第二十四話 禁域から目覚めた禍
文字数 3,610文字
『いったい、何なの? あれが人にものを頼む態度なわけ!?』
顕 現 するなり憤 慨 する天将・太陰に、東 京 極 大 路 を自 邸 の方角へ歩を運んでいた晴明は、眉を寄せて彼女を視界に入れた。
「お前が憤 っても仕方あるまい」
『あんな冷 血 漢 のいうことなんか、聞かなくてもいいわ! 晴明』
興 奮 さめやらぬ太陰に対し、依頼された当人である晴明は冷静だった。
遡 ること二 刻 、晴明は四条大路にある参議・藤 原 成 親 邸 に赴 いた。その以前に、話があるため四条坊の藤原成親邸まで来て欲しい――と乞 われていたのを、吉日を以てこの日の訪問としたのだ。
四条大路沿いは朱雀上皇、淳 和 上 皇 の仙 洞 院 の他、貴族の屋敷も多く、東 洞 院 川 が流れている。
そんな晴明に、隠 形 したままの太陰が同行した。晴明としては十二天将の中でも神力が高い天将に貼り付かれるよりはマシだったが、彼女はすぐにかっとなる性格である。さすがに怒りにまかせての行動はしないだろうが、やつ当りされる晴明としては勘 弁 して欲しい。そうこうしているうちに藤原成親邸の主 殿 に通されて、早くも太陰が苛 々 し始めた。
主殿に案内したのは邸の女房で、しばらくお待ちくださいと言ったまま、まさにしばらく誰もやってこなかったのだ。
しかし晴明は、待たされる事には慣れていた。
これまで貴族の邸に赴いては待たされ、ようやく来たかと思えば今度は早く帰れといわんばかりに追い出される。霊 符 を依頼してくる大半はそんな貴族が多く、晴明は追い出される前に霊符を渡して辞 することにしていた。
現れたのは当主の藤原成親ではなく、嫡 男 の雅 経 だった。
第一印象は「やはりな」というものであった。
雅経は蝙 蝠 扇 を開くと目を細め、口を開いた。
「貴殿の噂 は聞いている。半 妖 ――とは真 か?」
興 味 本 位 なのか、それとも嘲 りか、どちらにしても晴明には聞き慣れた言葉だったため、さらっと受け流した。
「雅経さま、私が何者か知りたく呼ばれたのでございますか?」
「そうではないが――」
挑 発 に乗ってこなかったことに興 醒 めたのか、雅経の唇がぎりっと結ばれる。
そしてようやく、本題を話し始めたのである。
藤原雅経には、二人の弟がいる。
次弟の成 経 とは同 腹 だが、末弟の芳 隆 は妾 腹 だという。
三月前、二人の弟は父・成親の荘園を訪れていたらしい。しかし帰 京 したのは成経だけだったという。弟の芳隆は急にいなくなったというだけだったが、人が妖 に襲われるという怪 異 が起きるようになると、すべてを白状したらしい。
「まったく、愚かなことをしてくれたものよ」
雅経はそう言って二人の弟のことを鼻で嗤 った。
荘園の近くには、禁 域 とされる沼があった。二人は禁 を犯して足を踏み入れ、芳隆だけが消えてしまったのだという。もしかすると、沼の中にいるものを目覚めさせてしまったかも知れない。怯 える次男・成経に、父・成親は誰にも言うなと叱 責 したという。
その成経も、ついに妖の餌 食 となった。父・成親は出仕もままならぬ有 様 で、奥で籠もっているという。
「雅経さまは、王都で起きている怪異が、その禁域から出たモノの仕業とお思いですか?」
「それは、そなたらの仕事であろう? ただ――、当家としては何ら与 り知 らぬこと」
ここまできて、事態を伏 せる彼らの行為に唖 然 とするも、晴明は成親邸を辞したのである。
『あんな奴の依頼、引き受ける気? 晴明』
太陰の目が苛烈に光る。
確かに身内の不幸を悲しむよりも、対面と保 身 を図 った成 親 父 子 に憤りはすれど、妖は放置はできない。
「それに――」
太陰が眉を寄せて、首を傾 げる。
「それに?」
「彼は依頼してはいない」
そう、藤原雅経は弟たちが禁域に入った所 為 で、妖を目覚めさせたかも知れないと言っただけで、晴明に祓 って欲しいなどの依頼はしていない。
自 尊 心 がそうさせるのか、それとも晴明なら言わずとも動くだろうと踏んだか、貴族というのは身分や地位に拘 ると、とこんとん守りに徹 するらしい。
『でも、やるんでしょ?』
太陰が呆 れながら嘆 息 した。
既に何人もの人が妖の餌食となった。謎の妖がなにゆえ王都に現れたのか理 解 ったが、かの妖の背後にはかの叢 雲 勘 笠 斉 がいる。
「太陰、引き続き妖の気配を探れ。次の被害はなんとしても防ぐ!」
『わかったわ』
太陰は一 陣 の風を纏 うと、消えていった。
◆◆◆
――お前は必ず報 いを受ける。
滑 り込んできた風に、燈 台 の灯 りが揺れる。
書に視線を落としていた叢雲勘笠斉は、怪 訝 に眉を顰 めたあと嗤った。
なにゆえにと嘆 く、亡 者 の鬼 哭 。
お前が殺したと責 める声。
風に乗って運ばれるそれらの声は、彼の耳に絶えず届く。だが彼は、それが務 めと答える。邪 魔 な人間を消して欲しい――、そう願う者がいる。
その願いを叶 えているだけなのだと。
彼の前には、黒く蠢 く闇がある。呼べばいつでも現れるその闇は、そうした人間の負の感情を糧 とする。
かつては彼も、陰陽寮の陰陽師を目指した。しかし、地 下 (※昇殿を許されていない下級貴族)ですらなかった彼にその門は開かれず、横 暴 な貴族の振る舞いを見てからは、宮仕えの夢は捨てた。そんな彼にとって、闇は恐れる対象ではなかった。帝も平 伏 すほどの能力を彼は欲し、彼らを従えた。
「ふふ……、阿 鼻 叫 喚 の声のなんと快 いことよ」
妖に戦 く人々、なす術 もなく、逃げるのみの人々。身分や地位を問わず、誰もが恐れる。 その能 力 を己 が有 しているのだと思うと愉 快 であった。そして有力貴族までも、この勘笠斉の能力に縋 った。
報いならば、人を陥 しめんとした者たちであろうに。
故に、お互い骨になった。
――バケモノめ。
風に乗る誰かの念 は、そう勘笠斉を罵 った。
「好きなだけいうがいい。もうお前たちには、なにもできぬ」
あの男なら――。
勘笠斉は、口に運びかけていた土 器 を止めた。
罵る声はもう聞こえてこなかったが、『あの男』と聞いて、ぞわりと嫌なものが背を撫 でた。『あの男』と聞いて脳 裏 に浮かんだのは、一人の青年陰陽師である。
妖の血を半分引きながら、十二天将を使役する安倍晴明――。
これまで彼には二度も術を破られ、式とした妖も斃 された。
「ふ、面白い」
勘笠斉はほくそ笑んだ。
対決できる相手がいるならばなおのこと、能力が使える。
もう一つ楽しみができたと、彼は嗤った。
◆
平安王都への正面玄関――、羅 城 門 。
入 母 屋 造 で、瓦 屋 根 に鴟 尾 が乗っている。規模は幅 十 丈 六 尺 (約35メートル)、奥 行 二 丈 六 尺 (約9メートル)、高さ約七十尺 (約21メートル)、柱は朱 塗 りで、壁は白 土 塗 り。内と外は、幅が七 丈 (約24メートル)と五段の石段で通じている。
この羅城門を、堂 々 と塒 にしているものがいた。
名を羅将 という。彼は意外な人物に呼び起こされ、顔を顰 めた。
門の真下に、立烏帽子に狩衣姿の青年がいる。貴族にしては質 素 な出で立ちで、袴も指 貫 では差 袴 、素足に草 履 を履 いていた。
羅将はその青年の顔を、嫌というほど覚えていた。
出来れば二度と会いたくない男だったため最初は無視をしていたが、その青年はまだそこにいた。門を見上げ、明らかにこちらの存在に気づいているようだ。
少し前の自分なら、喰 い殺していたものを――、彼はそんなことを考えながら門の上から様子を窺 っていた。なぜなら、彼は人ではないからだ。
俗 に言う異 形 の鬼というやつだが、現在はその能力はない。
「まさかまだ、居座っているとは思っていなかったな」
青年が笑う。
「何しに来た? 俺を斃 しに来たか? 安倍晴明」
「お前が都に再び仇なすつもりならそうするが、今は見逃そう」
おかしなことを言う――、羅将は晴明を睨 めつけた
「ふん、この俺も甘く見られたものだな。以前の俺なら、お前など握りつぶしてくれように。しかも、今になってお前から会いに来るとは」
「お前に聞きたいことがある。ここを妙な者が通らなかったか?」
「お前……、俺が誰か忘れたか?」
「羅城門の鬼・羅将――だろう? 忘れるわけがない。私が陰陽師となって初めて破った相手だ。能力を封じたまでは良かったが逃げにれたけどな」
「そうだ、そんな俺が憎いお前に門を通った怪しい奴など教えるわけがなかろう」
「もう五年前だぞ?執 念 深 いな……」
晴明から敵意は感じられなかったものの、友好的な態度も羅将の癇 に障 った。
「黙れ! 帰れ」
「能力を返すと言ったら?」
「なに……?」
羅将は瞠 目 した。
「信じる信じないはお前の勝手だが、能力を返しこの門に棲むことも認めると言ったら、お前は私の問いに答えるか? 羅将」
「貴様――、なにを企んでいる? 安倍晴明」
かつての敵に、羅将は鋭い爪 を密かに向けていた。
「お前が
『あんな
四条大路沿いは朱雀上皇、
そんな晴明に、
主殿に案内したのは邸の女房で、しばらくお待ちくださいと言ったまま、まさにしばらく誰もやってこなかったのだ。
しかし晴明は、待たされる事には慣れていた。
これまで貴族の邸に赴いては待たされ、ようやく来たかと思えば今度は早く帰れといわんばかりに追い出される。
現れたのは当主の藤原成親ではなく、
第一印象は「やはりな」というものであった。
雅経は
「貴殿の
「雅経さま、私が何者か知りたく呼ばれたのでございますか?」
「そうではないが――」
そしてようやく、本題を話し始めたのである。
藤原雅経には、二人の弟がいる。
次弟の
三月前、二人の弟は父・成親の荘園を訪れていたらしい。しかし
「まったく、愚かなことをしてくれたものよ」
雅経はそう言って二人の弟のことを鼻で
荘園の近くには、
その成経も、ついに妖の
「雅経さまは、王都で起きている怪異が、その禁域から出たモノの仕業とお思いですか?」
「それは、そなたらの仕事であろう? ただ――、当家としては何ら
ここまできて、事態を
『あんな奴の依頼、引き受ける気? 晴明』
太陰の目が苛烈に光る。
確かに身内の不幸を悲しむよりも、対面と
「それに――」
太陰が眉を寄せて、首を
「それに?」
「彼は依頼してはいない」
そう、藤原雅経は弟たちが禁域に入った
『でも、やるんでしょ?』
太陰が
既に何人もの人が妖の餌食となった。謎の妖がなにゆえ王都に現れたのか
「太陰、引き続き妖の気配を探れ。次の被害はなんとしても防ぐ!」
『わかったわ』
太陰は
◆◆◆
――お前は必ず
書に視線を落としていた叢雲勘笠斉は、
なにゆえにと
お前が殺したと
風に乗って運ばれるそれらの声は、彼の耳に絶えず届く。だが彼は、それが
その願いを
彼の前には、黒く
かつては彼も、陰陽寮の陰陽師を目指した。しかし、
「ふふ……、
妖に
報いならば、人を
故に、お互い骨になった。
――バケモノめ。
風に乗る誰かの
「好きなだけいうがいい。もうお前たちには、なにもできぬ」
あの男なら――。
勘笠斉は、口に運びかけていた
罵る声はもう聞こえてこなかったが、『あの男』と聞いて、ぞわりと嫌なものが背を
妖の血を半分引きながら、十二天将を使役する安倍晴明――。
これまで彼には二度も術を破られ、式とした妖も
「ふ、面白い」
勘笠斉はほくそ笑んだ。
対決できる相手がいるならばなおのこと、能力が使える。
もう一つ楽しみができたと、彼は嗤った。
◆
平安王都への正面玄関――、
この羅城門を、
名を
門の真下に、立烏帽子に狩衣姿の青年がいる。貴族にしては
羅将はその青年の顔を、嫌というほど覚えていた。
出来れば二度と会いたくない男だったため最初は無視をしていたが、その青年はまだそこにいた。門を見上げ、明らかにこちらの存在に気づいているようだ。
少し前の自分なら、
「まさかまだ、居座っているとは思っていなかったな」
青年が笑う。
「何しに来た? 俺を
「お前が都に再び仇なすつもりならそうするが、今は見逃そう」
おかしなことを言う――、羅将は晴明を
「ふん、この俺も甘く見られたものだな。以前の俺なら、お前など握りつぶしてくれように。しかも、今になってお前から会いに来るとは」
「お前に聞きたいことがある。ここを妙な者が通らなかったか?」
「お前……、俺が誰か忘れたか?」
「羅城門の鬼・羅将――だろう? 忘れるわけがない。私が陰陽師となって初めて破った相手だ。能力を封じたまでは良かったが逃げにれたけどな」
「そうだ、そんな俺が憎いお前に門を通った怪しい奴など教えるわけがなかろう」
「もう五年前だぞ?
晴明から敵意は感じられなかったものの、友好的な態度も羅将の
「黙れ! 帰れ」
「能力を返すと言ったら?」
「なに……?」
羅将は
「信じる信じないはお前の勝手だが、能力を返しこの門に棲むことも認めると言ったら、お前は私の問いに答えるか? 羅将」
「貴様――、なにを企んでいる? 安倍晴明」
かつての敵に、羅将は鋭い