(三・七)二月、Still

文字数 4,612文字

 時より雪も降る田古と星砂の暮らしも七ヶ月目。星砂はサンファミのバイトを順調に続けているが、まだ心配だから今月一杯はと、田古は昼間のバイトを休んで星砂を見守り続けることに。
 寒さは一段と厳しくなるも、あと一ヶ月の辛抱だからと互いに互いを励まし合い、寒い朝の食事も、夜中の凍り付くよな眠りも、ひたすら耐える田古と星砂。それは夢の丘公園のやすおと着ぐるみマンの二人組も同様であり、あちらは更に厳しく毎日毎晩が生きる為の戦いに他ならない。因みに、冬の夜間だけでもやすおさんと着ぐるみマンさんにこの部屋で寝てもらってはどうか、自分はちっとも構わないからと、星砂が田古に提案したことがある。けれど田古も以前同様のことを考えたらしく御両人に意思を確認したところ、あっさり断られたのだという。それでは仕方がなく、ただ頑張ってと祈るしかない。
 電気ストーブひとつが頼りの極寒の朝でも、温かい御飯と御味噌汁は救いである。台所にはまた夢の丘公園からぱくって来たのかコップに水仙が挿してあり、その甘い香りが殺風景な部屋にやさしく漂う。寒さの中にも時より春の予感にときめくふたりである。
 二月三日節分の日は、田古の誕生日でもあり今年四十七歳を迎える。が、そんなことを自分からべらべらと星砂に喋る田古では勿論ない。むしろ星砂には黙っておきたい、知られないまま何食わぬ顔で過ごしたい田古である。しかし残念ながら、やすおから星砂の耳に入ってしまう。
 そこで日頃から世話になっているたこさんに何かプレゼントしたいと願うのは、当然のこと。サンファミの初めての給料が二十日に出る。誕生日当日には残念ながら間に合わないけど、今月中に何とかしたい星砂である。
 それはそれとして星砂は思う、節分が誕生日の人って、確か知り合いで誰かいたような気がするんだけど。家族、親戚、友だち、島の人、あっ、松堂のお父さんだっけ……、違う。じゃ誰。うーん、ここまで出掛かってんだけどと思い出せず、歯痒くてならない。
 気になって気になって仕方のない星砂は、月一回の母美砂への電話で尋ねてみることに。その日は前日の晩から東京に雪が降り、夢の丘公園にも薄っすらと積もって、ベンチの上は綿菓子みたいな雪でまっ白。寒さの中で突っ立ってる田古を待たせ、公衆電話ボックスに入ると、ガラス窓は星砂の息で白く曇る。冷たい受話器を上げ、カード挿入、それからダイヤル……。
「もしもし、あ、わたし……うん、こっちは凄い寒い。でも二月だから仕方ないよ、もう少しの辛抱、うん……平気、平気、風邪なんか引いてないって……あ、そうなんだ、へえ……」
 と美砂の長話に付き合う。
「分かった分かった、もうテレカ減っちゃうから……そいでね、うん、お母さん、うちの親戚とかで誰か、二月三日生まれの人っていなかったっけ……え、そう、二月三日」
 すると美砂の返事は意外に素早い。
「何言ってんのよ、あんた。お父さんよ、あんたの」
「ええっ、おとうさん。あ、そうだったっけ」
「そうよ」
「やばい、すっかり忘れてた」
「もう。生きてたら今年で幾つになるか分かる」
「御免、分かんない」
「もう、思った通り。四十七歳よ、いい」
「四十七、うん、分かった。じゃ有難う」
 ガチャン。
 受話器を置いて、曇った公衆電話ボックスの窓ガラスを拭き消し、ぼんやりと外を眺める星砂。そこには田古が寒そうに震えている。そうか、おとうさんか……。へえ、そうなんだ、凄い偶然。たこさんとわたしのおとうさんって同い年、しかも誕生日まで一緒って……、たこさん……。
 公衆電話ボックスの中でぼんやりしている星砂を心配してか、とんとん、とんとん田古が窓ガラスを叩く。それから、ほらっとベンチを指差す。そこには黒猫の雪雄が、積もったふわふわの雪の上で一匹ぼっちで戯れている。何してんの、あいつと、考え事を中断し公衆電話ボックスを飛び出す星砂。
 しばし雪雄とじゃれ合った後、星砂はサンファミのバイトへ。田古は雪景色の夢の丘公園の中で、雪雄と共に寒さ堪えながら星砂を見守っている。その甲斐あってか、サンファミのレジでお客さんと常に接していくうち、対人恐怖症も改善の兆しが見え始め、確かに恐怖、緊張も弱まって来つつある星砂である。
 無事サンファミ初の給料日二十日を迎え、バイトを終えた夕方銀行のATMでバイト代を下ろした星砂は、田古と共に新宿駅前の木馬百貨店へ。まさか自分へのプレゼント探しだなんて夢にも思わない田古が遠くから見守る中、文具コーナーで絵葉書を探す。あった、沖縄の絵葉書セット。見ると十七枚セットの中にたった一枚だけ夢国島の海岸の写真が……。これだ、と星砂は迷わず購入、でもまだ田古には内緒。
 翌朝、朝食の前に、バイト代の半分を入れた銀行袋を田古に差し出す星砂。吃驚した田古に、
「今迄借りた分の返済、まだ全部じゃないけど」
 と照れ臭そうに笑う。ところが断固として受け取ろうとしない田古。
「なんだかね、やっぱり、ぼくなんか、貸した覚えないからさ」
「でも」
 困った星砂は一旦返済を諦め、それじゃあと木馬百貨店の包装紙で包まれリボンを飾った沖縄の絵葉書セットを差し出す。
「遅くなったけど、これ、誕生日プレゼント」
 すると、ええっとこれまた吃驚仰天の田古、でも今度は絶句、返す言葉が見付からない。
「ハッピーバースディ、たーこさん」
 にこっと微笑む星砂を前に、朝っぱらからうるうる、瞳の海に涙が一杯に溢れ出して止まらない。そりゃそうだ、生まれて初めて実の娘からもらう誕生日プレゼントだもの。まだ何も気付いていない星砂も、そんなに喜んでもらえるなんてと感謝感激のもらい泣き。子供を慰める母親の如く田古の肩を抱き寄せ、しばし抱擁のふたりである。その時、ラジオから流れ来るは、CommodoresのStill。天気予報が今夜辺り、東京は大雪に見舞われるでしょう、なんて無責任に告げている。
 涙の後、にこにこと絵葉書を一枚一枚大切に眺める田古。その中の一枚、夢国島の海岸の写真で目も指もぴたっと止まる。それは夕映えの海辺、見ているだけで波の音が耳に響いて来て、潮風も頬を撫でてゆくようで堪らない。
 夜、天気予報のお告げ通り激しく雪が降り続く中、それでも田古はいつも通りネオン街に出て、エデンの東の看板持ち。雪はどんどん降り頻り大雪となり、とうとうネオン街の通りに白く積もり出す。それでも田古は平気、なぜならその薄手のジャンパーの内ポケットには、星砂からもらった絵葉書セットがしっかりと収まっているから。
 こんな夜に客なんぞ来る訳ねえぞと、何処の風俗店もネオンの灯を落として、臨時休業とっとと店じまい。そんな中それでも看板持ちを続ける田古と、やっぱり通りで唄うやすお。通りなんて雪を載せた傘差して、時よりぽつぽつと人が通り過ぎるだけ。やすおになんぞ見向きもしないというか見向きたくても困難で、ご苦労さん、はいさよーなら状態。まじかよ、あいつら頭いかれてんじゃね、と醒めた目で遠ざかる通行人諸氏。残っているのは、着ぐるみマンと星砂のふたり。
 そこへハイヒールの音カタカタ、雪のアスファルトにつんのめりそうになりながらやって来たのは、エデンの東の雪。星砂の横に並び「さっむいね、松ちゃん」と肩震わせ、震える唇にはハイライト、震える指でマッチの火を点す。
「田古さんの目、なんか充血してない。風邪でも引いてんの」
心配する雪に、
「大丈夫みたいですよ」
 とこれまた少し目の腫れた星砂が答える。
「そう、ならいいけど」
 如何にも苦そうにハイライトの煙吐き出しながら「今夜はもう、商売上がったり」
「ですね」
 話すふたりの息が白く凍り付きながら、降り続く雪の中に消えてゆく。
「みんなまだいるの。もう帰った方がいいよ、わたしも帰るし」
「でもまだみんな、やってくみたいだから」
 と答えつつも、確かに不安というか体がたがた震えて心臓も停止しそうでならない星砂。ビニール傘にも雪積もってるし、長靴もぴちゃぴちゃ冷たいし。このままだと雪に埋もれてしまいそうで、ほんと、みんなどうすんだろ……。
「ご苦労さん、じゃね」
 ハイライト一本吸い終わると、再びハイヒールの音カタカタ、危なっかしい足取りで雪道を駅へと歩き出す雪。雪さん、雪、かあ。でもお店の名前なんだろうな。
 さあて、みんなはどうすんの、と通りを見渡す星砂、でも三人ともまだ帰る気配なし。傘も差さずにいるから、みんなどんどん雪が積もって、今では立派な三体のスノーマン状態。流石にここまでと最初に音を上げたのはやすお。そりゃそうだ、指は千切れる程冷たいというか最早感覚ないし、鼻水ずーずー、くしゃみも出るわで歌どころの騒ぎじゃねっつうの。
「んじゃ、ラスト、もう一曲決めたら終わりな」
 ってやすお。えっ、まだ唄う気なの、凄ーいと、目を丸くする星砂を尻目に、やすおが唄い出したのはCommodoresのStill。
「今夜は流石にレッスンはなしな。また明日教えっから」
「いいよ、無理しなくて」
 一面に雪が積もった誰もいないネオン街の通りは白いコンサートホール、ネオンライトのスポットライトが照らし出す。降り頻る雪の中に響くやすおの歌声、聴く星砂の方も寒さ堪えてこれまた必死。そこへ歌に合わせてオルゴール人形宜しく、くるくるくるっと踊り出したのは白い妖精ならぬ白い着ぐるみマン。その風景はさながらRaymond BriggsのThe Snowmanのイラストの世界である。しばし寒さも忘れ、わくわくどきどき、着ぐるみマンとやすおを見詰めている星砂。わたしもあの中に入ってゆけたら、どんなにいいだろう……。
 歌が終わり、後は看板持ちの田古が終わるのを待つだけの三人。降り続く雪を眺めながら、
「今頃田舎の海も、雪で凍り付いてっだろなあ」
 とやすおがしみじみ。すると着ぐるみマンも、
『おいらんとこの港でも、雪たちがなんにも言わずに、しゅっととけて海にかえっていくんだな』
 と震えた文字で。そうだね、と黙って頷きながら、星砂も自分の海を思い出す、雪など落ちて来ない夢国島の海岸を。そうやって各々の心の海に思いを馳せる三人である。
 さて田古は相変わらず耳にイヤホン挿しラジオ聴きながらの看板持ち。でも通り過ぎるのは最早雪と木枯らしだけ、通行人なんてだーれもいない。田古の姿を見詰めながら、やすおに問う星砂。
「ねえ、どうして看板持ちなんてやってるの」
 そうさなあっとやすおが答える。
「好きだからさ、ここに突っ立ってんのが、俺もおっちゃんも」
「好き」
「そうさ、ここに立ってっと、時々道に迷ったやつらがやって来んだな、実際。そいで俺らにこう聞いてくんだ。どうしたらこの東京砂漠から抜け出せますかってさ」
「へえ」
「だから、そん時俺とかおっちゃん、答える代わりにこう唄い掛けるんだ、You Are So Beautiful……ってね」
 あっ、沈黙の星砂。
「だから、いつ誰が来てもいいように、俺らはいつもここでそんな誰かを待っていたいんだよ」
 笑うやすおに、無言で微笑み返す星砂である。
 午前零時、
「なんだかね、やっぱり、うへーっ、冬は寒いっていうよ」
 と田古が合流し、やっと雪景色のネオン街を後にする四人。後二、三日もすれば、積もった雪など跡形もなく融け去る、ここは東京新宿、ネオン町三丁目である。
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