-himno- 第1話「流れ者」

文字数 2,070文字

とある一族に伝わりし伝承
されど偽りか真かは、当事者にしか判らぬ噺

***

おかしい。
此処には誰も来ないように仕向けた筈なのに、そいつは飄飄(ひょうひょう)とやって来た。

「此処が、物怪の棲む処かい?」
村人に案内されたそいつは、どこか物珍しそうに此方を見上げた。

畏れを知らぬとはまさにこの事。
ましてや禁忌であるこの山に足を踏み入れるとあっては、愈々(いよいよ)祟ってやろうか。

麓を視下ろしながら、そんなことを考えていたが。
「…案内有難う。()ずは、相手を探ってみなければね。」
そう言って此方を見上げた眼は、確かに私を捉えたように感じた。


慌てて、眼を閉じる。――尤も、時既に遅し、だろうが。
「…えらいもん、連れて来おったな…」
私に手を焼くあまり、とうとう外からの何某(なにがし)を連れてきたらしい。

「――山におるだけで、何で邪険にされなあかんねん。」
ぽつりとそう呟いた言葉は、いつもの様に虚空に搔き消えてしまった。

此処に居ては、いずれ見つかる。
けれど、此方が山を出て行かなければならない理由は、何一つない。

それならば。
何時ものように喰らってしまえば、それで終わる。
けれど、今回ばかりは、それだけでは済まないような――そんな予感がした。

「…うちも愈々、終いか…?」
そんなことは断じていやだった。――後から来たのは、あいつらなのに。


外から来た男は、山に在る洞を仮の住処としたようだった。
――此方の存在は既にばれているのだから、できるだけ早く手を打たなければ相手の思う壺になりかねない。

こう言う意味では幸いなことに、相手は外から来た奴だ。村の誰かを騙っても分かりはしないだろう。…なら、手っ取り早く女にでも化けて、誑かしてしまおう。
――とにかく時間がない。山に何か手を出されては困る。急がなければ。
そう思いながら、男の居る洞へ向かった。


「――もし。」
「…おや?」

「…村を訪ねてこられた陰陽師様とは、あなた様の事でございましょうか?」
「如何にも。――貴女も、麓の村の方ですか?」

「はい。…実は、夫が病に臥せっておりまして。どうにかお知恵を授けて下さらないかと、お願いに参りました。」
「…態々(わざわざ)山を登ってまで私を訪ねてくるとは、余程の病なのでしょう。お気の毒に…。お力になれるかは判りませんが、お話だけでも伺いましょう。」
――にこ、と微笑んで、男は私を招き入れた。

こうなれば、しめたものだ。
後は適当な事を言って丸め込み、更に幻術で惑わせば――

「――しかし、私の記憶が誤りでなければ、此の山は女人禁制ではありませんでしたか?」
にこにこと微笑んだまま、男は村の掟を口にした。

まずい、と、男から離れる。…まさか、そんな事まで聞かされていたとは。
急いで洞から出ようとするが、通ろうとすると、バチンと音を立てて何かに弾かれてしまった。

「おやおや…。まさか、君が村人たちを脅かしている物怪かい。――随分と上手く人に化けたものだ。」
呆れたように言うと、男は此方に近付いてきた。

「化けるのがお得意な様子からすると、君の正体は狸か――或いは狐かな?」
「…。」――ち、と舌打ちをする。

「まぁ、私には関係のないことだけれども。」――男はにこにこと、気味の悪い笑みを浮かべている。それに異を唱えようと、正しい掟を口にした。
「…っ。女だけやのうて、余所もんもや。余所もんは、さっさと出てけや。」

「そう睨まないでおくれ。――私とて、好きでこの山に来たわけではないよ。」
「ほんなら尚更、さっさと出てけばええやろ。」

「…。麓の者達が困っている。――村を拓こうとすると、祟りが起こるのだと言ってね。」
「………。当たり前や。…ここらは、うちらが棲むとこやから。それに、後から来たんは、あいつらの方や。」

「成程。先程の…君の口にした掟も鑑みるならば、それで山の神の怒りを買っているわけか。――山崩れに鉄砲水、かと思えば日照りまでも。」
男はどこか苦く笑うと、溜息をひとつ零した。

「…それなら一度、彼らにそう伝えてみよう。――無闇に山に分け入ろうとするから、障りが出るのだとね。」
男はそう言いながら懐から紙を取り出し、何気なく放った。
――途端に紙は鳥に形を変え、封じられていたはずの入口を通って外へ飛んで行ってしまった。

それに呆気に取られていると、男は可笑しそうに笑いながら、私に向かって言った。
「…。…では、私も山を降りるとしよう。」

「…。ああ。さっさと出て行け。」
「また彼らから何か応えがあれば、此処へ来るよ。」

「何やて?」
「山の神に、村からの言伝を伝えねばならぬからさ。神の場をすすんで侵す心算(つもり)は無いよ。」
なぜか、くすくす、と笑うと、男はさっさと出て行ってしまった。

「…。…………」
初めて見たが、陰陽師とはああいうものなのか。
風のような出で立ちの男に、私は僅かな関心を寄せた。
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登場人物紹介

十六夜

山に棲む狐。

銀翅

陰陽師の男。

銀翅に仕える少年。

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