第1話

文字数 3,720文字

 シロップの香りに誘われて目を覚ますと、褐色肌の美男子が紅茶を淹れているところだった。

 ナプキンを首にかけられ、椅子を引かれる。
 パンケーキはフォークを乗せるとプルっとした弾力で跳ね返してくる。モフッと乗った生クリームはきめ細かく輝いて見える。果物はシンプルにイチゴのみ。
 一口大に切って運ぶ。
 ふわふわとした食感から、噛むごとに甘みが生まれて、パンのほどよい塩気と生クリームの甘みが絶妙に絡み合い、イチゴの酸味で仕上がっている。
 紅茶の香りは、遠くの世界に羽ばたける様だ。
 あっという間に皿はピカピカになった。

 「美味しかったわ、いい腕ね」
 「ありがとうございます」

 「ところでアナタは誰なの?」

 貴族の娘ローズには生まれる前から決まっている婚約者がいる。
 だがローズはそんな時代錯誤な結婚は絶対に嫌だった。婚約者ノン・シャルルの写真はおろか噂話すら聞く耳を持たずにいた。
 だが、18歳の誕生日を前にして衝撃を受ける。
 バースデーパーティーと結婚の披露宴を同時にすると告げられたのだ。もう招待状まで出したと。
 ブチ切れて家出して二週間。
 ダラダラと食っちゃ寝生活をしていた。
 昨日までは、強引に同行させた乳母が居たのだが。

 「・・・新たに雇われた者です」
 「そう、よろしくね」
 「はい。殺し屋として精一杯お世話させて頂きます」

 ローズは耳を疑った。
 この褐色でエメラルドの目を持つ、異国の美男子は何を言っているのか。

 「ローズ様は婚約者のシャルル氏に恥をかかせました。よって復讐の為に参りました」
 「待って!?」
 「婚約者死亡となれば、新しい相手を見つけられますからね、ただ一つ予想外の事態が」
 「わたくしは全部予想外よ!?」

 殺し屋は頭を抱えて、苦しそうに言葉を紡ぐ。

 「あなたが美しくない事です」
 「はああ!?」
 「烏の濡れ羽色のような髪、パールのような肌、アメジストのような瞳、桜貝のような唇、カモシカのような足はどこに消えましたか。
 髪はボサボサ。肌はブツブツ。目は腫れ上がり、体はブクブク。
 詐欺じゃないですか!」
 「ちょっと前までそうだったのよ!」
 「今のままでは、別人を殺したとみなされます!」
 「知らないわよ!」
 「明日から美しさを取り戻すダイエットをして頂きます。スパルタでいきますよ」
 「なんで殺される為に痩せなきゃいけないのよ!」
 「逃げた場合は仕方ありません。原形をとどめぬように銃殺いたします」
 「どうあがいても死しかない!」

 魂の抜けたローズに、殺し屋は告げた。

 「私の名はナイン。あなたを決して逃がしません」

 +++

 「おはようございます!ウォーキングのお時間です」
 「え・・・?今、何時?」
 「5時です」
 「馬鹿なの?もう少し寝かせて」
 「これぐらい普通ですよ、さあ、こちらにお着替えください。2キロ歩きます」

 澄んだ空気の中で、朝陽が登る様子を見ながらのウォーキングは、とても・・・キツかった。

 「ちょっとだけ、休ませて。脇腹痛い」
 「では、そこの木陰で」

 水筒で水を飲みながら見上げると、木に鳥の巣が作られている。
 ヒナ達のクチバシが見えた。

 「わたくし、小鳥が好きなのよね」
 「存じております」
 「え?」
 「陽が高くなる前に戻りましょう。今日は暑くなるそうです」

 ナインの有酸素運動はキツイの一言だったが、抗う手段を持たないローズは従っていた。
 日に日に体が軽くなっていくのを感じる。

 「料理が美味しすぎて、量が少なくても満足できちゃうのよね・・・」

 運動と少食が習慣になった二週間後。
 風呂上がりの髪をとかして貰いながら、鏡に映った自分を見つめる。
 髪も肌ツヤも全然違う。
 腫れていた瞼は元どおり、体型もかなり戻りつつある。

 「今日までよく頑張られました。明日の夜は特別に豪華にします」
 「うっ、まさか最後の晩餐?」
 「・・・だとしたら、どうされます?」

 彼は目を細め、形のいい唇を三日月形にした。
 ローズはわなわなと鏡台を叩く。

 「食べるに決まってるでしょ!アナタの料理なら冥土の土産として文句無しよ!」

 そして鏡越しにチラリと視線を向ける。
 彼は驚いたように目を見開き、そして照れたように眉をハの字にして微笑んだ。
 その柔らかい雰囲気に、心臓が跳ねた。

 +++

 朝も昼も豪華で、ナインの態度もずっと優しく、いよいよ殺されるのだと実感が湧いてきた。
 婚約者を傷つけた罰。
 彼の事を何も知らないまま一方的に嫌った。
 悪い事をしたと今なら思える。
 急いで謝れば許されるだろうか、泣きながら土下座をしたりすれば。

 だが、ローズには婚約者と結婚する気は無かった。

 「危ないですから、どうかお手を」

 階段を降りる際に、自然に差し出される手。
 斜め上部にある端正な横顔。
 次々と絶品を生み出す、神が宿っているような料理の腕前。
 自分を殺しにきた男に恋をしてしまった。

 最後の晩餐は厳かに始まる。

 スープ。
 殻を砕いて出汁をとった海老の風味が、広大な海の豊かさを口いっぱいに満たしてくれる。
 焼きたてのパンが並び、小麦の香りが楽しい。

 採れたて野菜のサラダ。
 ほうれん草のキッシュが乗っていて、噛むごとに新たな喜びが生まれる。

 魚のグリル。
 鱗を立てるように炙られて、鮮やかな野菜が添えられている。一口ごとに変わる食感に時間を忘れてしまう。

 トマトのシャーベットで気分をリセット。

 満を持してハンバーグが登場。
 ナイフを入れると肉汁が溢れ出し、深いコクのソースがよく絡んで、多幸感が全身を駆け巡る。
 余韻を存分に楽しんだローズに、ナインが上着を持ってくる。

 「デザートは?」
 「お外に用意してございます」

 淡い色合いの木目調のテーブルにレースのクロスがかけられ、燭台の光に照らされた大きなお皿の上で待っていたのは。
 フルーツたっぷりのタルト。
 鮮やかな一品に導かれるように着席する。
 サクサク生地と、糖度の違うフルーツが生クリームの舞台で舞い踊る。

 見上げた空には満点の星が瞬いている。

 「綺麗ね」

 ローズはその美しさを瞼に焼き付ける。
 もう二度と見る事の無い景色を。

 「あなたの方が綺麗です」

 迷いの無い声で、ナインが告げる。
 満たされた心地は、自然に涙を湧き起こす。

 「わたくし、アナタが好きだわ」

 素直な言葉を紡ぐと、彼はエメラルドグリーンの目を細めて、ローズの側にかしずいた。
 そして懐から小箱を取り出す。

 「あなたの為に、一生料理を作らせてくれませんか」

 ローズは驚き、開かれた中にある指輪を凝視する。

 「仕事を放棄して、わたくしと駆け落ちするつもり?いけない殺し屋さんね」
 「はい。私は強欲なんです」
 「いいわ。どこへでも連れて行って」

 ローズは左手を差し出し、指輪をはめて貰う。
 ダイヤの輝きは、星空に負けなかった。

 +++

 ローズ18歳のバースデー。
 そして結婚披露宴。
 美男美女のウエディング姿に参列者はため息を漏らし、両家の家族はみな笑顔を見せている。
 表情が固まっているのは、新婦のみ。

 「ねえ・・・」
 「はい」
 「なんで、料理が上手いの」
 「趣味です」
 「なんで、肌が黒いの」
 「母がインド人なんですよ、やっぱりご存知ありませんでしたか」
 「なんで・・・・殺し屋なんて嘘ついたの」

 新郎席に笑顔で座るのはナイン。
 本名をノン・シャルル。ローズの婚約者だった。
 ナインとはドイツ語で拒絶を意味する言葉であり、フランス語で拒絶を意味するノンとかけていたのだった。

 「昔から、ローズ様の事が好きでした」
 「会った事も無いのに?」
 「6歳の時でした。巣から落ちた鳥の雛を見つけてオロオロしていた私の前にあなたが現れて、サッとハンカチにくるんで動物病院に運んだのです。
 その優しさと行動力に惹かれました」
 「そんな事もあったわね」
 「何度も家を訪ねましたが、お会い出来なくて。文化祭や運動会を見に行きました」
 「うう、知らなかった」
 「結婚を嫌がっていると知り説得に参りましたら、私の顔をご存じなくて。
 あまりにも悲しかったので、少し意地悪を」
 「少しじゃないわよ!」

 ローズは言いたい事が山ほどあった。
 いつ殺されるのかと怯えて、眠れない夜もあった。
 そんな時ナインは、側に来て眠くなるまで童話を読んでくれたりした訳だが。

 「私の事、許せませんか」

 エメラルドグリーンの目が悲しげに潤む。
 ローズはエベレスト級の恨みを抑え込む事にした。
 そもそもの非は自分にあるのだから。

 「お詫びに明日の朝はパンケーキを焼きなさい!いいわね、あなた」

 彼は幸せそうに笑った。


 完
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