第1話

文字数 4,125文字

 十二月十日の午後三時。冬の寒さが厳しいこの時期にも、山奥にあるこの館に訪れる者は絶えない。今日も来客を知らせるチャイムが鳴る。
 作業の手を止めて覗き穴を覗きに行けば、そこには杖を持った白髪の老紳士と、カーキのモッズコートを着た壮年の男性が立っていた。老紳士の方は頬が少しこけており顔色も悪い様子で、加えて瞼が少し腫れている。その横に立つ男性の顔と、俵担ぎにしている黒い袋を見て、大きな館の主である宇津木永遠は首もとのループタイを整え、笑顔で老紳士と男性を迎え入れた。

 袋を自室にある簡素なベッドに横たわらせた後、男性を二階に上がらせ、老紳士のみをを奥にある自室へと通し、ソファーへと座らせる。
 宇津木はいつものように意気揚々と右手にティーカップを持ち、左手で持ったティーポットを天高く掲げる。そして高所から茶葉の入ったカップに熱い湯を注ぎ込み、ダージリンティーを老紳士に差し出した。
「外は寒かったでしょう。さ、身も心も温まるダージリンをどうぞ」
「あ、あぁ……ありがとう」
 老紳士は短く礼を言い、ダージリンを口にした。ほっと一息吐いたところで、宇津木はローテーブルを挟んだ反対側のソファーに腰掛け、薄目を開く。
「ますはご老人。あなたのお名前は?」
「私は、長谷川尚文と申します」
「長谷川様ですね。さて、早速ではありますが、本日のご依頼の方をお伺い致します。わざわざこんな山奥に赴くということは、そういうことなんでしょう?」
 長谷川は俯き目を伏せたまま、ゆっくりと口を開く。
「どうか、私の妻を……ミイラにしては頂けないでしょうか」

 ――ミイラとは。
 人為的加工、もしくは乾燥させ、人間の形を保たせた死体のことである。
 現存している大半のものは大昔の人々が残したものばかりで、どうにか人の形を保ってはいるが、どれも見た目が判別しづらいものばかりだ。死蝋として比較的、生前の姿を保ったままになっているものもあるが、数はそう多くない。
 だが、現代ではどうだろうか?
 科学技術の進歩した現代ならば、故意的に生前の美しさを保ったまま遺体を保存することが出来る。もちろんこれは法に反することだ。もしかしたら人道にだって反することかもしれない。死者を弔わず、この世に留め続けているようなものなのだから。
 それでもこうして、大切な誰かをミイラとしてこの世に留めることを望む者が現代にもいる。
 望む者がいる限り、宇津木はその願いを叶え続けている。

「もちろんです。お客様のそのご要望に応えるのが、〝ミイラ師〟たる僕の役目なのですから」
 座ったまま胸に手を当て、軽くお辞儀をする。長谷川も反射的に頭を下げ、「よろしくお願いします」としわがれた声で言った。
 宇津木は白い清潔な手袋をはめた後、灰色のベストの胸ポケットからペンライトを取り出し、簡素なベッドに乗せられた黒い袋のジッパーを下ろす。
 まだ亡くなってから日の浅い、老婆の青白い顔が露わになる。宇津木は数秒黙祷した後、そっと老婆の瞼を上げ、瞳孔に光を当てた。加えて腕や足、腹部に触れ、遺体の腐敗具合、硬直度合いを綿密に確認する。
「死後……二日といったところでしょうかね。すっかり身体も硬くなっているようで……遺体の腐敗はまだそれほど進んでいない。外傷らしい外傷も無し……うん。冬の低い気温も相俟って、保存状態は非常に良好です。これならすぐにでも作業に取り掛かることが出来ます」
「本当ですか、良かった。二日も経ってしまっていたので覚悟はしてきたのですが、杞憂に終わったようで……あぁ、本当に良かった」
 宇津木の言葉に、長谷川は安堵したような表情を浮かべる。そんな長谷川を尻目に見ながら、宇津木は冗談めかしく微笑んだ。
「冬だからこそなせる技ってやつですよ。夏だったら完全にアウトです。次があるかはわかりませんが、どうぞご参考までに、ね」
「わかりました。次にお世話になるまでに、息子にはきちんとお伝えしておきます」
 〝息子には〟
 その一言に、宇津木はひどく驚いた。
「ご子息様に……? ということは、次にお世話になる時は長谷川さんは……」
 長谷川は微笑み、宇津木に向かって頭を下げた。
「はい。私が死んだ時、妻と同じようにミイラにして頂きたいのです。他でもない、あなたに」
 顔を上げた長谷川は宇津木の双眸を真っ直ぐ見つめた。長谷川の真剣な表情から、宇津木は確固たる決意を感じ取った。
 ゆえに、宇津木は気になってしょうがなくなってしまった。
 なぜミイラになりたいのか。火葬にしなかったのか。その全てを、宇津木は知りたくなった。
「長谷川様はなぜ……奥様をミイラにしたいのですか? 加えて、どうしてご自身もミイラになりたいのですか?」
 長谷川はすぐに問いに答えを返せず、顎に手を当てて深く考え込んでしまった。お客様を困らせてしまったと自信の過ちを悔いた宇津木は、少しぎこちない笑みで申し訳なさそうに目を伏せた。
「答えづらい質問をしてしまい申し訳ありません。無理に返答せずとも問題ありませんよ。これはただ、僕が個人的に気になってしまったというだけなので……」
「あぁ、いえ。違うのです。答えるのが嫌なわけではなくで、ただ……どう言葉にすればいいのか迷ってしまって……」
 長谷川はゆっくりと首を横に振り、頬を軽く掻いた。
「私は……何と言えばいいのでしょうか……あぁ、言葉も感情も難しくてもどかしい……」
「言葉も感情も、一筋縄にはいきませんよね。とてもよくわかります。僕も同じです。だからつたなくても、まとまっていなくとも構いません。どんな答えでも僕は貴方を尊重します」
 宇津木の言葉に、長谷川は肩の力が抜けていくような感覚を覚える。上手く話さなくてもいい、伝えれば伝わると、そう彼は言ってくれた。ならば、自身もそれ相応の対価を渡さなくてはならない。長谷川は少しずつではあったが、ぽつりぽつりと思いの丈を話していった。
「私は……きっと耐えられなかったんです」
 膝の上で組まれた長谷川の指に、力が込められる。
「最愛の妻が焼かれて、その骨を砕いて骨壺に詰めてしまうことが。何人もの遺骨と共に、墓の下へ……あの暗闇に、葬ることがっ……」
 長谷川の感情が昂り、声が震える。妻への愛は本物で、その言葉にも嘘はなかった。
 宇津木は立ち上がり、長谷川の隣へ腰かける。そして落ち着かせるように背中を摩った。長谷川の背は骨ばっていたが暖かく、宇津木は生きている人の温度を感じ取れた。
「……だから私は妻を、直子をミイラにしようと、そう思いいたったんです……私はきっと、愚かなのでしょう。最愛の妻を、私の我が儘のためにこの世に留めてしまうのですから……そして私は、自身もミイラとなることで罪の意識から少しでも逃れようと……とんだ卑怯者です……」
「卑怯何かじゃありませんよ」
 宇津木は少し強い口調で、長谷川の言葉を否定し、そして優しく微笑んだ。
「だって、それだけ奥様を愛しているってことじゃないですか。確かに長谷川様のその考えも行動も、倫理から逸したものかもしれません。ですが僕も、もちろん二階にいる彼だって、今までここに来た方々だって……あなたのその愛の形を否定しません。だから……あまり自身を責めないでください」
 心にあったわだかまりが、涙となって流れていく。感情を堰き止めるダムは決壊し、長谷川は年甲斐もなく大声を上げて泣いてしまった。ただでさえ皺のある顔をさらにくしゃくしゃに歪め、高価なコートを自身の涙と鼻水で濡らしていく。
 宇津木は長谷川が落ち着くまで、ずっと隣で背中を摩ってやった。

 数分経って、少し落ち着いてきた長谷川は持ってきていたちり紙で鼻をかんだ後、顔を上げてまだ腫れぼったい目を細めて宇津木の方を見る。
「あなたは、私の神様です」
 宇津木は驚いて目を見開き、困ったように曖昧に笑った。
「僕は神様じゃありませんよ」



 長谷川が帰宅した後、宇津木はすぐさま遺体の方に防腐処理を施し、地下のミイラ保管室へと安置した。ミイラ保管室は常に氷点下十度を保っており、宇津木が今まで請け負ってきたミイラの一部が保管されていた。
 宇津木は手袋を取り、安置されているミイラの一つにそっと手を触れる。そのミイラ顔は、宇津木と瓜二つだった。
 虚ろな目でその顔を眺めていると、ふと部屋に光が差し込んだ。
「素手で触れると死体が痛むって言ってたのはどこのどいつだったけか」
「はは、他でもない。僕ですね」
 振り向くとそこには、宇津木の共犯者である日嗣圭の姿があった。
 日嗣はそのまま真っ直ぐ宇津木の方――ではなく、その隣の棺の中を覗き込んだ。
「あぁ良かった。今日も綺麗な顔で寝てやがる」
「毎日お姉様の様子を見に来ますよね。そんなに信用なりませんか? 僕のこと」
「信用してるって。ただ俺が会いに来てるだけだ。さっきのじいさんと同じ、〝我が儘〟ってやつだな」
 日嗣は両手を頭の後ろに組み、ふぅっと白い息を吐いた。
「それにしても、いつまでこれ続けるんだ? いくら俺が警察だからって、いつかはきっとボロが出る。やめるなら、引き上げるなら今の内だぞ」
「……ぷっ、あははっ!」
 日嗣のいつになく真剣な顔を見た宇津木は、堪えきれずに吹き出してしまった。日嗣は目を丸くし、呆気にとられた様子で頭を掻いた。
「やめるわけないじゃないですか、ご予約だって頂いているのに。それに……」
 宇津木は自身と瓜二つのミイラに視線を落とし、囁くように言葉を落とす。
「僕らのように、あなたのように。永遠に誰かと共にいたいと、そう願う人々がいるんですから。僕はただ、それを叶え続けるだけです。他でもない、僕自身のために」
 宇津木は冷たく、硬い片割れの体を抱きしめる。
 そのミイラの顔は、今にも目覚めそうなほど美しかった。

 非常識、非人道的、ただのエゴだとのたまわれても構わない。
 それでも僕らだけじゃないと、宇津木は今日もミイラを作り続けている。
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