文字数 8,223文字

        二

 大根おじじの屋敷からの帰り道。(じゅん)九十九(つくも)(がみ)を三人見かけた。
 ひとりは、フナやナマズが棲む小川に、橋の上から釣り糸を垂らすカワセミ九十九神だ。格好は作務衣(さむえ)に麦藁帽子。橋の欄干に座り、ブルーの羽をなびかせながらの竿さばきはまるで釣り名人だ。道を歩く潤を途中で追い越していったのは、電信柱の九十九神。木造の円筒胴体に二本の手。足はなく、電線の髪の毛をなびかせつつドシンドシンと飛び跳ねながら移動していた。
 そして三人目は巫女装束姿の犬だった。ひとの子ほどの大きさで、二本足で歩き、頭には愛らしいリボン。百庵(ひゃくあん)という名の神社の石段にいた猫を「めっちゃ、キュートやんか」と、なでていた。
 名授(めいじゅ)をやめたのに、まだ九十九神が見えることは不思議だった。が、それもすぐにどうでもよくなった。ただ思い出すのは、泣きじゃくるオンとナノコの姿。その泣き声が耳から離れなかった。
 自分の選択は正しかった。そう思うそばから、彼女たちをあれほど泣かせたことが正しかったのか? と疑問がわく。
 答えは出ず、何度もため息をつきながら、トボトボと自宅前に戻ってきた。日は沈みかけ、辺りは薄暗い。ひとけがなく、やけに静かだ。風の音も鳥のさえずりも聞こえない。
「人間のガキってヤツは、けだし下等な生き物よ。陰気くさく拗ねていれば、誰かの優しさを得られるとでも考えているのだろうか。勝手なものよ」
 うつむいて歩いていたので、気づくのが遅れた。顔を上げると、それはもう潤の目の前にいて、ぎょっとした。
 古賀崎家を囲う人工竹の垣根。そこに背をもたれさせて、長身痩躯の人型九十九神が立っていた。
 この九十九神は……。
 見覚えがあった。あちこちに穴が開き、裂け目も目立つぼろ布のような黒マント。その下の衣服も、黒いぼろを無造作に巻きつけた風変わりなもので、色が白ならミイラ男だ。黒のフードを深々と被り、頭と顔をすっぽり覆った黒ずくめスタイル。
 痩せた身体がこうもり傘を連想させる怪人は、今朝の通学時、杉林の木のてっぺんに立っていた九十九神だった。
「しけたツラだ。つまらぬツラだ。幼子のわがままも言えず、大人の痩せ我慢もできない人間のガキは、決まってそんな自己憐憫を顔に張り付ける。甘っちょろい匂いをプンプンさせながら、な」
 なんだこいつ。
 その声はバリトンで通りがいい。だが得体の知れなさと、不躾な物言いに潤はわずかに身構えた。
「きさま、この地の新しい名授らしいな?」
 潤のことは、すでに上雲津(かみくもつ)の九十九神に知れているのだろう。それだけ名授は守り神同様、重要な立場ということだ。
 だが潤が名授でいたのは、先程までの話。「違う」と、潤は苦い顔で答えた。
「俺はもう名授じゃない。守り神との言霊(ことだま)夫婦(めおと)は解消した」
 ぞんざいに言って、さっさと黒衣の九十九神の横を通り過ぎようとした。今は誰とも話したくない。
「ほう、意外や意外、ガキのくせに、女を見る目はある。あんな貧相な、乳臭い守り神は願い下げってことだろ? うむ、同意。あれほど器量の悪い娘とでは色恋なぞ語れぬものな」
 オンとナノコを悪く言われ、潤はムッとして立ち止まった。優に頭ふたつ分は背の高い九十九神を見上げる。それでも相手の素顔は窺えない。まるで深い闇が収斂したみたいに、陰が覆い隠している。
「俺が名授にふさわしくなかった。ただそれだけだ。あんたの考えてるような――」
「俺のことはクロとでも呼びな」
 クロと名乗った黒衣の九十九神は、肩を揺らして笑った。
「ふさわしくない、か。なあ、ガキ僕ちゃんよ、芯のない言葉を小狡く飾りたてて、空しいとは思わぬか? みじめだと思わぬか? 舞台にも上がらずに、そうやって悲劇のヒーロー気取ったところで、滑稽、いや哀れなピエロにもなれやしないのだぞ」
「なにを言って――」
「本音を言っちまえよ」と、クロはまた潤を遮って言った。
「守り神の女が嫌いだからや~めた。僕ちゃん、もっとめんどくさくない、かわいい女を手に入れたいですってな」
「違うっ」
「違わないな。恋や愛に、ふさわしいとかふさわしくないなんて言葉は存在しない。好きか嫌い、それだけだ。いいかい、ガキ僕ちゃん、きさまの言葉は徹頭徹尾、阿呆の戯言だ。簡単なことなのに屁理屈こねて、そこに逃げ込み、ぬくぬくと生きながら自分が正義だと思い込む。かわいくてたまらないのさ、自分が。だろ? 典型的な頭の悪いガキだ。い~や、ガキとも呼べねえ、ただの赤ん坊だ」
「うるさいっ。なにも知らねえくせに!」
 潤が声を荒げても、クロは平然と話を続ける。
「己の無知を棚に上げて、そのセリフ。いよいよ、阿呆が極まったか。まあいい、少なくとも俺はきさまよりは知っているぞ。たとえば……そうだな。ガキ僕ちゃんには親父がいないらしいじゃないか」
 不意に父親のことを持ち出され、潤は当惑した。クロが「ああ、合点がいった」と、手をポンッと叩く。
「母親ひとりじゃあ、きさまみたいなガキ僕ちゃんのお()りは手に余ったか。いや逆か。母が愚図(ぐず)だからこそ、ガキはクズとなったか」
「な!?
「いやいや、これこそ真理。よ~く聞きな、己の言葉に酔ってる千鳥足のガキ僕ちゃんよ。きさまが無能で甘っちょろいのは、愚鈍な母のせいだ。すべてはろくでなしで、できそこないの親が悪い、ってことで安心したかい? 自分のせいではないのだから、きさまはまたぬくぬくと過ごせばよい。そう、これからおうちに帰って、バカ親のお乳でも吸ってやるがいい」
「ふざけんな!」
 怒りの衝動に衝き動かされ、潤はクロに飛びかかった。自分だけでなく千鶴のことも侮辱され、完全に頭に血がのぼった。だが相手は慌てたそぶりもなく、悠然と身をひるがえす。潤はあっけなくかわされ、勢いあまって垣根にぶつかった。
「おや、腑抜(ふぬ)けのガキ僕ちゃんなら、喧嘩なんてふさわしくありませ~ん、とでも言うのかと思ったが、どうしてどうして、感情を行動に結びつけられるだけ僥倖(ぎょうこう)だ」
「取り消せ。俺たちをバカにした今の言葉、取り消せよ!」
「取り消す? おいおい、言葉をそんな浮薄(ふはく)なもんだと思っては困るな。失言は単なる過ちにあらず、〝言葉を失う〟という重い罪だ。だからこそ俺らは言葉に責任を持つ。命を懸ける。簡単に取り消すなんてありえないのさ。でもまあ今日は初対面の特別サービスだ。俺に勝てたら土下座でもなんでもしてやるぜ」
 黒マントを揺らめかせるクロは、うごめく影だ。その闇に呑まれそうな不気味な気配が立ちのぼる。が、潤の憤慨はそれに気圧(けお)されない。垣根から身体を起こし、再び突っかかっていった。
(しばり)
 突然、潤の身体が動かなくなった。まるで金縛りにあったみたいで、首から上だけがかろうじて動かせるだけだ。なにが起こったのかと自身の身体を見下ろし、潤は驚愕した。
「なん……だ、これ!?
 潤は【愛】の光文字で組み上げられた巨大な手に、わしづかみされていた。虚空に出現したその大きさは潤の背丈と同程度で、形は手首から先だけの人間のもの。発光する大量の【愛】の字が凝集し、連結し、太い五本の指を組み上げ、それがぎりぎりと潤を締めつけている。
 懸命に振り解こうとする潤。しかし【愛】の手はびくともしない。
「〝(まな)〟ってのは便利なものだ。こうしてガキの虐待……じゃなく(しつけ)にも使えちまう。善にも悪にも応える万能かつ無責任な力。それが〝(まな)〟。つまり使うヤツ次第ってことだ」
「離せっ」
「離さねえよ、ば~か。いいか、ガキ僕ちゃん。〝(まな)〟を用い、言霊を顕現させるとはこういうことだ。言霊は世の(ことわり)を変成させ、究めれば森羅万象の再創造が可能となる。言ってること難しいか、腑抜け頭のガキ僕ちゃんよ」
 クロは潤の頭を指さし、からかうようにくるくる回して見せた。
「〝(まな)〟が反応するのは愛情だけではないぞ。憤怒や憎悪だって〝(まな)〟は無節操に応えるものだ。だからこそ俺みたいな悪党にも使えるってわけだがな」
 クロの言葉は四方に広がり、周囲を黒衣の色で浸食していく。それにつれ【愛】の五本の指が肉に食い込み、潤は痛みに呻いた。
「要は欲望だ。欲望……ああ、なんていい響きだ。あさましいと思うか? それは違うぞ。なにを欲し、なにを望むか。欲望こそ究極の希望。あとはそのイメージを、詳細に描けばいい」
 言いながら、クロはすうっと右手を掲げた。
「欲望とイメージを言霊の両輪に。回れ回れ、欲望の先まで無限に回れ。(わだち)に描くは信念なり。轍から芽吹くは言霊なり。そこに〝(まな)〟の雫を垂らせば、花開くは自在なる世界なり――断裁」
 クロの手の先におびただしい数の【愛】の字が出現した。ホタルの乱舞のような【愛】は密集し、結合し、ぐぐっと細長く伸張すると、瞬く間に太刀を創造した。
【愛】の太刀――断裁の刀。刀身の長さは二メートル近い。クロはそれを右手で持ち、感触をたしかめるように振る。太刀は光の軌跡を描き、ひゅんひゅんと風を切った。
「これこそ言霊を媒介とした我が欲望の結晶。どうだ美しかろう?」
 クロはその切っ先を、潤の鼻先に突きつけた。数センチ動かせば、顔にぶすりと刺さる近さだ。潤は恐怖におののく。声も出せない。それでも虚勢を張ってクロを睨んだ。だがクロは呆れたように頭を振る。
「物わかりの悪いガキ僕ちゃんだ。無言は無力だとなぜわからん? 〝(まな)〟と反応し、言霊を生むのは言葉。声だぞ。沈黙は金なりなぞ愚の骨頂。なにもせずになにかを得られるほど、世界は優しくないのだよ。ほらほら、悲鳴でもなんでもいい、声を出さんと、きさま……――本当に死ぬぞ」
 クロは太刀を振り上げた。切っ先が高々と持ち上げられ、夕暮れ空の彼方に光る一番星と交わった。
 潤は必死に【愛】の手から逃れようとした。が、そのいましめは緩みすらしない。
「さあ斬るか。ばっさりやって、ぶざまな(むくろ)をきさまの母の前にさらすのも一興だ」
「そんな……こと、させるかっ」
「嫌なら防いでみろ。イメージはこの際ご自由に。そう、想像は自由の申し子だ。盾でも鎧でも障壁でも、なんだってかまわん。せいぜいきさまの貧弱な言霊で俺を楽しませてはくれないか」
 太刀がゆらりと動き、潤の脳天目掛けて下りてくる。潤はとっさに叫んだ。
「盾!」
 言霊を意識したわけではない。情けないことに、自分を殺そうとするクロの言葉に思わず従ってしまっただけだ。
 しかしその瞬間、潤の足元から無数の【愛】の光文字が噴きだした。黄金色に空間を覆う【愛】の群舞は一瞬で凝固し、潤の身長より高い壁――盾となって潤の前にそびえ立った。
 俺にもできた!?
 クロによる【愛】の太刀生成を見たことが功を奏したのか、単に追い詰められて奇跡が起きたのか。とにかく潤の言葉に〝(まな)〟が宿り、言霊が具現した。
「へえ」と、クロがフードの奥で意外そうな声をもらす。しかし太刀を振り下ろす手は止まらない。【愛】の太刀は【愛】の盾と衝突し、
「ふん、極めて非力な言霊だ」
 一刀両断。真っ二つとなった【愛】の盾は、瞬時に消失した。
 潤は喉の奥で悲鳴を上げ、目をつぶった。太刀が叩きつける風圧がごおっと襲ってきて、意識が先に切れかけた。が、かろうじて気を保った潤の身体に、痛みや衝撃が一向にやってこない。やがておずおずと目を開けた。と同時に、手足が動かせることに気づく。【愛】の手はすでに消え、前方でクロがくっくっと笑っている。
「俺なりに趣向を凝らした、挨拶代りの余興だ。お気に召したか、ガキ僕ちゃんよ」
「よ、余……興……?」
 クロが持っていた断裁の刀も今はない。クロはおおげさに肩をすくめて見せた。
「俺も九十九神の端くれだ。名授さまをそれなりには敬うさ」
 唖然とする潤を尻目に、クロは黒マントをひるがえして背を向けた。
「ただし俺はたちの悪い九十九神だ。あまりに腑抜けた名授なら、上雲津のため斬り殺すくらいの正しさ……いやいや、欲望は持ち合わせているぞ」
 不意にぼろぼろの黒マントが、いびつな形のまま面積を広げた。それは暗幕を掲げたみたいに周囲を覆い、潤の視界も遮られてクロの姿を見失う。つぎの瞬間、黒マントは今度は猛然と収束し、元の大きさになったあたりで、ふっと掻き消えた。黒衣の九十九神自身、もう見当たらない。
「な、なんだよ……いったいなんなんだ……」
 潤は力なくその場にへたり込んだ。
「ふざけんじゃ……ねえ……」
 肉体こそ斬られなかったものの、クロの断裁の刀で心のどこかをぷっつりと斬られたみたいに、虚ろな気分だった。
「だから……俺はもう名授じゃない……守り神の夫じゃないって言ってんだろ……」
 口からこぼれた言葉も、なんの力もなく夕闇に溶けていく。

 オンがひとりで古賀崎家へ戻ってきたのは、午後八時を過ぎた頃。潤が二階の自室のベッドに寝転がり、携帯ゲーム機で3Dアクションゲーム『ツバサ・ガーディアン』を遊んでいたときだった。
 なんで帰ってきたんだ?
 階下から千鶴(ちづる)とオンのやりとりがかすかに聞こえ、潤は眉をひそめた。名授を辞め、言霊夫婦を解消したのだから、オンやナノコが古賀崎家へ戻る意味はない。なのになぜ?
 気にはなったが、部屋から出ようとはしなかった。
 もう関係ない。名授をやめた自分は、九十九神と無縁の人間になったのだから。
「俺は無力で無能な中学生……」
 (ささ)に負け、九十九神のクロに弄ばれた潤はすべてに嫌気がさし、すっかりネガティブになっていた。そんな自分を〝男らしく〟ないと知りつつ、現実逃避したくてお気に入りのゲームに没頭していた。『ツバサ・ガーディアン』、超面白い。
 ゲームの中では、自分が名をつけた〝百戦錬磨ジレンマ〟が、長刀〝刀幻強(とうげんきょう)〟と自動式拳銃〝銃王(じゅうおう)夢塵(むじん)〟を手に戦っている。銀色和服をなびかせ、天使の翼で空を翔る。百戦錬磨ジレンマとしては百秒間しか戦えないのが玉に瑕だが、妖を次々打ち倒し、〝男らしく〟ヒロインを守るヒーローの姿はかっこいい。それと比べて、現実の自分がみじめに思えたりもするのだけれど。
「〝男らしく〟なんて、どうすればなれんだろうな……」
 圧倒的な強さでステージの中ボスを撃破した頃、
「夫くん」
 部屋のドアのノックとともに、オンの声が聞こえてきた。潤はドキッとして身じろいだが、応えなかった。無視した。携帯ゲーム機の液晶画面を見つめ、せっせと百戦錬磨ジレンマで戦い続ける。
「夫くん、起きてる? ね、ちょっといいかな? 話、したいんだ。超重要な話……開けていい?」
「……」
「チズがさ、今頃潤、エッチな本見てるかもしんないから、いきなりドアは開けちゃダメって言ってたけど」
 千鶴め、いっぺんシメる。
「夫くんはそんなの見てないよね? ね? もう開けていい? 開けちゃうよ~」
 ドアが開いた。潤はゲーム画面に顔を向けたまま、視線をわずかに動かした。
「……や、夫くん」
 いつもの溌剌さがなく、しおれたようなオンがいた。顔色も悪く、泣き腫らしたのだろう、目の周囲が少し腫れぼったい。胸がチクリと痛み、潤はゲーム画面に視線を戻した。むりやりゲームに集中しようとする。
「あのね……その……大根おじじの家ではいろいろあって……うん、大変だった……ね」
 部屋の入口にたたずむオンは、ぎこちない笑みを浮かべて潤を窺う。潤は無反応でゲームを続けた。そんな態度に自己嫌悪を覚えつつも、オンの顔をまともに見られなかった。やがてオンが意を決したように、室内に一歩入ってきた。
 ごほんっと咳払いをひとつ。そして――。
「三日後、夫くんと綾乃瀬(あやのせ)(ささ)の名授申し合いをすることになりました! ドドンッ」
 名授申し合い?
 潤は手を止め、はじめて顔をオンに向けた。
「あ、今のドドンッは効果音。景気づけに盛り上げてみた。どお? 盛り上がった?」
「盛り上がらない。ていうかなんだ、名授申し合いって?」
「ん~とね、大根おじじと話して決めたんだ。名授の能力、生み名を三回ずつ使って、いちばん神数(かみかず)の高い九十九神を誕生させた者の勝ち。上雲津の守り神は……あたしたちはね、そのひとと言霊夫婦になるから」
「ちょっ、待て。意味わかんねえ。そんなこと勝手に――」
 戸惑う潤をよそに、オンは一方的に続ける。
「勝負が終わるまで公平じゃなきゃいけないって、大根おじじが余計なこと言ってさ、それでナノコは申し合いが終わるまで笹と暮らすことになっちゃった」
 予想外の事態に思わず口調が強くなった。
「笹と暮らす? なに考えてんだよ? 笹の家にナノコ、ひとりで行かせたのか? そんなのいろいろ危ないだろっ」
 潤の言葉に、オンは安心顔で吐息をついた。
「ありがと、心配してくれて……よかった、心配してくれて」
 はにかみ、それから「大丈夫」と、自分の胸をポンッと叩いた。
「あたしら守り神だもん。超強いから、いじめられたり、変なことされたりなんかしないってば」
「そ、そうか……」
 たしかにあれほどの神通力があるナノコだ。本気を出せば、いくら名授の力がある笹とはいえ手も足も出ないだろう。オンの言うとおり、おかしな真似をされる心配はなさそうだ。それによく考えたら、言霊夫婦になりたがっている笹が、守り神に嫌われるようなことをするとも思えない。
「どっちが笹んちに行くかジャンケンで決めて、あたしが勝ったんだ。必殺のチョキ。にはは~、だからあたしが夫くんといられるの。ナノコ、超悔しがってた」
 チョキからのVサインを掲げるオンに、潤はあらためて告げた。
「なあ、オン。俺は言ったはずだ。名授にはなれないって。言霊夫婦には――」
 しかしオンは両手で、自分の耳を塞いでしまう。「聞~こ~え~な~い!」
「オン」
「夫くん。結婚はひとりじゃできないし、離婚もひとりで勝手にできないんだ。だから名授申し合いが終わるまでは、夫くんは夫くん。あたしらは夫婦なの。なんだよも~。あたしの頭でもわかるのに。夫くん、ダメダメのおバカくんなんだから」
 オンの口ぶりが熱を帯びるにつれ、瞳が潤んでくる。
「夫くんが離婚したいって言っても、あたしもナノコも神に誓って認めないもん。あ、ていうかあたしらが神だから……え~と、つまりこれって、すっごい最強の誓いじゃん。なんだかわかんないけど」
「むちゃくちゃだな」
「むちゃくちゃなのは夫くんだよ。離婚ってのはさ……ほら、離婚届ってのに、夫も妻も署名?……とか、判子を押さないといけないんじゃなかった?」
「言霊夫婦にも離婚届があるのか?」
「ないけど」
 ないのか。
「と・に・か・く! 三日後に笹と対決。これはもう決定だから。そこで笹に勝って、あたしたちのこと認めてもらお。誰にも文句を言われない夫婦になろ、ね?」
「やるわけないだろ、そんなの。めんどくさいし」
「む~、めんどくさいってなにさ!? そんなのダメだもん! やらないと守り神のバチが当たるんだからね!」
「バチなんて当てることできるのか?」
「できないけど」
 できないのか。
「あたしもナノコも夫くんを信じてるからね! 以上!」
 一方的に話を切り上げると、オンは部屋を飛び出していった。呆気にとられた潤は嘆息まじりに「なんでわかってくれないんだ……」と、こぼした。
 守り神を守りたくて離婚を申し出たってのに……。
「名授申し合い? そんなもんやってられっか」
 憮然として、再びゲーム画面を見つめた。『ツバサ・ガーディアン』の百戦錬磨ジレンマは、目を離しているうちに敗れ、ゲームオーバーになっていた。ブラックアウトする液晶画面に自分の顔が映りこむ。
 冴えない顔に、潤は舌打ちをした。
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登場人物紹介

古賀崎 潤(こがさき じゅん)


十三歳の中学生。

故郷、上雲津の守り神のパートナーになり、つくも神の世界に関わっていくことになる。


守り神のオンナノコ


上雲津の地を守護する守り神。

責任感が強く、上雲津のつくも神と人々が大好き。潤のことはそれ以上に愛している。

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