四十一

文字数 2,807文字


 里中にとって意外だったのは、権田が佐々木を連れて現れたことだった。
「おお。これは、いつぞやの……」
 里中は、事務所に入ってきた佐々木を見て言った。
「ああ。その節は……」と佐々木。
 挨拶を交わすほどではなかったが、なにか言わなければ場が持たなかった。
「まま、どうぞ。お入りください」
 里中は二人を応接セットのあるコーナーに案内した。あとから現れた谷口は、手盆でえらいすんまへんと言って、持ってきた五つの缶コーヒーをテーブルの上に並べた。三田が表通りの自動販売機から買ってきたコーヒーであった。
「なんせ、男所帯なもんで、こんなもんしか用意できまへんで……」
「いえいえ。お構いなく」
「ああ、紹介しておきます。これは、うちの編集の人間で、三田といいます」
「三田です。よろしくお願いします」
「そしてこちらが権田さんで、こちらが佐々木さん」
「よろしくお願いします」
 一同が一通りの挨拶を終え、ソファに腰を落ち着けたのを見届けた谷口が、缶コーヒーのプルトップをプチリとひねり、刑事さん、遠慮せんと飲んでくださいよ、こんなもんで買収する気はありまへんさかい、と自分でも一口飲んで言った。
 谷口一流の気遣いパフォーマンスだった――。
 このひとことと、いかつい顔のおとぼけアクションで場が和み、それからの会話は比較的スムーズに運んだ。半時間も経つころには、あのいかにも役人風の仏頂面をした佐々木でさえ、素直な笑みを見せて話すようになっていた。
「で、その村上なんですが――」
 三田が、例の集合写真を二人の刑事に見せながら続けた。「この男性(多分、先生だと思いますが)の右側に座っているのがそうでして、背はおよそ百七十五センチくらい。
 わたしは百七十八センチあるんですが、それより若干低い感じです。痩せ型の、この年代にしては、そこそこ上背のある男でした。歩き方もしっかりとしていましたから、体力的にはどこも悪いところはないのでしょう。若干右肩が下がっているくらいで、不自然なところは見受けられませんでした……」
「了解です」
 佐々木がメモを取った手を休め、全員に向き直って言った。「では、われわれは八時前に現場で待機しますが、二人同時では怪しまれるので、別行動を取ります。
 まずわたしですが、仁王門から真っ直ぐ、その奥にある霊宝殿のほうに向かい、途中の太子堂から折り返して八時十三分に現場に着くよう調整して歩きます。権田さんは三条通のどこかにいて、男が入るのを見届けてください。そして、谷口さん――」
「はい」
「谷口さんは、八時十分に現場に到着するようにしてください。犯人は遠巻きに谷口さんを観察したあと、遅れて現れる可能性があります。現場に到着したら、谷口さんは、必ず付近にある壁または塀を背にして待つようにしてください」
「ほう。それは――」
「ひとつには、谷口さんが背後から襲われるのを防ぐため。いまひとつは、男の視線と意識を眼の前の谷口さんに集中させるためです」
「なるほどなぁ。そうしといたら男には後ろが見えへんさかい、刑事さんらが後ろからそうろっと近づくこともできると……」
「そのとおりです。谷口さんにはわれわれの動きが見えますが、男には見えないというわけです。ですから、谷口さんは絶対に、表情を変えないようにしてください。気づかれたら、一巻の終わりですからね」
「わかりました」
「そして最後です。谷口さんは口頭と目視で本人確認をしたあと、受け取った袋の中身を確かめてください。それが本物であってもなくても結構です。その間、怪しまれない程度になにか適当なことをしゃべっていてください。われわれが間合いを詰めるための時間稼ぎと思ってください。
 そうして中身を確かめるふりをしたあと、原稿を渡してください。男が原稿を受け取り、中身を確めようとした時点で、われわれが彼の身柄を確保します。いいですか」
「はい」
「いずれにせよ、犯人は一人とはかぎりません。三田さんと里中さんは、つねに男の背後に回って、遠くから様子を見るだけにしてください。絶対に男の正面には出ないようにしてください。もちろん、二人並んで歩くというのも駄目です。いいですね」
「わかりました」
 三田は自分も同行できることがわかって内心、ほっとしていた。
 里中も同じ気分なのか、穏やかな顔つきをしていた。ただ、五人もの男が同じ時間帯にあの辺りをうろうろするのも、どうかな――と三田は思った。しかし、敢えて口には出さなかった。『それもそうだ、じゃあ、三田くんは顔を見られていることもあるし、こなくていいよ』などと言われては元も子もなくなるからであった。
「では、念のため、皆さんの時計を合わせておきましょう」
 佐々木が、自分の腕時計を外して言った。「いま、わたしの時計は二時二十八分三十秒です。二十秒後にセットしてください。わたしがオーケーといったら、スタートです。
 いいですか。二十秒前、十五秒前、十秒前、あと五秒です。いいですか、四、三、二、はい、オーケーです」
 五人が時計を合わせ終えると、全員に張り詰めた空気が漂った。
「なんだか緊張しますね」
 三田が興奮したように鼻で息をして言った。
「いまから、そんなんでどうすんね」
 谷口が言った。「いまのうち、せいだい気ィぬいとかな、本チャンまで持たんで」
「そうですね。まだ五時間以上もありますもんね」
「では、われわれは一旦、本署に戻ります」
 権田が言った。「しかし、ここへは戻りませんので、さきほど佐々木が言ったとおりの手順で行動をお願いします。駅でばったり会ったとしても、決して話しかけたりはなさらんように――」
「はい。承知いたしました。よろしくお願いします」
「では――」
「失礼します」
 二人を見送った三人が席に腰を下ろした途端、誰かの携帯が鳴った。里中の携帯だった。
「はい、里中です」
「…………」
「もしもし。里中ですが……。なんだ。切れちゃってるよ」
 里中が素早く着信履歴を見た。「誰だろ。非通知だ」
「きょうび、ワンギリっちゅうのは流行らんのやけどな」
 谷口が茶化したような口調で言った。「意外と村上からの探りの電話やったりして……」
「うーん。しかし、それはないだろう。かけるとしたら、ぐっさんの携帯だよ。こっちの番号は教えていないんだからね」
「それもそうやな。まあ、間違い電話かも知れんし、気にせんでもええんちゃう」
「うむ。それはそうと、いま思いついたんだが、用心のために携帯は呼出音が鳴らないようにしとこう。そして、向こうでのやり取りはすべてメールで行なうことにする」
「そうやな。肝心のときに、いまみたいに電話が入っても処置に困るからな」
 谷口が携帯を操作し、三田もそれに倣って自分の携帯を消音モードにした。
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