、その彼は首を横に振るばかりです。「バカなの? 耳を澄まして聞くのよ」とマチコが続けると彼は耳に手を当て、序でに目も閉じてみました。すると――。
彼はウンウンと頷きながら目には涙を浮かべ始めました。その様子を見ながらマチコはエヘンという態度で彼の言葉を待っていましたが、何時まで経ってもそれはありません。そこで待ち飽きたマチコは「帰る」と言って窓の外に飛び立ってしまいます。
それに気がついた彼は慌てて窓際に走り、「待って! ごめん」と叫びます。それに反応したマチコはその場で止まりましたが、頼み事が断れないのはケイコと同じです。体の向きはそのままに振り返るような姿勢で、
「何よ、もう用は済んだから、帰るんだから」
「待って、まだお礼を言ってないし、それに……」
「それに?」
「とにかく、戻ってきて。お願いします」
「仕方がないわねぇ」とマチコの心の内は満更でもないようです。それは飛び立った時よりも素早く戻ったことに現れているでしょう。
彼は戻ってきたマチコに手を、では大きすぎるので指を差し出し握手を求めます。それをマチコは両手で抱えるようにして全身で振りました。
「ありがとうございます、妖精さん」
「まあ、分かれば良いのよ。じゃあ行くわよ」
「待って」
「何よ、まだ用があるの? 私には無いわよ」
「あの、出来たらで良いのですが、その、また伝言を頼めますか?」
「はあ? 私は郵便屋さんじゃないのよ、バカじゃないの」
「そう、ですよね。すみません、勝手言って」
頼まれたら嫌と言えないのはマチコも同じ、ただしそこに『楽しい』とか『面白そう』が含まれていないと、『うん』とは言わない彼女たちです。そこでマチコは、彼の少し残念そうな顔が、もし笑顔になるのならと考えます。そして、その場だけの嘘でも構わないかも、という考えに至るマチコです。
「まあ、たまになら良いわよ」
「本当ですか?」
「気が向いたらの話ね。約束はしないから、そこのところ勘違いしないでよね」
「ありがとうございます、妖精さん。気が向いたらで結構です」
「もう、仕方ないわね。本当に気が向いたら、だからね」
「はい」
こうしてマチコは彼の元を飛び立ち、都会の街が遠くに見え始めた頃、帰りの風に腰掛けながら、何故かルンルン気分で飛び跳ねていたのでした。
◇
そんな心地の良い旅をしているケイコは、半ば夢現つの世界を行ったり来たり。そんな調子ですから、目が覚めた時にはとんでもない場所で慌てることもありました。ええ、そういえば、あんなことも。鳥のクチバシに咥えられたまま、ペッと吐き出され、危うく海で遭難しかけたことも。その時はカモメに乗って戻ってこられましたが、今日は幸運を使い果たした不運だけの日。このままケイコを放っては置かないでしょう。
風と風が交わる交差点。そこではグルグルと風が回り、そこを通ると、どちらに向かうかは風と運次第。うつらうつらのケイコはそこに向かって真っしぐらです。
そんな時、いきなり別の風が乱入してきました。ええ、よくあることですが、それにマチコが乗っていました。そうしてそうして、ガツーンとケイコと衝突! 咄嗟にケイコの足首を掴んだマチコです。
ケイコとマチコは連れ立って宙を舞い、クルクル状態。あれー、という間に、また別の風に乗り込めたケイコとマチコです。
「ホンギャァァァァァ」
「なーんだ、ケイコか」
夢から覚めたケイコが目の前のマチコに悲鳴を上げます。きっと何か良い夢を見ていたのでしょう。そんな夢からお別れしてきたばかりなので、まだ現実と夢の違いが分からないまま、マチコとのご対面にご不満のようです。
「なんで、あんたがここに居るのよー」とケイコ、
「あんたこそ、どこに行くつもりなのよぉ」のマチコです。
「別にー。ただ、風に乗ってただけよ」
「顔に書いてあるよ。どこ? どこに行くの? 教えて」
「本当? 書いてあるの?」
腕組みをして悩むケイコです。『顔に』と言われて気になるケイコですが、それを確かめることは出来ません。もしかしたらお腹にも書いてあるのかも、とお腹を覗きますが、そこには何も書かれていません。しかし、全てを知られてしまったと思うケイコは素直に打ち明けたのでした、ペラペラ。
「う〜ん、私が行くわ」とマチコが名乗りを上げました。
「どこに?」
「あん? 都会によ。第一、あんたには無理だからよ。行ったことないでしょう、と・か・い」
「あるもん! お話聞いたこと、あるもん」
「やっぱりね。ほら、都会ってさ、怖いところなんだよ。あんたみたいな田舎娘が行ったら食べられちゃう、かもよぉ」
「本当?」
お姉さん風を吹かせるマチコの言うことに何度も騙されてきたケイコです。ですが今回は、ではなく今回も信じ込んでしまいます。
マチコは、楽しいこと、愉快なことへの嗅覚がとても鋭く、そのためならどんな努力も惜しまない野心家でもあるのです。ですからケイコの役割を奪ってまで都会、その彼に会ってみたいと欲望のままに行動します。そして更に念を押すのでした。
「本当はさぁ、私も怖いんだけどぉ、そんな場所にあなたを行かせるわけにはいかないじゃん。代わりに行ってあげるよ」
「行ってくれるの?」
「大丈夫だって。本当は私ってさぁ、都会育ちなんだよねぇ。そう見えるでしょう? ケイコ」
「うん、見えるよ。やっぱりマチコは普通と違うと思ってだけど、普通じゃなかったんでね」
「ちょっとねぇ」
こうして都会の彼に、彼女の伝言を伝えに行くことになったマチコです。その前に行き先を確認するため、マチコはケイコと頭をゴツンとしました。これでケイコの知っていることがマチコに移るのです。
「じゃあねぇ」と早速、都会に向けて風にノリノリのマチコです。
「気をつけてねー、お土産もねー」
マチコの背中を見送りながら、なんだか寂しくなってきたケイコです。何時も一緒にいるわけではありませんが、遠く離れ離れになるのは今回が初めて。側に居ない不安がそう思わせるのでしょう。心の中で、早く帰ってきてね、と呟くケイコです。
◇
都会の風は複雑です。山のように聳える高いビル、交通渋滞の激しい道路。それらは風の流れを予想も出来ない方向へと導くのです。道行く人が空を見上げたつもりでも、次から次へと現れる人の波に押されて見失ってしまうでしょう。
そんな荒海のような都会の空を、マチコは上手に渡っていきます。本流から支流へ、そのまた支流から分岐、交差を繰り返しながら綺麗に流れていく様は、まさしく
マチコは目的の場所である、少々古臭い建物の3階を目指します。その部屋の窓は運良く開いており、中に入ることが出来ました。時は既に日が暮れ、暗かったのだですが、部屋の住人がいたおかげで部屋には明かりが灯っていました。
窓から吹き込む風に、何時もとは違う感覚を覚えた彼は、何かの侵入を察しました。しかしそれが何か分からないものですから、その不思議な感じは直ぐに消えてしまいます。そうして窓から視線を元に戻すと、
「ねえ、あなた」という声が聞こえてきました。それに一瞬、どこから聞こえるのだろうと気にはしたものの、直ぐに気のせいだと思い直し、『それ』を探すのをやめてしまいます。すると、
「ちょっとぉ、せっかく来たんだから挨拶ぐらい出来ないの?」という声に驚いた彼は辺りを見回し、その視線は窓に向けられました。
「やっと気がついたのね、おバカさんよね、あなた」
マチコは彼の視線が自分に向けられていると思いましたが、彼はまだマチコの存在は見えてはおらず、気になる方向に目を向けているだけでした。そうしてじっくりと窓の隅々まで目を動かしながら、そこでやっと窓枠に腰掛けるマチコを発見しました。そして驚きの声を上げるのです。
「ワォ! 妖精じゃないか。とうとう僕にも見えるようになったのか。これはすごい。だけど、えっと、話せるのかな? どう、僕の言っていること分かるかな。いや、それよりも僕のところに来た? のかな。違ったらば残念だな」
「あーうんもー、何時まで一人で喋ってるつもりなのよ、帰るわよ」
「喋った! で、ででで僕に会いに来たんだよね。それって、とうとう僕も君たちの世界に行けるんだ。そうでしょう? 迎えに来てくれたんだよね、ヤッター」
窓枠に腰掛けていたマチコはスクッと立ち上がると、彼に背中を向け、
「帰る」と羽をパタパタ。でも、それでは飛び上がることは出来ません。本気で帰るつもりはないので、彼の反応を待つマチコです。
「待って待って、待ってよ。僕だけ話して悪かったよ、話があるんだよね、聞くから、君の話、ちゃんと聞くから。だってだって、妖精を見るのは初めてだし、興奮、いやいや、慌てる? 誰でも慌てるよ。だけどもう大丈夫、落ち着いたから。だから、行かないで」
「言ったそばから長々と。本当におバカさんね。まあいいわ、あなたのバカなところに免じて許してあげてもいいかもね」
「あ〜、良かった」と胸を撫で下ろす彼は窓際に寄ると、ぐっと顔をマチコに近づけ、
「妖精が来たってことは何か良い知らせとかなんだよね、そうだよね」とわくわく顔でマチコの返事を待っていると、ムッとした顔でマチコは羽をパタピタと動かしました。するとどうでしょう、彼は強風に煽られヨロヨロと後退、そのままベットの縁に座り込んでしまいました。
「困った人ね。あんまり私に近づかないでよね」と腕組みをしながら彼を睨みつけるマチコ、シルフィードの力をマジマジと見せつけます。
その力に圧倒された彼は目をパチクリさせては驚くばかり。マチコが小さいからと侮っていた自分が甘かったことを反省しています。そしてシュンとなる彼です。
ベットに座り両手を握ったまま頭を下げる彼とマチコの間に、暫しの沈黙が続きます。これにマチコは自分が責められているような気持ちになったようで、それは許せないとばかりに話し始めました。
「あなた、彼女に手紙を送ったでしょう」
「送りましたが、……もしかしてあれですか、切手が足りなくて突き返されたとか。ああ、それで追加の料金を支払えってことですか。おかしいな〜、間違えてはいないはずなんだけどな〜、どうなんです?」
「おかしいのは貴方の方よ、本当にバカなのね」
「違うんですか? それなら何だろう、心当たりが〜」
「返事よ、彼女からの返事を持って来たの。それくらい分かりなさいよ」
腕組みをしたままのマチコに、彼は笑顔でベットから立ち上がるとマチコに歩み寄ろうとしましたが、その足を止め、
「それで、彼女の返事は? 手紙はどこにあるんですか?」とマチコを隅々まで観察します。それに顔を赤くして、
「手紙? そんなものは無いわよ」と答えるのがやっと、という感じです。
「無い? じゃあ返事というのは」
「伝言よ」
「伝言? 彼女が言ったんですか」
「疑り深いわね、そんなことじゃ教えてあげないわよ」
「すっすみません、聞きます、教えて下さい、いや、聞かせて下さいかな。どっちでも良いのでお願いします」
マチコは、勿体振るように片足をブラブラさせてはチラッと彼の方を見て、
「どうしようかなぁ、もう忘れてたかもぉ」とエヘン顔をひけらかします。そのマチコに祈るような仕草で彼は、
「お願いします、この通り」と祈りを捧げるのでした。
「仕方ないわね」
「ありがとうございます」
「じゃあねえぇ、こうしましょう」
マチコは右手の手の平を上に向けると、そこに一息吹きかけました。するとその息は小さな風となって彼の周囲を飛び回ります。そうして最後に彼の右耳に入り込むと、スーとどこかに消えてしまいました。彼にとっては少しだけ耳がくすぐったい感触があっただけです。
「どう? 聞こえた?」とマチコは彼に確認しますが、その彼は首を横に振るばかりです。「バカなの? 耳を澄まして聞くのよ」とマチコが続けると彼は耳に手を当て、序でに目も閉じてみました。すると――。
彼はウンウンと頷きながら目には涙を浮かべ始めました。その様子を見ながらマチコはエヘンという態度で彼の言葉を待っていましたが、何時まで経ってもそれはありません。そこで待ち飽きたマチコは「帰る」と言って窓の外に飛び立ってしまいます。
それに気がついた彼は慌てて窓際に走り、「待って! ごめん」と叫びます。それに反応したマチコはその場で止まりましたが、頼み事が断れないのはケイコと同じです。体の向きはそのままに振り返るような姿勢で、
「何よ、もう用は済んだから、帰るんだから」
「待って、まだお礼を言ってないし、それに……」
「それに?」
「とにかく、戻ってきて。お願いします」
「仕方がないわねぇ」とマチコの心の内は満更でもないようです。それは飛び立った時よりも素早く戻ったことに現れているでしょう。
彼は戻ってきたマチコに手を、では大きすぎるので指を差し出し握手を求めます。それをマチコは両手で抱えるようにして全身で振りました。
「ありがとうございます、妖精さん」
「まあ、分かれば良いのよ。じゃあ行くわよ」
「待って」
「何よ、まだ用があるの? 私には無いわよ」
「あの、出来たらで良いのですが、その、また伝言を頼めますか?」
「はあ? 私は郵便屋さんじゃないのよ、バカじゃないの」
「そう、ですよね。すみません、勝手言って」
頼まれたら嫌と言えないのはマチコも同じ、ただしそこに『楽しい』とか『面白そう』が含まれていないと、『うん』とは言わない彼女たちです。そこでマチコは、彼の少し残念そうな顔が、もし笑顔になるのならと考えます。そして、その場だけの嘘でも構わないかも、という考えに至るマチコです。
「まあ、たまになら良いわよ」
「本当ですか?」
「気が向いたらの話ね。約束はしないから、そこのところ勘違いしないでよね」
「ありがとうございます、妖精さん。気が向いたらで結構です」
「もう、仕方ないわね。本当に気が向いたら、だからね」
「はい」
こうしてマチコは彼の元を飛び立ち、都会の街が遠くに見え始めた頃、帰りの風に腰掛けながら、何故かルンルン気分で飛び跳ねていたのでした。
◇