一片の桜の花弁、一輪のタンポポ
文字数 2,135文字
今あなたは
人々の群れから離れて
孤独に過ごす時間が
長くなっていることだろう
それによってあなたという存在の輪郭が
次第にくっきりとしてきているに違いない
人々の群れの中に当然のように
溶け込んでいた時のあなたは
他人の思考とあなた自身の思考の境目が
曖昧になっていて
一体何処までが他人の思考で
何処からがあなた自身の思考であるのか
良く分からずに戸惑うことが
時々あったかも知れない
そのために他人が追い求める夢を
あなた自身の夢だと勘違いしてしまい
その夢を手に入れようと
必死になったこともあるだろう
けれども手に入れてみれば喜びも束の間で
そのために
それはあなた自身が心底欲していた
夢ではなかったと気付くことの繰り返しだった
しかしあなたは今
人々の群れから離れて
一人で孤独に過ごす時間が長くなっている
その分本来のあなた自身と
一緒にいられる時間が
長くなっているだろう
以前ならば他人の動向ばかりが気になって
本来のあなた自身の存在に
気付かない振りをすることが
多かったかも知れない
もしかしたら他人の動向ばかりを気にして
他人と同じような生き方を選んでいる方が
ある意味楽な生き方だとも
言えるのかも知れない
他人と同じような生き方さえ選んでいれば
称賛されることはない代わりに
批判されることもないからだ
けれども有り余る孤独な時間の中で
本来のあなた自身の声に耳を傾けてみれば
本当はあなたがどう生きたいのか
切々と訴え掛けてきていることに気付くだろう
それはきっと
他人と同じような生き方ではないのだろう
あなたが薄々感付いていた
天命や使命に沿った独自の
輝かしい生き方である筈だ
そこに気付いたらあなたはもう
目覚めずにはいられない
そして一度目覚めたなら
もう眠った振りをしながら
生きていくことは出来ない
あなたという存在の輪郭が
冴え冴えと美しく磨かれてきたのだから
それでもあなたが
凡庸な振りをして群集の中に
紛れ込んでいる時
あなたには名前すらない
それは誰しもが群集を眺めやる時
人々の群れとして一塊にしか考えないからだ
例えば霞(かすみ)が棚引くような
満開の桜の花々を眺める時
大概は木の一枝や花の一房ずつを眺めるだろう
そんな時一片一片の花弁にはそれほど
意識を向けることはないだろう
或いは長閑な野原に
黄色く明るい絨毯のようにして咲き乱れる
タンポポの群生を眺める時には
ポストカードのように
全体の風景として楽しみ
たった一輪のタンポポに着目することは
少ないだろう
それは群れとして存在していれば
他と同じだと思い一片や一輪を
それ以上知ろうとは思わなくなるからだ
けれども車のフロントガラスに
はらりと一片だけ桜の花弁が貼り付けば
そこはかとない情緒を感じて
思わずじっと見入ってしまうだろう
それは数千億枚に及ぶ桜の花弁の中の
たった一片
それからアスファルトの割れ目から
茎と葉を逞(たくま)しく伸ばした
一輪のタンポポを見掛けた時には
底知れない生命力を感じて
思わずじっと見入ってしまうだろう
それは数百億輪に及ぶタンポポの中の
たった一輪
それらは群れで存在していた時には
他の桜の花弁やタンポポとは殆ど
見分けが付かない存在だった
しかしその群れの中から離れて
自分独自の道を歩き始めた途端
他の何者とも似ていない
実に興味深い存在になっていった
それと同じようにして
あなたが天命や使命に沿った独自の
輝かしい生き方を貫く覚悟があるのなら
一片の桜の花弁や一輪のタンポポのように
凛とした孤高の存在になることだろう
それこそが本来のあなた自身の姿なのだ
あなたは他の誰とも似ていない
あなたにはあなたにしか歩めない道がある
そういった意味で人は皆孤独な存在
ただそれぞれに道は違っても
所々で交差する機会は沢山ある
それを出逢いと呼ぶこともあるが
あなたという存在の輪郭が
くっきりしていなければ
相手にとってはその他大勢の中の一人として
埋もれてしまうだけだろう
それはスクランブル交差点で
大勢の人々が無作為に擦れ違うようなもの
それでは出逢いにはなり得ない
だからこそあなたはあなたとして
独自の輝かしい道を歩む必要があるのだ
相手にとってあなたが
一片の桜の花弁や一輪のタンポポになった時
初めて興味を持って瞳の中を
覗き込んでもらえるようになるだろう
その時世界は祝福に満ちていることを
知ることになる筈だ
そう 世界からの祝福は
常に独自の輝かしい道を歩んでいる
あなたと共にある
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