第19話 癒やし系幼なじみ
文字数 3,601文字
「ユウ、話があるの?」
夕食後。お茶を飲んでいた幼なじみは切羽詰まった顔をして言う。
僕は茶碗を掴もうとする手を止めた。
「どうしたの?」
「無理しないでね」
「えっ?」
予想外のことに間の抜けた声が漏れると同時に、穂乃花らしいと思った。
幼なじみが真剣な目をするときは、いつも僕のことだったから。
「最近のユウ、頑張ってるのわかるけど……この間のこととか」
おそらく上級生と喧嘩しかけた時のことを言ってるのだろう。
あの時は熱くなりすぎたし、僕も悪い。
そうわかっていても。
「けど、僕が戦わなかったら、誰が彼女たちを守るの」
僕は自分の覚悟を告げるしかなくて。
すると。
「ぷっ……ユウらしいっていうか」
幼なじみは僕の顔を見て笑う。ルビーの瞳は聖母のように慈しみに富んでいた。
「なら、あたしはユウを応援するから」
「ありがと」
「だから、疲れたら、あたしの料理を疲労回復に使うとか」
なぜか穂乃花は顔を赤らめ。
「あたしの身体を欲望のはけ口にするとか」
「はい?」
聞き間違いだよね?
「あの子たちにエッチなことしちゃダメだよ。仕事以外ではお触りも禁止。我慢できなくなったら、あたしをネタにしてくれていいから」
僕の幼なじみがとんでもないことを言い出しました。
しかも、モジモジと上半身を揺らしてるから、突き出た双丘が左右にバインバイン。
慌てて目をそらしたら。
「……まだ、おばあさんのことを後悔してるの?」
不意打ちだった。浮ついていた心が、急に冷たくなる。
誤魔化したいが、向かい合わなくてはダメな気がした。
「僕が悪いから」
「ううん、あの事故はユウのせいじゃない」
「……いや、僕がおばあちゃんから目を離さなければ、トラックに轢かれることもなかったのに」
秋の夕暮れ。道路に飛び散った、どす黒い血。野次馬の声。救急車のサイレン。
あの時の絶望が脳裏に蘇ってくる。
僕が中二の時、おばあちゃんの認知症が一気に進行したんだ。春先には桜を見て、幸せそうだった人が初夏には徘徊をするようになっていた。気づけばいなくなることが多くて、そのたびに僕は近所を走り回っていた。
温泉で話したオジサンを始め、大人たちは協力してくれた。そのおかげで、しばらくは問題が起こらなかったのだけれど。
あまりにも回数が重なりすぎた。そう何度も他人に助けを求めるわけにもいかない。どんどん孤独になっていく。
その他にも問題はあった。
僕がおばあちゃんを探して騒いでいるところを、同じクラスの生徒に目撃されていたんだ。
学校でネタにされた。同級生はボケたおばあちゃんのモノマネをする奴までいた。
笑われた僕は恥ずかしくて、黙り込むしかできなかった。穂乃花が代わりに怒ってくれて……。
そんな自分が情けなくて、学校では塞ぎ込んでいた。
僕はできるだけ目立たないように捜索するようになった。
日増しに病状が悪化し、僕の精神状態も厳しくなっていく。
一学期の期末試験前、海外に住む両親に助けを求めたことがある。『がんばって』としか返ってこなかった。それから、親に連絡を取らなくなった。
僕にとって、救いになったのが穂乃花である。あと、彼女の両親だ。
幼なじみのおかげで、僕は自暴自棄にならずに済んでいたかもしれない。
優しくて気配りが利く幼なじみ。学校でも頼られていて、人気者だった。
当時の僕は幼なじみに甘えていた。料理も美味しいし、膝枕もしてくれる。寝転んで見上げる二つの丘。成長速度がすさまじくて、眺めるのが楽しみだった。
僕は幼なじみに依存し…………過ちを犯してしまったんだ。
よく晴れた秋の放課後。中間試験が終わって数日後のことだった。
穂乃花は体育教師に手伝いを頼まれていた。
介護がある僕はまっすぐ家に帰る。帰宅し、ホームヘルパーさんから引き継ぎを受けた。
その日のおばあちゃんは元気が良かったらしい。ほっとしつつも、内心では複雑だった。歩き回れるから目が離せなくて。
ホームヘルパーさんがいなくなると、僕は家事を始めた。
リビングを掃除する。窓から射す陽が心地よい。
試験で寝不足が続いていた。午後が体育だったこともある。
眠気を覚える。少しぐらいだったら休んでもいいか。
ソファは気持ちよすぎて危険なので、床に寝そべる。
十分後、目が覚めた。
おばあちゃんの動く音がしない。昼寝かな?
そう思い、家の中を探したけど、どこにもいない。
まさか……?
『穂乃花!』
幼なじみの名前を叫ぶ。当然、返事はない。電話をかける。作業中だったのか、穂乃花は出ない。
僕は取り乱してしまった。
昼寝をした失態に加え、精神の拠り所である穂乃花がいなかったからだろう。
数分間、無為に時間をすごしていると、穂乃花から折り返しの電話があった。
『僕が目を離したから……おばあちゃんが、おばあちゃんが』
『ユウ、落ち着いて。あたしがいるから』
ひと言で気が楽になった。
『ごめん、僕、近くを探してくる』
『あたしも、すぐに行くね』
それから、三十分後。おばあちゃんの姿を見かけた。
交差点。赤信号。行き交う車。判断力を失った病人に常識は通用しない。
ふらふらと飛び出した。
『おばあちゃん!』
僕は叫んだ。走った。
そこへトラックがやってきて。不幸にもブレーキのタイミングが遅れて……。
即死だった。
あとから聞いた話である。運転手は睡眠不足だったそうだ。
といっても、勤務先がブラックだったわけではない。
原因は、家族の介護らしい。母親が寝たきりだったのだ。
普段は奥さんが介護していたのだが、奥さんは子育てもある。小学校の低学年だった。手のかかる頃だ。介護と育児の両立である。体力的にも精神的にも相当の負担だろう。
という事情もあり、運転手はトラックを運転しつつ、介護もしていたとのこと。性格も真面目で、仕事も家のことも休めなかった模様だ。
おばあちゃんが飛び出した時は、居眠りこそしていなかったが、判断力は衰えていたらしい。
やるせない話だった。
僕は運転手を責める気になれなかった。
僕も運転手だから。いや、僕とちがって、彼は居眠りをしていない。僕の方がずっと悪い。
他にも、もっと後ろめたいこともある。
葬儀を終えて、数日後。ようやく落ち着いた頃のことである。
幼なじみが作ってくれた鯖の味噌煮を食べていたら、介護の苦労から逃れられたことに安堵感を覚えてしまった。
と同時に、激しい自己嫌悪に苛まれ……。
えもいわれぬ後悔に襲われた。
数ヶ月の間、悩み続けた僕は、贖罪がしたくて。
福祉の道を志したんだ。
高校に入学してから、ツラいことも多いよ。
でも、今では小夜さんと美紅ちゃんに出会えて良かったと思っている。たとえ、自己満足だとしても。
「ユウ、大丈夫。顔色が悪いけど」
「ううん、昔を思い出していただけだから」
どうやら、また幼なじみを心配させたらしい。
「そう。あんまり思い詰めないでね。ユ、ユ、ユ……」
「ん?」
なぜか穂乃花は小首をかしげている。赤い目は焦点が定まっていない。
妙な胸騒ぎがして、
「穂乃花?」
僕は幼なじみの名前を呼ぶ。
「あっ、ユウ。どうしちゃったのかな? あたし」
「えっ?」
「なんかユウの名前が一瞬だけ出てこなかったんだよね」
「ふーん」
「去年のクラスメイトの名前が思い出せない的なアレ」
ああ、わかる。
「まあ、いいや。今夜は親がいないし。ここに泊まるから」
「ええぇえっっっつ?」
そりゃ、まずいでしょ。
と思ったけど、僕は同世代の女子と一緒に住んでいるんだった。
幼なじみだし、そういう意味での心配はないか。
寝落ちするまで、僕たちは学校のことや昔話に興じた。
○
翌朝。ベッドで目を覚ました僕。幼なじみの顔が目の前にあった。
って、一緒に寝てたの?
左手が柔らかいものに包まれているし。見なくてもわかる。ブツがなんなのか。
おそるおそる谷間から引き抜いた時だった。
穂乃花が目をこする。
「んんっ」
眠そうな声をして、ルビーの瞳を開いた幼なじみは。
「だ、誰? どうして、あたしと一緒に寝ているの?」
寝ぼけているようだ。
「ほら、穂乃花。幼なじみの顔を忘れちゃったの?」
「幼なじみ? あたしに?」
きょとんとした顔で、穂乃花は僕に訊ねる。
ガツンと頭をかち割られたようだった。
夕食後。お茶を飲んでいた幼なじみは切羽詰まった顔をして言う。
僕は茶碗を掴もうとする手を止めた。
「どうしたの?」
「無理しないでね」
「えっ?」
予想外のことに間の抜けた声が漏れると同時に、穂乃花らしいと思った。
幼なじみが真剣な目をするときは、いつも僕のことだったから。
「最近のユウ、頑張ってるのわかるけど……この間のこととか」
おそらく上級生と喧嘩しかけた時のことを言ってるのだろう。
あの時は熱くなりすぎたし、僕も悪い。
そうわかっていても。
「けど、僕が戦わなかったら、誰が彼女たちを守るの」
僕は自分の覚悟を告げるしかなくて。
すると。
「ぷっ……ユウらしいっていうか」
幼なじみは僕の顔を見て笑う。ルビーの瞳は聖母のように慈しみに富んでいた。
「なら、あたしはユウを応援するから」
「ありがと」
「だから、疲れたら、あたしの料理を疲労回復に使うとか」
なぜか穂乃花は顔を赤らめ。
「あたしの身体を欲望のはけ口にするとか」
「はい?」
聞き間違いだよね?
「あの子たちにエッチなことしちゃダメだよ。仕事以外ではお触りも禁止。我慢できなくなったら、あたしをネタにしてくれていいから」
僕の幼なじみがとんでもないことを言い出しました。
しかも、モジモジと上半身を揺らしてるから、突き出た双丘が左右にバインバイン。
慌てて目をそらしたら。
「……まだ、おばあさんのことを後悔してるの?」
不意打ちだった。浮ついていた心が、急に冷たくなる。
誤魔化したいが、向かい合わなくてはダメな気がした。
「僕が悪いから」
「ううん、あの事故はユウのせいじゃない」
「……いや、僕がおばあちゃんから目を離さなければ、トラックに轢かれることもなかったのに」
秋の夕暮れ。道路に飛び散った、どす黒い血。野次馬の声。救急車のサイレン。
あの時の絶望が脳裏に蘇ってくる。
僕が中二の時、おばあちゃんの認知症が一気に進行したんだ。春先には桜を見て、幸せそうだった人が初夏には徘徊をするようになっていた。気づけばいなくなることが多くて、そのたびに僕は近所を走り回っていた。
温泉で話したオジサンを始め、大人たちは協力してくれた。そのおかげで、しばらくは問題が起こらなかったのだけれど。
あまりにも回数が重なりすぎた。そう何度も他人に助けを求めるわけにもいかない。どんどん孤独になっていく。
その他にも問題はあった。
僕がおばあちゃんを探して騒いでいるところを、同じクラスの生徒に目撃されていたんだ。
学校でネタにされた。同級生はボケたおばあちゃんのモノマネをする奴までいた。
笑われた僕は恥ずかしくて、黙り込むしかできなかった。穂乃花が代わりに怒ってくれて……。
そんな自分が情けなくて、学校では塞ぎ込んでいた。
僕はできるだけ目立たないように捜索するようになった。
日増しに病状が悪化し、僕の精神状態も厳しくなっていく。
一学期の期末試験前、海外に住む両親に助けを求めたことがある。『がんばって』としか返ってこなかった。それから、親に連絡を取らなくなった。
僕にとって、救いになったのが穂乃花である。あと、彼女の両親だ。
幼なじみのおかげで、僕は自暴自棄にならずに済んでいたかもしれない。
優しくて気配りが利く幼なじみ。学校でも頼られていて、人気者だった。
当時の僕は幼なじみに甘えていた。料理も美味しいし、膝枕もしてくれる。寝転んで見上げる二つの丘。成長速度がすさまじくて、眺めるのが楽しみだった。
僕は幼なじみに依存し…………過ちを犯してしまったんだ。
よく晴れた秋の放課後。中間試験が終わって数日後のことだった。
穂乃花は体育教師に手伝いを頼まれていた。
介護がある僕はまっすぐ家に帰る。帰宅し、ホームヘルパーさんから引き継ぎを受けた。
その日のおばあちゃんは元気が良かったらしい。ほっとしつつも、内心では複雑だった。歩き回れるから目が離せなくて。
ホームヘルパーさんがいなくなると、僕は家事を始めた。
リビングを掃除する。窓から射す陽が心地よい。
試験で寝不足が続いていた。午後が体育だったこともある。
眠気を覚える。少しぐらいだったら休んでもいいか。
ソファは気持ちよすぎて危険なので、床に寝そべる。
十分後、目が覚めた。
おばあちゃんの動く音がしない。昼寝かな?
そう思い、家の中を探したけど、どこにもいない。
まさか……?
『穂乃花!』
幼なじみの名前を叫ぶ。当然、返事はない。電話をかける。作業中だったのか、穂乃花は出ない。
僕は取り乱してしまった。
昼寝をした失態に加え、精神の拠り所である穂乃花がいなかったからだろう。
数分間、無為に時間をすごしていると、穂乃花から折り返しの電話があった。
『僕が目を離したから……おばあちゃんが、おばあちゃんが』
『ユウ、落ち着いて。あたしがいるから』
ひと言で気が楽になった。
『ごめん、僕、近くを探してくる』
『あたしも、すぐに行くね』
それから、三十分後。おばあちゃんの姿を見かけた。
交差点。赤信号。行き交う車。判断力を失った病人に常識は通用しない。
ふらふらと飛び出した。
『おばあちゃん!』
僕は叫んだ。走った。
そこへトラックがやってきて。不幸にもブレーキのタイミングが遅れて……。
即死だった。
あとから聞いた話である。運転手は睡眠不足だったそうだ。
といっても、勤務先がブラックだったわけではない。
原因は、家族の介護らしい。母親が寝たきりだったのだ。
普段は奥さんが介護していたのだが、奥さんは子育てもある。小学校の低学年だった。手のかかる頃だ。介護と育児の両立である。体力的にも精神的にも相当の負担だろう。
という事情もあり、運転手はトラックを運転しつつ、介護もしていたとのこと。性格も真面目で、仕事も家のことも休めなかった模様だ。
おばあちゃんが飛び出した時は、居眠りこそしていなかったが、判断力は衰えていたらしい。
やるせない話だった。
僕は運転手を責める気になれなかった。
僕も運転手だから。いや、僕とちがって、彼は居眠りをしていない。僕の方がずっと悪い。
他にも、もっと後ろめたいこともある。
葬儀を終えて、数日後。ようやく落ち着いた頃のことである。
幼なじみが作ってくれた鯖の味噌煮を食べていたら、介護の苦労から逃れられたことに安堵感を覚えてしまった。
と同時に、激しい自己嫌悪に苛まれ……。
えもいわれぬ後悔に襲われた。
数ヶ月の間、悩み続けた僕は、贖罪がしたくて。
福祉の道を志したんだ。
高校に入学してから、ツラいことも多いよ。
でも、今では小夜さんと美紅ちゃんに出会えて良かったと思っている。たとえ、自己満足だとしても。
「ユウ、大丈夫。顔色が悪いけど」
「ううん、昔を思い出していただけだから」
どうやら、また幼なじみを心配させたらしい。
「そう。あんまり思い詰めないでね。ユ、ユ、ユ……」
「ん?」
なぜか穂乃花は小首をかしげている。赤い目は焦点が定まっていない。
妙な胸騒ぎがして、
「穂乃花?」
僕は幼なじみの名前を呼ぶ。
「あっ、ユウ。どうしちゃったのかな? あたし」
「えっ?」
「なんかユウの名前が一瞬だけ出てこなかったんだよね」
「ふーん」
「去年のクラスメイトの名前が思い出せない的なアレ」
ああ、わかる。
「まあ、いいや。今夜は親がいないし。ここに泊まるから」
「ええぇえっっっつ?」
そりゃ、まずいでしょ。
と思ったけど、僕は同世代の女子と一緒に住んでいるんだった。
幼なじみだし、そういう意味での心配はないか。
寝落ちするまで、僕たちは学校のことや昔話に興じた。
○
翌朝。ベッドで目を覚ました僕。幼なじみの顔が目の前にあった。
って、一緒に寝てたの?
左手が柔らかいものに包まれているし。見なくてもわかる。ブツがなんなのか。
おそるおそる谷間から引き抜いた時だった。
穂乃花が目をこする。
「んんっ」
眠そうな声をして、ルビーの瞳を開いた幼なじみは。
「だ、誰? どうして、あたしと一緒に寝ているの?」
寝ぼけているようだ。
「ほら、穂乃花。幼なじみの顔を忘れちゃったの?」
「幼なじみ? あたしに?」
きょとんとした顔で、穂乃花は僕に訊ねる。
ガツンと頭をかち割られたようだった。