よくないもの
文字数 2,444文字
水曜の午後、客先からの帰り。
このまま直帰しようかと考えながら、信号待ちをしていた時のことだ。
高級そうなスーツをラフに着崩した安倍は、一言で言えばうさん臭かった。
それでも「立ち話もなんですので」と目の前にある喫茶店へさっさと向かうその背中を私は追いかけてしまう。
この「うさん臭いのに妙な信頼感のある感覚」を、私は良く知っていたのだ。
よくないもの、などと言われても分からない。
私が戸惑い、コーヒーに手を伸ばすと、安倍は私の手首に指を伸ばし、そこから『こより』のようなものをスッと抜き出した。
手品か何かだろうか。
驚いて見ている私の前で、安倍はこよりを広げる。
そこには朱色の墨で何やら文字が書かれていた。
灰皿の上にこよりを捨て、マッチで火をつける。
こよりは一瞬で炭になり、ぽろぽろと崩れた。
確かに、言われてみれば頭がすっきりしたようにも思える。
それに、なぜだか今の私には、安倍の言っていることがウソではないと分かった。
安倍は笑う。
そういうものかと納得した私は、喫茶店のドアベルがカランカランとなるのを聞き、振り返った。
ぜぇぜぇと息を切らし、そこに立っていたのは芦屋。
時々不思議で面白いことを話して聞かせてくれる、古くからの私の友人で、30を過ぎても定職にもつかずふらふらしているフリーター。
それでも、どこか憎めないところがあるので、なんだかんだ言いながらも、付き合いは続いていた。
芦屋は黙って私の隣の椅子に座り、ちらりと視線を向ける。
その言葉がウソでない事は、今の私にはよくわかった。
と言うことは、つまり、芦屋は私の『強い力』とやらを弱め、ことあるごとに寄ってくるその『よくないもの』がらみで、私から金をとっていたことになる。
芦屋はさっき見たのと同じ紙をこよりの様に細くねじり、私の前に置いた。
芦屋と安倍の視線が絡む。
どちらもウソは言っていない。
芦屋は、本当に私のことを心配して「力を弱めた方がいい」と言っているし、安倍は、私の周りから今までのような『よくないもの』を除くために、力は抑え込まないほうがいいと言っている。
私は悩んだ末に、芦屋へと体を向けた。
言葉は
芦屋は、ささやくようにそれでいて素早く、こよりを私に向けて持ち、消して見せた。
確かに、現金で貸した金については、芦屋は律儀に返しに来ていた。
飲食をおごらされた分は、その限りではないが。
そう私が訂正すると、安倍は面白そうに笑い、テーブルに1万円札を置いて立ち上がった。
安倍が去った後、四人掛けの席に二人で並んでいるのが気恥ずかしかった私は、安倍の座っていた席に移動する。
芦屋は大きくため息をつくと、安倍の置いていったお金をちらりと見て、コーヒーとナポリタンのセットを注文していた。
まるで数日何も食べていないような勢いで、芦屋はパルメザンチーズを山のようにかけたナポリタンを掻き込む。
しばらくそれを眺めていた私は、我慢できなくなって疑問を口にした。
でも、そのたびに何かをおごらされることになるのではないか。
私が聞くと、芦屋は最後のナポリタンを飲み下し、紙ナプキンで口を拭いた。