一話完結
文字数 1,995文字
「菜々子ちゃん、急に混みだしたね」
「母の日のタイムセールですから」
私はレジのスキャナーに商品のバーコードを読み込ませながら常連客に短く答えた。
高校のクラスメートの紹介で地場のスーパーのアルバイトを初めて三カ月、常連客に声を掛けられるようになった。いつもなら二言三言話すのだけど、レジに長い列ができているのでそうもいかない。
常連客から代金を受け取り、型通りの挨拶をして次の客を迎える。黄色い帽子をかぶった男の子がレジカウンターから頭を出していた。
男の子が肩から下げているバッグにはたくさんのタンポポの花が詰められていて、服にも泥がついている。遊び帰りの幼稚園児という感じだ。首からぶら下げているお守り袋には町内のはずれにある香段寺の名が刺繍されているから、町内に住んでいる子供なのだろう。
男の子はおにぎり一つとお守り袋から取り出した百円玉をカウンターに置いた。
「いらっしゃいませ」
私はそう言って、おにぎりに付いているバーコードを読み込ませる。
「百八円なんだけど、あと八円ある?」
男の子は困惑した表情を浮かべた。
「これしか持ってない。百円って書いてあるけど、ダメなの?」
「百円は税抜きの価格で、消費税の八円もいるの。誰か一緒に来た人はいない?」
「僕一人」
どうやら、一人でお使いに来たようだ。
「買えないの? お母さん、ずっと食べてないんだ」
男の子は目にうっすらと涙を浮かべ、懇願するように見つめてきた。
母親が臥せっているのだろうか。自腹で足りない分を出してあげたいけど、財布は更衣室のロッカーの中にある。そもそも、そういう行為は違反だ。
「ごめんね」
男の子に顔を近づけて言うと、男の子は百円玉をお守り袋に仕舞い込み、肩を落として出口の方に向かって歩いて行った。
可哀そうだけど仕方がない。私はおにぎりをカウンターの下に置き、次の客を迎えた。バーコードを読み込ませながら商品をカゴに入れていると、列に並んでいる主婦の会話が聞こえてきた。
「変ね、あの子の母親は昨年の今頃に亡くなっているのよ」
「後妻さんでも貰ったんじゃないの」
「町内会長さんがあの子の父親に再婚相手を世話しようとしたら、断られたそうよ」
「なら、どういうことなのかしら?」
私は主婦と同じ疑問を抱きながら黙々と業務を続けていると、店内に戻って来た店長と店員がレジ横にあるカゴを片付けながら会話を始めた。聞くつもりはなかったけれど、声が耳に入ってくる。
二人は店の外であの男の子に香段寺の裏手にある墓地への道順を尋ねられて教えたものの、無事に行けたか心配しているようだった。
店長らの話で、私は男の子の言っていた言葉がわかった気がした。男の子はおにぎりを母親の墓前に供えるつもりだったに違いない。何だか酷く可哀そうなことをしたと思えてきた。何とかしてあげたいけれど、客が長い列を作って並んでいるので抜け出すこ訳にもいかない。気ばかりが焦る。
ようやくタイムセールが終わり、レジに並ぶ客はいなくなった。
私はカウンターの下に置いたおにぎりにシールを貼り、レジスターの引出しから一円玉を三枚取り出した。
「ちょっと抜けます」
向かいのレジにいるおばちゃんに声を掛け、店を飛び出した。あの子はまだ墓地にいるだろうかと不安になりながら全力で走った。
墓地に着き、辺りを見回した。あの子が墓石を囲むようにタンポポを置いているところだった。そっと近付いた。
「あっ、スーパーのおねえさん」
きょとんとする男の子に、私はおにぎりを差し出した。
「僕、百円しか持ってないよ」
「一割引きのシールが貼ってあるでしょう。だから、税込みで九十七円なの。百円で大丈夫だよ」
そう言うと、男の子は嬉しそうに口角を上げた。
私は百円を受け取っておにぎりとお釣りの三円を渡し、「ありがとうございました。また、ご利用ください」と言い、お辞儀をしてその場を離れた。背後から男の子の声が聞こえてくる。
「お母さんが好きだったおにぎりだよ。僕、頑張ってるから安心して」
間違ったことをしたかもしれないけど、これで良かったのだと自分に言い聞かせた。
スーパーに戻ると、店長が待っていた。
職場放棄したうえにレジのお金を持ち出したのだから、クビを言い渡されるのだろう。みんな優しくていい職場だったけど、仕方がない。
「勝手なことをして、すみませんでした」
深々と頭を下げた。
「おにぎりは渡せたかい?」
「えっ」
店長がなぜ知っているのかと驚いていたら、向かいのレジにいたおばちゃんが手を小さく振っていた。一部始終を見ていたおばちゃんが店長に教えたらしい。
「渡せました。これ、おにぎりの代金です」
百円を店長に渡した。
「えっ売ったの? この店で行商をやったのは奈々子ちゃんが初めてだよ。偉い、偉い」
店長は笑いながら去って行った。
どうやら、クビにならずに済んだみたい。
<了>
「母の日のタイムセールですから」
私はレジのスキャナーに商品のバーコードを読み込ませながら常連客に短く答えた。
高校のクラスメートの紹介で地場のスーパーのアルバイトを初めて三カ月、常連客に声を掛けられるようになった。いつもなら二言三言話すのだけど、レジに長い列ができているのでそうもいかない。
常連客から代金を受け取り、型通りの挨拶をして次の客を迎える。黄色い帽子をかぶった男の子がレジカウンターから頭を出していた。
男の子が肩から下げているバッグにはたくさんのタンポポの花が詰められていて、服にも泥がついている。遊び帰りの幼稚園児という感じだ。首からぶら下げているお守り袋には町内のはずれにある香段寺の名が刺繍されているから、町内に住んでいる子供なのだろう。
男の子はおにぎり一つとお守り袋から取り出した百円玉をカウンターに置いた。
「いらっしゃいませ」
私はそう言って、おにぎりに付いているバーコードを読み込ませる。
「百八円なんだけど、あと八円ある?」
男の子は困惑した表情を浮かべた。
「これしか持ってない。百円って書いてあるけど、ダメなの?」
「百円は税抜きの価格で、消費税の八円もいるの。誰か一緒に来た人はいない?」
「僕一人」
どうやら、一人でお使いに来たようだ。
「買えないの? お母さん、ずっと食べてないんだ」
男の子は目にうっすらと涙を浮かべ、懇願するように見つめてきた。
母親が臥せっているのだろうか。自腹で足りない分を出してあげたいけど、財布は更衣室のロッカーの中にある。そもそも、そういう行為は違反だ。
「ごめんね」
男の子に顔を近づけて言うと、男の子は百円玉をお守り袋に仕舞い込み、肩を落として出口の方に向かって歩いて行った。
可哀そうだけど仕方がない。私はおにぎりをカウンターの下に置き、次の客を迎えた。バーコードを読み込ませながら商品をカゴに入れていると、列に並んでいる主婦の会話が聞こえてきた。
「変ね、あの子の母親は昨年の今頃に亡くなっているのよ」
「後妻さんでも貰ったんじゃないの」
「町内会長さんがあの子の父親に再婚相手を世話しようとしたら、断られたそうよ」
「なら、どういうことなのかしら?」
私は主婦と同じ疑問を抱きながら黙々と業務を続けていると、店内に戻って来た店長と店員がレジ横にあるカゴを片付けながら会話を始めた。聞くつもりはなかったけれど、声が耳に入ってくる。
二人は店の外であの男の子に香段寺の裏手にある墓地への道順を尋ねられて教えたものの、無事に行けたか心配しているようだった。
店長らの話で、私は男の子の言っていた言葉がわかった気がした。男の子はおにぎりを母親の墓前に供えるつもりだったに違いない。何だか酷く可哀そうなことをしたと思えてきた。何とかしてあげたいけれど、客が長い列を作って並んでいるので抜け出すこ訳にもいかない。気ばかりが焦る。
ようやくタイムセールが終わり、レジに並ぶ客はいなくなった。
私はカウンターの下に置いたおにぎりにシールを貼り、レジスターの引出しから一円玉を三枚取り出した。
「ちょっと抜けます」
向かいのレジにいるおばちゃんに声を掛け、店を飛び出した。あの子はまだ墓地にいるだろうかと不安になりながら全力で走った。
墓地に着き、辺りを見回した。あの子が墓石を囲むようにタンポポを置いているところだった。そっと近付いた。
「あっ、スーパーのおねえさん」
きょとんとする男の子に、私はおにぎりを差し出した。
「僕、百円しか持ってないよ」
「一割引きのシールが貼ってあるでしょう。だから、税込みで九十七円なの。百円で大丈夫だよ」
そう言うと、男の子は嬉しそうに口角を上げた。
私は百円を受け取っておにぎりとお釣りの三円を渡し、「ありがとうございました。また、ご利用ください」と言い、お辞儀をしてその場を離れた。背後から男の子の声が聞こえてくる。
「お母さんが好きだったおにぎりだよ。僕、頑張ってるから安心して」
間違ったことをしたかもしれないけど、これで良かったのだと自分に言い聞かせた。
スーパーに戻ると、店長が待っていた。
職場放棄したうえにレジのお金を持ち出したのだから、クビを言い渡されるのだろう。みんな優しくていい職場だったけど、仕方がない。
「勝手なことをして、すみませんでした」
深々と頭を下げた。
「おにぎりは渡せたかい?」
「えっ」
店長がなぜ知っているのかと驚いていたら、向かいのレジにいたおばちゃんが手を小さく振っていた。一部始終を見ていたおばちゃんが店長に教えたらしい。
「渡せました。これ、おにぎりの代金です」
百円を店長に渡した。
「えっ売ったの? この店で行商をやったのは奈々子ちゃんが初めてだよ。偉い、偉い」
店長は笑いながら去って行った。
どうやら、クビにならずに済んだみたい。
<了>