海蛍 31

文字数 1,027文字

 部屋は再び闇と静寂に戻った。
「可哀想なことをしてしまった。済まない、カオル」
ランプの仄かな灯りは、今まで見たことのないほど辛そうなアランの顔を浮かび上がらせていた。
「ジョージは本当に気のいい奴だった。叔父が名のある議員だが、そんなことを鼻にもかけず俺たち兄弟といつも一緒にいたよ、笑う時も泣くときもな。しかし奴に心臓の病気が見つかって徴兵されなかった。ここで俺たち兄弟を見送ってくれたよ。パイロット志望で努力を重ねていた奴には辛かっただろうと思う。兄のライナスの戦死を知らされ今はまだ、正常ではないんだ。どうか許してやって欲しい」
日本兵である自分に謝罪の言葉を紡ぐアランに薫は思わず叫んだ。
「どうして!どうしてあなたの兄を殺した日本兵の私をそこまでして庇うのですか!?彼の態度が正常だってことに、あなたは気づかないのですかっ!」
「だったら私はキャプテン・ヒュウガを殺したアメリカ兵だ。カオルは私を殺したいほど憎いか?」
薫の瞳から涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。喉の奥に否定とも肯定とも付かない言葉が重く貼り付き出て来ない。
「キャプテン・ヒュウガの死に様は辛く苦しいものだっただろう。しかし、彼は言ったんだろう?『死ぬ自分よりも、生き残るカオルの方がもっと辛いはずだ』と。キャプテン・ヒュウガはカオルに自らの命と共にその辛い役割を託したんだ。私も兄ライナスの存在がなければ、こんな考えには至らなかっただろうと思う。今は私たちふたりしかいない。でも、きっといつか誰もが争いの愚かさに気付き、やがてこの手が宗教や人種を超えて、多くの者たちと繋げることを夢見ようじゃないか。ライナスやキャップテン・ヒュウガが生きていたなら、その命を懸けてでもしたであろう、重き荷を背負いながら気が遠くなるほどの旅を始めようじゃないか。ジョージに誹りを受けたとき、私は心の中でほくそ笑んだんだ。『ライナス、俺は頑張っているぞ』ってな」
闇でアランが笑う気配がした。
「私に、そんな価値があるのでしょうか?」
「価値か……重く難しい言葉だな」
兄を失い帰還したアランもまだ、苦しみの中にいることを悟り薫は自分の繰り出した言葉の軽率さを恥じる。
「生き残った者たち皆が、どうしていいのかがわからずにいるんだ。夜明けまではまだ時間がある。さぁ、上の部屋のベッドで今夜はこれ以上、余計なことは考えずに休もう」
先行くアランが手にしたランプの灯りを、縋る思いで薫は後を追った。
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