エピソード文字数 5,895文字

 瑛琉からメッセージが届く。「明日の帰り、空いていますか?」というだけだった。

 おおかた、予想はつく。七架の件だろう。思えば、私が七架との関係を打ち明けたのは、瑛琉だけなのだ。心配してくれているのかもしれない。

 あの日、七架に何があったのか、それはネットで知ることになった。どうやら、「ナノに比べて、お前は」というような非難をされたようなのだ。七架のレーンに並んでいた人が、それを目撃したらしい。

 ようやく、理解した。

 だから、七架はあんな態度だったのだ。

 解決法はない、と思った。

 私には、なにもできない。

 彼女に話しかけたことが、そもそも間違いだったのだ。

 レッスンが終わったあと、瑛琉がこちらにやってくる。いつもの明るい笑顔だった。

「お疲れ。お腹空いた!」
「うん」
「どうする? 何食べる?」
「うーん……、エイルに任せる」
「そっか。じゃあ、私の好きなレストランでいい?」
「うん、いいよ」

 それから、二人で電車に乗った。瑛琉は、レッスン終わりだというのによく喋る。いや、私が喋らないだけだろう。さっきから、頷いてばかりいる。

 窓を見る。地下鉄だから、当然真っ黒。そこに反射した瑛琉が見える。彼女は、私の顔色を伺っているようだった。明らかに気を遣われている。

 駅に着き、そこから大通りを数分歩いた。たしかにお腹が空いている。瑛琉と一緒に食べたら、少しは気分も良くなるだろうか。

「ここ、ここ」瑛琉は指を差す。煉瓦造りの古風な建物が、そこにあった。
「ここ? ずいぶん高そうだけど」
「ん? お金のこと? 五千円もあれば食べられるよ」
「五千円?」もあれば、という軽い表現にも驚く。「そんなに出せないよ」
「もちろん、私が誘ったんだから、私が出すよ」
「いいの?」
「うん、いっぱい食べよう?」瑛琉は、慣れた様子で店へ入っていく。

 店内は、やや薄暗い。あちらこちらにシェードランプが灯っている。お客さんは疎らだ。私たちは、窓側のテーブル席へ座る。

「どうする? いろいろあるんだよ」瑛琉は、メニューを広げて私に見せる。「あ、このピザ半分こしようか? 私、いつも食べるの」
「うん」
「じゃあ、あとは……」

 瑛琉の言葉が、耳から入って、すぐに抜けていく。頭の中で、うまく処理ができないような……、

「ナノ」
「ん?」
「食べよう? 話は、それから」
「そうだね」優しい子だな、と改めて思った。

 瑛琉は、ステーキ、ピザ、サラダを注文。私はパスタにした。パスタなんて、毎日のように食べているのに、と思ったけれど、それらとはクオリティが違うはず、と期待することにした。

「疲れた……」瑛琉は、両手で頬杖をついて呟く。
「うん、疲れたね」
「なんか、秋ヶ瀬に入ってから、疲れたとか眠いとか、口癖になっちゃった」
「そうだね。あとは、溜息」
「そうそう」瑛琉はくすくす笑う。「やっぱり仕事なんだなぁ、って思う」

「エイルは、アイドル志望っていうわけじゃなかったよね?」
「うん。大雑把に、音楽関係が興味あるくらいで。だから、オーディションは、試してみようかなってくらいだった」
「素直だよね、エイルって。そこが好きだけど」
「だって、本当のことだから。嘘ついてもしょうがないし、ましてや相手はナノだからね」
「私?」
「たとえば、雑誌のインタビューじゃ、そんなこと言えないじゃない? アイドルになりたいわけじゃないけど、もしかしたらいけるかもって思いました、なんて」
「そうだよね」
「ナノも素直だから、こういうこと言っても、怒らないで聞いてくれるからね。だから話せるの」

「そっか。エイルは、そうだね……、もしかしたら、家柄の関係で、建前とか社交辞令とかが、人よりも要求されて生きてきたのかな。だから、むしろ自分の素直さに敏感になったのかもね」
「あぁ……、そう! それはあるかも。うん、的確な指摘だ。あ、そうそう、オーディション受けるって、お父さんとお母さんに話したときも言われたなぁ。なんでこんなに我が強い子になったんだろう、って」
「ふふ、そっか」
「わがままかな? 私」
「うん、けっこう振り回されるかな」
「え、そう? 黙ってたほうがいい?」
「ううん、喋ってて。そのほうが落ち着く」
「じゃあ、今夜は語り尽くそうか」
「ほどほどにね」

 料理が運ばれてきた。瑛琉は「わぁ」と言って、小刻みに拍手。ステーキにソースをかけると、熱せられて音を立てる。

「ナノにもあげるね」瑛琉は、ステーキを切りながら言う。
「いいよ、食べなよ」
「美味しいから。はい、取っていいよ」
「じゃあ、ありがとう」カットされたステーキをもらって食べる。
「どう?」
「熱い……、うん、美味しい」
「よかった」

 それから、自分のパスタも食べる。やはり、いつもの冷凍パスタよりも断然美味しい。ピザとサラダも少しずつもらった。

 元気が出てきたな、と自分でわかる。ごはんを食べてお腹が満たされる、瑛琉といて心が満たされる、ということか。問題はまったく解決していないのに、それを一時的に忘れることができるのだ。そういう切り替えができる、いわゆるマルチタスクというのだろうか、人間の優れた機能だな、と思う。

 パスタは、食べてみると意外と量が少なかった。瑛琉はデザートも食べるというので、私も甘えて注文した。コーヒーは、最後に持ってきてもらうようにする。

 数分後、チョコレートパフェが届き、食べ始める。

「じゃあ……、話しますか」瑛琉がぽつりと言う。
「さっきから話してるよ」
「そうじゃないよ。まあ、察しはつくと思うけど」
「ナナカでしょ?」

「うん……」瑛琉は、少し俯く。「余計なお世話かもしれないけど、私、ナナカと話したの。あのとき、ナナカがナノに当たったのは、ナノとなにかあったからだ、ってすぐにわかったし。結果的には、なんていうか、ナナカの一方的な気持ちがあっただけで、ナノが悪いことをしたわけじゃなかったね、うん……。あ、でも、ナナカに悪口言った人は許せない。二度と来ないでほしい」
「そうだね。握手会で、こういうトラブルって初めてだもんね。ネットでも話題になってたし……。それで、ナナカはなにか言ってたの?」

「うん……、握手会が怖い、って。もうやりたくないって、無理して笑いながら言ってた。それと、ナノは悪いことしてないって。本当は謝りたいけど、それも怖いって。だから、私が間に入って、ナノと仲直りしようかって言ったんだけど、それはナノに失礼だし、申し訳ないからって断られて。うん……、すごく考え込んでるみたい」

「そっか……。まあ、たしかにナナカがあんな大声出すなんて思わなかったし、びっくりしたけど……、べつに、私はもう怒ってない。だから、私も悩んでるんだ。私から話しかけるべきなのか、ナナカから来るのを待つべきか、それとも、このままお互い放っておくのがいいか……」

「そうだね……」瑛琉は、容器に沈殿したチョコクリームを、スプーンでかき混ぜている。私は、まだ半分も食べ終わっていない。

 コーヒーが運ばれてきた。アンティーク風のマグカップ。こういったおしゃれな品は、私の部屋には一つもないから新鮮だ。まだ熱くて飲めそうにない。

「それで、問題はさ、これもはっきり言うと……」瑛琉は、かき回している手を止める。「ナナカが、ナノに対して抱いている劣等感なんだよね」
「うん……」

 つまりは、そういうことになる。「ナノに比べて、お前は」という言葉で傷ついたのは、もともと七架自身がそう感じていたからなのだ。そこを他者からも指摘されてしまった、いわゆる図星を指されてしまった、ということ。

 以前から、私を避けたがっているふうだったのも、この劣等感のようなものがあったから、と推測できる。私を嫌っていたというよりも、私といると、劣っている自分を意識してしまう、そんな気持ちがあったのではないか。

 ただ、私は……、

 どうすることもできない。

 あるとしたら、私が秋ヶ瀬を辞めること。

 そうすれば、七架のそんな劣等感は消えるかもしれない。メディアメンバーにだって移れるかもしれない。

 いや、七架だけではない。私以外のすべてのメンバーが、今よりも注目されるようになるはずだ。「アンドロイド」や「無機質」というイメージも消えて、もっと別の個性が自然に出てくるのではないか。

 センターだから、必要なのではない。

 センターだからこそ、不要なのではないか……。

「ねぇ、エイル」
「ん?」
「私って、いるかな」
「え?」瑛琉は私を見つめて、一時停止。
「秋ヶ瀬に。私が辞めれば、なんだか、全部が解決するような気がするの」
「ちょっと、飛躍しすぎだよ。もう少しよく考えて?」
「でも、エイルだって言ってたじゃない? 私、いるか、って。だから……」
「ナノ」瑛琉は、私の言葉を遮る。「ナノは絶対に必要だよ。ナノだって言ってくれたじゃない? エイルは絶対に必要だ、って」

 私は、視線を落とす。

 コーヒーが湯気を立てている。

 黒い表面は、揺れていない。

「私の意見を言えばね、ナノは、なにもしなくていいと思う」
「え、そうかな?」
「だって、どうしようもないもん。ナノが悪いわけじゃないでしょ? ナナカのコンプレックスは、ナナカの問題なんだから。ナノがあれこれ話しかけても、逆効果だよ」
「そうだけど……」

「じゃあ仮にね、ナノが秋ヶ瀬を辞めたとしよう。そしたら、秋ヶ瀬はどうなる? 絶対的エースが突然いなくなったってことで、一瞬は話題になるかもしれない。でも、それで終わりだよ。売れる方向にはシフトしないし、グループとして、一つのアイデンティティが失われる。ナナカがゆり組に入れたとしても、秋ヶ瀬全体が立ち行かなくなったら、無意味なんだよ?」
「うん……。エイルも、ゆり組っていう言葉、知ってたんだ」
「あぁ、うん。握手会でファンの人に言われて。調べてみたら、なるほどって思ったよ。たしかに、わかりやすいよね。ユリの花みたいなメンバーと、かごの中に入れられたメンバー、っていうニュアンスが」
「あんまりはっきり言わないでよ。インタビューとかで言っちゃだめだからね?」
「うん、それは、気をつける」

 素直すぎるのも問題だな、と思った。でも、人のことは言えないかもしれない。私も気をつけなければ、と戒める。

「結局は、そこなのかなぁ……」瑛琉は、コーヒーを飲んでから呟く。「ゆり組かご組問題。そもそも、分ける必要あったのかな?」

「うーん……、今までのグループについて調べたことあるんだけど、そうやって分ける体制はあったみたい。主にメディアに出るメンバーと、ライブに専念するメンバー、みたいに」
「そうみたいだよね。効果があるのかな?」
「メディアメンバーになりたいから頑張る、っていうふうに、モチベーションを上げる効果はあるんじゃないかな。逆に、メディアの子は、落ちたくないって思って緊張感が出る。ようは、切磋琢磨ってやつ。そのかわり、グループ内で二分して、いざこざは生まれるよね。私とナナカみたいに」

「うん……、仮に全員がメディアに出られたとしても、今度はその中で派閥が生まれるよね。三列目と一列目の扱いの違いが、気になるようになってきたり。結局、グループ活動をするうえでは、避けられないことなのかなぁ」

「じゃあ……、素直なエイルだから、率直に訊いていい?」
「うん、何?」
「エイルは、センターになりたい?」
「うん、そう訊かれると思った」
「あるいは、私がセンターにいることを、どう思ってる?」

「そうだなぁ……」瑛琉は、視線を上げる。「センターは、正直わからない。言われたらやるし、言われないならやらない。それくらいかな。ナノがセンターにいるのは、私は間違っていないと思う。それにふさわしい子だって思うし、実際、秋ヶ瀬の一つの形を作ったのは確かだから。そういう意味では、尊敬してるよ? コンプレックスはないかな。もともと、人と比較してもしかたがない、って考えるタイプなのかもしれないけど。私がね」
「そっか……」

「あとは、ナノがセンターでいてくれるから、私はそのぶん気楽ではあるよね。そんなに責任負わなくていいなって」
「あのさ、いくらなんでも正直すぎるよ」
「ごめん、さすがに今のは失言でした。撤回します」
「もう……」私は呆れつつも、笑ってしまう。
「それと、あと一つ」
「何?」
「かご組には落ちたくない。ナノも、そうでしょ?」
「そうだね……」

「だって、せっかくアイドルになったんだよ? だったら、表舞台に立つべきじゃない? 笑顔で歌って、踊って、見てくれる人に喜んでもらう、それがアイドルの仕事なら、少しでも目立つ所にいるべきだと思う。っていう理屈もあるけど、あとは、単純に負けず嫌いなんだよね。だって、悔しいじゃない。えっとね……、人よりも劣っている自分が悔しいっていうより、自分が思っている以上に自分はできないんだ、って思い知ることが悔しいの。わかる?」

「うん、意味は、わかる。でも、私自身はあまり思ったことはないかな。そこまで確固とした信念みたいなのがないから」

「信念っていうほど立派なものでもないんだけど……、うん、自分に失望したくないんだよね。私は、人に対する劣等感よりも、そういう気持ちのほうが、ウェイトが大きいんだと思う」

「そっか。やっぱり、エイルの話は面白いな」
「え、そう?」
「人には聞かせられないけど」
「そうだよね。相当、性格悪い奴だよね?」
「そう思われても、しかたないかも」

「まあ、かご組にはなりたくないけど、だからといってね、ナナカたちのことが嫌いなわけじゃないよ? グループ内の序列と、個人個人の人格は、もちろん無関係だから。でも、やっぱり競争にはなるから、向上心を持っていたいっていう意味で、かご組は嫌だって言ってるだけ。でも、誤解されたくないから黙ってようっと」
「それがいいよ。言わないことも、優しさだよ」

 そう言ったそばから、違う、と思った。

 言うことのほうが、優しさだろう。

 言葉というのは、基本的に優しいものだ。

 目の前の彼女が、例外なだけで……。


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上坂奈乃 カミサカ・ナノ

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