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それは、19世紀のロンドンで、貧しい子供たちがよくやる仕事のひとつだった。
この時代の路上は、ゴミや埃、馬車馬の
そのため、パリッとしたズボンの紳士や、長い裾のドレスを着た御婦人が道を横切ろうとすると、箒を持った子供がさっと駆け寄り、行く手を掃いてチップを貰うというサービスが重宝がられた。
ライアンもそんな子供のひとりだった。
リージェント・ストリートの西端が主な居場所で、ものすごい勢いで行き交う馬車を、ひょいひょいと器用に避けながら商売に精を出した。
そんなふうにしていると、それなりに得意客ができるもので、モリスなどは、ライアンのお気に入りだった。
中肉中背、青灰色の瞳に撫でつけたライトブラウンの髪といった、パッとしない容姿をした若者だが、新たに中産階級と呼ばれるようになった人々の代表的な職業のひとつ、株式仲買人をやっている。
いつも同じ時間に出勤し、チップもケチらないので、定収入を見込めるまずまずの上客なのだ。
それになにより、他の連中と違って、ゴミかなにかのような目でライアンを見ないのがいい。
「やあライアン。いい天気だね」
「まったくです、旦那」
そんな軽い会話をし、颯爽と会社へ向かう背中を見送るのが、いつしか毎日のルーティンとなっていた。
だが、その日は違った。
モリスが渡りきったところで、若い婦人がちょうど正面の店から出てきた。
流行りのモーヴ色の生地に濃い紫のリボンとレースをふんだんにあしらった、襟が喉元まで詰まったバッスルスタイルのドレスが、印象的なすみれ色の瞳をいっそう際立たせている。
合わせた色の帽子が、ドアの縁にぶつかって落ちた。さらに編み上げていたブルネットの長い一房が、はらりと肩口にほどける。
かがんで帽子を拾い、うやうやしく差し出していたモリスは、その巻毛の軽やかな動きに目を奪われる。
女性は目の前の純情な青年に、手を差し出した。その様子はまるで、騎士に手の甲への忠誠のキスを要求する高慢な貴婦人のようだ。
しかし実際は、ぼうっと見惚れている手から、帽子を取るためだった。
そして、手袋をしたまま帽子と髪を簡単に直すとすぐに、ドレスの裾を持ち上げ、さっさと通りを横切り始めた。
成り行きを見ていたライアンは、慌てて箒を使った。渡り終えてチップを払うと、その女性は馬車をつかまえ、その場を去っていった。
通りの向こうに目をやると、モリスはまだ、さっきいたところに立ち尽くしたままだ。
しばらくするとようやく我に返ったのか、あたりをキョロキョロと見回し、なにか落ちていたものを拾った。
それを見てしばらく迷っていたようだったが、懐中時計を見て遅刻しそうなことに気づいたらしい。手にしたものをポケットに入れ、あわてながら走るようにして会社へと向かった。
いつも冷静沈着な彼らしくない。
だが、路上で色々な人間を見てきたライアンにはわかっている。
しごく真面目な青年が、あのミステリアスな御婦人に、ひと目で恋に落ちたのだと。