雪に埋もれた街

文字数 9,820文字

 寒い。寒い。寒い。
 吹雪いてはいないのに、深々(しんしん)と体温が奪われていく。積もった雪は深く、一歩進む(ごと)に、体力がざくざくと削られていく。
 ああ。……おれ、ここで死ぬのかな。
 あまりの絶望的状況に、思わずははっと笑いが零れる。
 ふと立ち止まり、ぼうっと眼前の景色を眺める。
 薄鈍色(うすにびいろ)の空から、花弁(はなびら)のようにはらはらと舞い降りる雪。黒い街灯は雪の重みで折れ曲がり、家々の入り口は、積もった雪で塞がれている。雪景色の中、唯一の色彩は、建物に使われている煉瓦(れんが)の赤茶。皮肉なことに、白い世界に一層よく映える。
 窓には明かり一つ灯っていない。
 それどころか、生き物の気配すら感じられない。

 ……冷たい。冷たくて寂しい。
 忘れ去られた街。捨てられた街。

 ーーーーこれが、雪に沈んだ街…スノウサンク……。




「ん……」
「あ……気が付きましたね」
 声のした方へ首を巡らせる。色白の女性が、目を細めて微笑む。
「もう大丈夫ですよ。身体、動かせますか?」
 言われて、布団の中で手をぐっぱっぐっぱっと握ったり開いたりしてみる。
 ……大丈夫そうだ。続けて、ゆっくりと身体を起こす。
「違和感や痛みはないですか?」女性が心配そうに訊いてくる。
「だ……っ」
 大丈夫そうですと答えようとしたら、咳き込んだ。
「けっほけほっ、けほっ、けほけほっ…」
「大丈夫ですか⁈」女性が慌てた様子で、背中を(さす)り、カップを差し出してくれる。少し落ち着いてから受け取り、中身をそっと口に含む。柔らかな口当たりで、ほんのり甘い。
「蜂蜜を加えた白湯です。甘いの……お嫌いでしたか?」
「いえ……」少し掠れる声で答える。
「良かったです。ごくごく飲むとまた咳き込んじゃいますから、ゆっくり、飲んで下さいね」
 おれは頷いて、もう何口か、白湯を飲む。
「……ふう。ありがとう、ございます」
 白湯のお陰か、今度は咳き込まなかった。
「どういたしまして」女性が、ほっとしたように微笑む。
 少し落ち着いたからか、周りを見る余裕が生まれる。
 ……そういえば、ここは何処で、この女性は誰なんだ?
 改めて女性を見る。二十代……後半くらいだろうか。まっ白な長髪に、薄い水色の瞳。肌は少し白く、美人で落ち着いた雰囲気。全体的に儚げな印象が強い。
「……あ、耳が」
 思わず呟いてしまってから『しまった』と思う。
 女性は目を細める。
「はい。私には、雪を司るエルフの血が流れています」
 言われて、もう一度耳を見る。
 女性の耳は、少しだけ長く、先が尖った形をしていた。
「……ハーフ、エルフ?」
「はい。父が雪のエルフなんです。ですから私にも、魔法が使えるんですよ」
 女性は少し得意げに言う。
「……もしかして、おれを助けたのも魔法ですか?」
「いえ……貴方の容態は、まだ魔法の力を借りなくても大丈夫なものでしたので……勝手に運んで、介抱させて頂きました」
「えっ、運んだんですか⁈ おれを⁈」
 女性が微笑む。
「はい」
 おれは面食らって黙り込む。  
 ずっと歩いて旅をしてるし……これでも一応、自分の身は自分で守れるくらいには、鍛えている筈なんだけど……。
「……力持ち、なんですね」
 女の人に抱えられた事実に軽くショックを受けながらそう言うと、女性はしばらく間を置いてから、はっと何かに気付いたように赤面し、慌て始めた。
「いえっ! あのっ、違いますっ!! いえあの、運んだのは、はい、運んだのですけれど、そのっ、私一人だった訳ではなくてですね」
 女性は慌てた様子のまま『ちょっと待ってて下さい』と席を立つと、部屋から出て行ってしまった。
 おれは呆気(あっけ)に取られ、そのまま女性の出て行った扉を眺める。白い壁だからか扉も白い。ドアノブは落ち着いた金色で、遠目で分かりにくいが、何か意匠が施されてるっぽい。視線を下へ向けると、部屋に敷き詰められた絨毯は、暖かそうな明るい赤色。ベッドの右後ろには、お洒落な猫脚の机と椅子。
 派手過ぎず地味過ぎず、家主のセンスの良さが窺える部屋だ。
「ベッドと机くらいしか無いけど……客間かな、ここ」
 部屋を見回したり身体を伸ばしたりして暫く待っていると、やがて扉が開き、女性が部屋へと入ってくる。
 ……ん? なんか増えてる?
 女性は小さな子供のような何かを、二人……いや二体? 連れて来ていた。
「お待たせしました。運ぶのは、この子達に、手伝って貰ったんです!」
「はあ……」
 言われて、その小さな子供のような何かへ視線を向ける。裾に模様の入った白い頭巾を被り、胸元には大きなリボン。頭巾の下の服? は、藤色と水色の色違いの布を巻いている。布と同色の目はまん丸く、外に浮いている手もまたまん丸い。
「っていうか、えっ⁈ 手が浮いてる⁈ あっ、足がないっ!!
「うるさいぞ! にんげん!」
「シャベッタアア⁈」
「あーっ、待って下さい待って下さい! 今説明しますからーーっ!」


「なるほど……作った雪だるまが使い魔に……」
 おれは改めて、頭巾姿の二人を見る。藤色の布を巻いているのがスノウ、水色の布を巻いているのがシュネーというそうだ。そのシュネーに、『にんげん、おまえ、

はなんという』と訊かれ、ついでにおれ達は互いの自己紹介を済ませた。女性の名前はユキハさんというらしい。
「……やっぱり、ハーフエルフだから……なんですか?」
 ユキハさんが首肯する。
「はい。父は、私の魔力が強いからだろうと言っていました。……小さい頃は、その魔力の強さのせいで色々と大変でしたが……お陰で、この子達と出逢えました」
 女性が頬を染めて嬉しそうに微笑む。
 エルフは魔法の使える種族。その混血、ハーフエルフもまた、魔法が使えるということは知っていたが……まさか、子供が作った雪だるまが、そのまま使い魔になるなんて。
「……現実は、常に想像の

を行くか」
 思わず呟いた言葉に、ユキハさんが『面白い言葉ですね』と、興味を示す。おれは苦笑しながら答える。
「親父の言葉なんです。冒険好きで、しょっちゅう家を空けては、沢山のお土産と武勇伝を持って帰ってくるような人で……まあ、その影響(おかげ)で、おれもこうして、冒険野郎をやってる訳ですけど」
 あははは……と、おれは誤魔化すように笑う。ユキハさんはより興味を持ったのか、身を乗り出して訊いてくる。
「どんなお話をされていたんですか?」
「えっと……」


「すごいですね! 手、大丈夫だったでしょうか?」
「あはは。次の日は筋肉痛が泣くほど痛かったそうです。芋の皮剥きはもう()()りだって言ってましたよ。でも母さんに頼まれると、『俺の右腕に出るものはいない!』とかなんとか言って張り切って」
「まあ!」
 親父の話を、ユキハさんは表情をころころ変えて、とても楽しそうに訊いてくれる。それが嬉しくて、おれも夢中になって親父がしてくれた話を、彼女に話して聞かせる。
 さて、次は何を話そうか。そう考えていたら、何処からともなく、ぐうううぅ……と低い音が鳴り響く。何の音だろう? と一瞬首を傾げ、それが自分の腹からだと気付いて、おれはやっと空腹を自覚した。ユキハさんが口元を隠して笑う。恥ずかしさに、頬が少し熱くなる。
「ふふふっ、恥ずかしがらないで下さい。回復してきた証拠です。待ってて下さいね。今、お食事を用意して来ますから」
 行きましょう、とユキハさんはスノウを連れて部屋を出て行く。
 部屋には、おれとシュネーだけが取り残された。
 取り敢えず互いの顔を見る。

 ーーーー沈黙。

 さっきまでの楽しい空気は、何処へやら。多分、ユキハさん達と共に、部屋の外へと出て行ってしまったのだろう。……心なしか、部屋の温度も少し下がったような気が……。
 っていうか、なんかおれ、こいつに嫌われてるような気がするんだけど……何でだ?
「いつまでみているつもりだ? にんげん」
「あっ、ごめん!」
「ふんっ」
 シュネーは水色の目を半眼にすると、おれをじいっと睨んでくる。……人に言っといて、自分は見るのかよ。
 やがて興味が無くなったのか、シュネーは視線を外すと、おれのいるベッドの向こう側……おれから見て、左手の窓へと視線を移す。
 ……何だ? 窓になんかあるのか?
 おれも釣られて窓の外を見る。外では相変わらず、静かに雪が降っている。
「……にんげん」
「な、何ですか」シュネーを見る。
「……………」
 何なんだよ……。
 シュネーは長い沈黙の後、ぽそりと『かんしゃする』と呟いた。おれは面食らう。
「えっ」
 シュネーは繰り返した。「かんしゃする、と、いったのだ」
 それから静かに、『……ユキハの

えがおは、ひさしぶりにみた』と続けた。
「本当の笑顔……?」
 おれが訊くと、シュネーは頷く代わりにゆっくりと瞬きをして答える。
「うむ。……にんげん。おまえ、このまちにきて、なにかおかしいとは、かんじなかったか?」
「え?」
 おかしい? おかしいと思ったこと……
 おれは考えて、シュネーの言わんとしていることに気付く。
「……人が、一人も居なかった」
 街灯も、曲がったまま。扉の前まで積もった雪は掻かれることなく、明かりの点いた家も一軒もなかった。
 シュネーがまたゆっくりと瞬きをする。
「そうだ。このまちは……


 えっ……
 おれは思わず絶句する。
 シュネーはおれに構わず言葉を続けた。
「もう、なんじゅうねんもまえのことだ。ゆきをつかさどるまものが、このまちのちかくのやまにすみついた。……おかげでまちは、いちねんじゅうゆきのふりつづける、きびしいかんきょうへとへんぼうした。……このまちのにんげんたちも、さいしょのころは、そのまものを、たおすなりよそへいってもらうなり、どうにかしようと、てをつくした。……だが、しだいにあきらめるものがふえ……けっきょく、みな、まちをさっていった」
 シュネーは目を閉じる。
「……のこったのは、ユキハ、ただ、ひとりだけだ」
 えっ?
「一人だけ……? お父さんと、お母さんは?」
 シュネーが静かに答える。
「ふたりとも、まものにいどんで……しんだ」
「……っ」
 そんな……。
 ……この街が、雪に沈んだ街と言われていることは知っていた。
 けれど、そんな事情があったなんて……。
 シュネーはゆっくりと目を開けると、再び話し始める。
「……ふたりがいなくなってから、ユキハはしばらく、なにもたべず、へやにこもったまま、しんだようにひびをすごしていた。……だが、やがてさびしさがすこしはやわらいだのか、きちんとしょくじをとり、そとへもでかけられるようになった。……が、それからユキハは、あまりえがおをみせなくなった。さすがにもうなんじゅうねんもたっているから、まったくわらわないなんてことはなくなっているが……それでも、むかし、まだふたりがいきていたころのユキハのえがおには、もどらなかった」
「だが……」シュネーはこちらへ視線を向ける。
「おまえのはなしをきいているときのユキハ、そのえがお。……あれは、もとのユキハのえがお、そのものだった。……ひさしぶりにみた。たのしそうなユキハ。ほんとうのえがおのユキハ。……だから、かんしゃする、にんげん……いや、


 『ありがとう』と、シュネーは後ろを向いてから呟いた。
 おれは慌てる。
「そんな……おれの方こそ、ユキハさんのお陰で助かったのに。……ユキハさんが助けてくれなかったら、おれは……多分……」
 ……死んでいただろう。きっと、間違いなく。
 死因は恐らく、凍死。文字通り、凍えて死んでいた。
「……ユキハさんは、命の恩人だよ。幾ら返しても、足りないくらいだ。おれはただ親父の話を聞いて貰っただけで……礼を言われるようなことなんて、何もしてない」
 おれの言葉に、シュネーがまるで人間みたいに、ははっと笑う。
「ユキハはきっと、なにもいらない、『げんきになってくれてよかった』……そういって、わらうだろう。……ユキハは、やさしいこだからな」
「ああ……」
 確かに。出会ってまだそんなに経っていないおれでも、そう言って微笑むユキハさんは、想像に難くない。
 おれは後ろを向いたままのシュネーに、声をかける。
「話してくれて、ありがとうな」
「……ひまだっただけだ」

 ユキハさんの、“素直じゃない使い魔”と、少しだけ、仲良くなれたような気がした。


 それから(しばら)くして、ユキハさんが持ってきたスープをご馳走になり、おれ達はまた親父の話で盛り上がった。ユキハさんは終始楽しそうで、時折、目の端に涙を浮かべるほど笑っていた。


「それじゃあ、お休みなさい」
「お休みなさい」
 部屋の前で挨拶を交わし、ドアノブに手を掛ける。
 夕方にはすっかり体調も良くなり、夕食はダイニングで、ユキハさん達と一緒に摂った。
 メニューは柔らかい白パンと、昼のスープに少しアレンジを加えたもの。ユキハさんは料理が得意らしく、どちらもとても美味しかった。
 扉を閉めて、ふと壁に目をやる。
 ベッドにいた時は気付かなかったが、この部屋の壁は白一色ではなかった。こうして近付くと、白地に、銀の雪の結晶模様が入っているのが分かる。模様は特殊な塗料を使っているらしく、光が当たると反射してきらきらと輝く。振り返って、部屋を見渡す。
 ふかふかの赤い布団と暖かな白い毛布。
 質の良い大きなベッド。
 落ち着いているが暗過ぎない色味の猫脚の家具。
 ……ずっと使われていなかったはずなのに、この部屋には埃一つ落ちていなかった。

 ……こんなに、良い部屋なのに。

 ……誰かに使われるのを、ずっと待っているのに。


 部屋の暖かな色味が、その寂しさをより強く感じさせていた。




「あ、おはようございます。よく、眠れましたか?」
 匂いに釣られてダイニングへ行くと、エプロンを着けたユキハさんが、笑顔で迎えてくれた。彼女はシュネー達と、テーブルに朝食を並べている。
「あの、おれも手伝います!」
「いえ。ユウトさんは座っていて下さい。もう終わりますから」
 やんわりと断られてしまった。
 肩を落としていると、通りすがったシュネーが、『

はいらないとよ』とさらりとトドメを刺していく。
「こらっ、シュネー! ユウトさん違うんです! 決してそういう意味で言った訳では……!」
「ああ、大丈夫です。大人しく…座って待ってます……」
「あっ……んもうっ、シュネー!!
 ユキハさんがシュネーに(とが)めるような視線を向ける。しかしシュネーはどこ吹く風でキッチンへと消えていく。
 その隣をスノウが滑るように通り過ぎ、器用にお皿を揺らさず椅子に登ると、おれの前に半熟の目玉焼きと茹で野菜の載ったお皿を置いていく。
「ありがとうな。スノウ」
 スノウはゆっくり一度瞬きをすると、来た時のように滑るように、キッチンへと戻って行った。
 シュネーと違い、スノウは話すことが滅多にないらしい。雪だるまにも個性があるんだろうか。
「……っていうか、(あった)かいお皿持って、手溶けたりしないのかな」
 今置かれた目玉焼きからはしっかりと湯気が立ち上っているし…………謎だ。
 どういう仕組みなんだろう……。
 熱々のお皿を持って行き来する不思議な雪だるま達を観察しながら待っていると、『お待たせしました。これで最後です』と言って、ユキハさんが湯気の立つスープを運んで来てくれた。今朝のスープはコーンスープらしい。コーン粒の代わりに、クルトンが浮いていた。
「それじゃあ食べましょうか」
「はい」
 シュネーとスノウも、各々の席に着く。彼らは食事を摂らないが、ユキハさんが食事をする時は、こうして一緒に卓に着くことにしているらしい。
「今日はどうするんですか?」
 ロールパンをちぎりながら、ユキハさんが声をかけてくる。おれはスプーンを動かしていた手を止めて答える。
「……出て行きます。その……仲間が、心配していると思うので」
「……そうですか」ユキハさんがしょんぼりと俯く。分かってはいた反応だが、どうにも罪悪感を感じてしまう。ユキハさんは『そう、そうですよね……ご友人が、心配してますよね……』と、暫く自分に言い聞かせるようにしていたが、やがて顔を上げ、『……分かりました。迷わないように、街の入り口までは送って行きますね』と、笑顔で返した。
 思わず、『ごめん』という言葉が出かけて、すんでのところで呑み込む。
 ……かけるなら、きっとこっちの言葉の方がいい。
「……ありがとう」
「……どういたしまして」
 ユキハさんはそう言うと、少し寂しそうな表情で微笑んだ。


「よいしょっと……」
 リュックを背負ってずり落ち防止のベルトを締める。
 リュックを跳ねさせるように背負い直して、ベルトが締まったことを確認する。
 これで部屋を出る準備は終わった。ノブを下げ扉を開ける。振り返って、泊めて貰った部屋を見る。
「……お世話に、なりました」

 もう、きっと……来ることは無いだろう。

 部屋を出た後、廊下を進み、玄関で待っているユキハさん達と合流する。ユキハさんは、白いコートを着て、白いミトン手袋をはめていた。足元には、シュネーとスノウもいる。
「それじゃあ……行きましょうか」
「はい」
 玄関を出ると、途端に冷たい空気に(さら)される。思わず『寒っ!』と、我が身を抱える。
「ちょっと待って下さいね」
 震えているおれに微笑みかけ、ユキハさんがおれの(ひたい)にそっと揃えた指先を当てる。すると、途端にどういうことか、一切の寒さを感じなくなった。
「えっ⁈ あれっ⁈ 寒くない⁈」
 おれが驚いていると、ユキハさんがふふふっと笑って教えてくれる。
「私の魔力でユウトさんを包んだんです。魔力が薄い膜になって、冷気を遮断しているんですよ」
「なるほど……すごいですね! 魔法!」
 火を出したり凍らせたりするのは聞いたことあるが……こんな使い方もあるのか!
「もう大丈夫そうですか?」
「お陰様で」
「それじゃあ行きましょうか」
 こっちです、とユキハさんが先導を始める。
ざふざふざふ……と雪道を二人歩いて行く。シュネーとスノウはどうするんだろうと思っていたら、なんと積もった雪の上を滑るように進んでいた。……ちょっと羨ましい。
 暫く歩いていて気付いたが、魔力の膜はどうやら、水分も通さないらしい。雪の中に足を突っ込んでも冷たくもないし濡れもしない。
 何だか、不思議な感触だった。
 ユキハさん宅を出て左に暫く行くと、『このまま行くと大きな通りに出ますので、そこを左に曲がります』と教えられる。
 ……そうは言われても、辺り一面雪だらけで、何処が道なのかさっぱり分からない。大きな通りというのは、つまり突き当たりだろうか?
 そう思いながら進んでいると、突然建物が途切れ、大きく開けた場所に出た。
 ユキハさんが足を止めて振り返り、右手で道を指し示す。
「ここが大通りです。ここを左に曲がります」
「はい」
 おれ達は大通りを曲がり、また真っ直ぐに歩いていく。
「このまま真っ直ぐ進めば街の入り口に辿り着きます。ですが、街道までは少し迷い易いので、ご一緒させて頂きます」
「お願いします!」
 迷い易い道なら、多分間違いなく迷う。
 何しろおれは、旅に出ると言った時『やめとけ死ぬぞ!』と止められたほどの方向音痴だから。
「おっちゃんの忠告は、的を射ていたんだなぁ……」
「何の話ですか?」
「いや、何でもないよ」
 方向音痴は、時に本人を死の危険に晒すんだな。よく、覚えておこう……。


「……………」
 (しば)し四人、無言で歩き続ける。
 ……しかし、こうして寒さと無縁になると、この景色もなかなか悪くないと思えてくる。静かに降る雪、()(さら)で足跡のない一面の白。それに映える煉瓦の赤茶。曲がったまま放置された街灯。ほどよく(さび)れていて、何だか雰囲気がある。
「……現金だなあ人間って」
「そうなんですか?」
「うん。だって寒ささえなかったら、なかなか良い雰囲気の街だよなぁって、思えるから」
「そうですかっ⁈」
 ユキハさんが食い気味に声を上げる。
 いつの間にか手も握られている。はめている白いミトンの感触が、ふわふわで気持ちいい。
じゃなくてっ!
「ユっ、ユキハさん近い! 近いですっ!」
「あっ、ごめんなさい!」
 ユキハさんはぱっと手を離すと、頬を赤く染めて俯く。
「その……街を褒めて貰えたのが嬉しくて……つい」
 頬を染めたまま、ユキハさんがはにかむ。
 歳上相手に失礼かもしれないが、思わず可愛いと思ってしまう。
「街、好きなんですね」
「はい! 賑やかで、素敵なお店がいっぱいあって、大好きな人たちが沢山居て……」
 ユキハさんの声が段々と落ちていく。
「……大好きだったんです。自慢の……自慢の街だったんです」
 ユキハさんはそのまま黙り込んでしまう。
 おれは街を見渡す。
 今は雪に埋もれてしまっているけど……きっと、明るくて賑やかで素敵な街だったんだろう。美味しいレストランや、可愛い雑貨店や、焼き立ての香りがするパン屋さん。記念日にはきっと、あのケーキ屋さんでケーキを買って、恋人にはあの花屋さんで花束を買って、時には、診療所で診て貰ったりもして……
 雪を被った看板が。錆びて朽ちてしまった看板が。
 ……在りし日のこの街の日常を、思い起こさせる。
 ユキハさんを振り返る。ユキハさんは、人が沢山居た頃のこの街を見ていた。……彼女は、ずっとこんな場所で、一人生きてきたのか。……きっと、思い出がある方が、ここは辛い。
 おれに、何か出来ることはないのか……。
 そんな思いが胸をよぎるが……残念ながら、おれは勇者でもヒーローでもない。……ただの、旅人だ。魔法が使える人でも倒せなかった魔物に、勝てる訳がない。
 己の無力さに打ちひしがれていると、『ユウトさん』と、ユキハさんに優しく声をかけられる。
「……もう直ぐ、街の入り口に着きます」
「……はい」
「……行きましょうか」
「はい……っ」

 ……ユキハさんの笑顔が優し過ぎて。
 
 おれは、溢れてくるものを止められなかった。


 それから暫く歩いて、街の入り口の大きな門を潜った。

 ……さよなら、スノウサンク。
 ……叶うなら、もう一度賑やかな時を。

 泣き出したおれを心配してくれたのか、あれからスノウがずっと、側に寄り添ってくれていた。喋らないし雪だるまだけど、なんだか心が……温かい。
 街を離れると、目に見えて雪の(かさ)が減っていくのが分かる。
 魔力の効果が切れたのか、柔らかな風が時折頬を撫ぜていく。

 ……ああ。……おれ、帰って来れたんだ……。

 ほっとすると同時、それはつまり、“ユキハさん達との別れの時も近づいている”と気付いて、なんとも複雑な気分になる。

 そして……道の上から完全に雪が無くなったとき。

 その“時”が……やってきた。


「……ここが、街道です。このまま北へ進めば、ホワイトドームへ。南に進めば、ヴィーノタウンへと繋がっています」
「ありがとうございます」
 おれはヴィーノタウンからホワイトドームへ行く途中に(はぐ)れたから、あいつらは多分、もうホワイトドームに着いている頃だろう。もう寒いのは()()りだが、そうも言っていられない。取り敢えず、合流しなくては。
「ユキハさん」
「はい」
 おれは腰を折って頭を下げる。
「……本当に、お世話になりました。命を助けて頂いて、ありがとうございました。このご恩は、一生忘れません」
 頭を下げたまま反応を待つ。暫くすると、わたわたわたとユキハさんが慌て出す。
「えっ、あのっ、そんな、そのっ、と、取り敢えず、顔を上げて下さい!」
「おわっ」
 ぐいっと腕を掴まれ、強引に顔を上げさせられた。
「あっ、すみませんっ! びっくりしてつい…」ユキハさんが慌てて手を離して謝る。
 それから、
「……元気になって下さって良かったです。こちらこそ、楽しい時間とお話を、ありがとうございました」
 と微笑む。
「もういきだおれるなよ」
「…………」
 シュネーとスノウも、挨拶代わりに握手してくれる。

 ……なるほど。
 だから溶けないし、料理が冷めてもいなかったのか。

 おれは二人の手をそっと離して、街道の北側へ数歩進んで振り返り、手を上げる。
「……さようなら! お元気で!」
「……ユウトさんも! 気を付けて下さい!」
 ユキハさんが、笑顔で見送ってくれる。


 こうしておれは、ユキハさん達と別れーーーー


 街道を一人、ホワイトドームへ向けて、歩き出したのだった。



 終わり
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