4月7日、特に竜も飛ばず。

文字数 3,251文字



3月の末日だった。湿気を帯びた暖かな土の匂い。公園通りにはウォーキングの仲睦まじい老夫婦。 7分咲きの桜並木がよく見えるオープンカフェ。

原稿用紙をくしゃくしゃにして、はぁ…とため息をついて、眠そうな春色の空を仰いだ彼女に、ネクタイを緩めた俺は…。

「咳、やっと治ったみたいだな」
「…思い出したら咳込むからやめて」

マオはあばらを抑えながらコホッとべっ甲眼鏡をかけ直した。コイツは年末からずっと咳込んでいたのだ。気管支が弱く、風邪を引くたびあばらを折るぐらいは咳き込む。もう折るベテランである。

冷えた紅茶をうまそうにすするマオに、俺は息抜き的な話題を振った。

「なぁ、もし明日死ぬーってなったら。マオはどうする?」

「…小太郎、もしも話ほんと好きだよね…」「…設定をもうちょっとくれないと」「世界滅亡?」「病死?」「季節は今?」「ドラゴン出していい?」

マオのクリアファイルにはファンタジー小説大賞概要の紙きれやら、ライターの仕事のメモ書き、文筆業のあれこれが沢山挟まっていた。

─── 左だけ豪快に寝癖がついてる俺の彼女。コイツは駆け出しのファンタジー小説家なのだった。


一方俺はごくフツーの会社員で、これといった特技もなく、身体的特徴はといえば少しガタイがいいぐらい。何故コイツに懐かれたのかよくわからないけど、もう付き合って5年になる。

「…季節は…4月…」「桜が咲いてて儚いし…」「…不治の病がいいかな」

「小太郎…」
マオの顔があからさまに陳腐か…。と不憫そうな表情になった。いいんだよ!俺は!

「ええと…」「不治…最速で…発症半年前ぐらい…?」
ん〜「手紙かなぁ」「設定、一週間後ってことにしていい?」

ちなみにコイツは寝癖がついてない方の頭──右頭の髪は肩下まである。
そして肩までない方の頭をバリバリ掻きながら「……ま、いっか」と。

『──拝啓。4月7日のわたし』
と即興で語り始めた。

『どこか遠くの世界へ、きっと空竜(てんのりゅう)に乗って旅だったわたしに宛てるともなしにこれを書き残こす』

注意深く言葉を選びながら、マオは左上の方ばかり見ながら物語を紡ぎ始めた。正直名作の予感しかなかったのでスマホのレコーダーを回そうとしたら、いいから。と止められてしまった。

『思えば恥の…いや咳の多い生涯を送って来ました』

ん?太宰?ああ、咳ネタ早速使うんだ…。

マオは太宰の真似をして、眉間に皴をよせ頬杖をついた。世界観よ…。寝癖がビョンと後を追った。

『わたしが咽煙虫(いんえんちゅう)に取り憑かれたのは、黄晶月(きしょうつき)の頃だったろうか?』

『最初はたった1匹』『されど1匹』

『人によっては死に至る病。そして、わたしはその至る方の人種、”笛もたずの民”だった』

なんでこんな居もしない虫の名前とか謎の人種の名前とかぽんぽん思いつくんだ。すごい才能だ。理系の俺にはまるで超能力のように感じる。

『喉を這いまわる一匹の虫に咳き込む毎日…』

『医者!医者!病院!寝る!寝る!喰らう!』
そこはこっちの世界観なんだ…。つい頭を撫でてしまう。

『それでも悲劇は起こった…』胸に手を当てて心痛な顔をして見せた。
外海(ホカノカイ)からの──旅人K。彼を咽煙虫の苗床だと知らずに、わたしは…わたしは…』

K…小太郎…俺か…?そういえば俺も風邪ひいてたっけな…。

『だ、だ、抱か…抱かれ』オホンオホン…。みるみる顔が真っ赤っ赤になっていった。全くキュンと来るじゃないか…。

『翌日には、気管の入り口がぎゅうと赤く腫れ…』
『右の手のひらには刻印…』

マオはパッと手を開いて見せた。
マジックで黒く「7」と書いてあった。
「余命を知らせるカウントだよ」

…お、おう?

一瞬混乱してしまった。どう見てもマジックでテキトーに書いた「7」なのだ。
しかし冒頭の4月7日って丁度7日後だ。ん~?

しばらくどっちの話か分からなくて頭にはてなマークをつけていたら、マオは、しばらくうつむいて

『この刻印の指令を止めるには…』
「…出ましょうか」と原稿用紙を片付け始めた。

****

ひらりと桜並木が続く中、俺たちは手も繋がず歩いた。

マオは小柄な体格でぴょこぴょこ癖のある歩き方をする。だぶだぶのロンTとパーカー。ショートパンツにクロックス。人が殺せそうなぐらいの重量の革のリュックはトレードマークだった。

「…重いだろ」
持つよ、というジェスチャー。
「仕事道具は肌身離さず…!」
断られるのも毎回だった。

マオと一緒の時は車道側を歩く。俺はマオと違ってなんにもない。このぐらいしか役に立てないのだ。

「ねぇ、小太郎」
「わたしがもしほんとに7日後に死んじゃうってなったら、どうする?」

ん~…
「……マオ〜〜ってなるかな…」
さすが理系の語彙力である。

「もっと具体的に…」

俺は灰色の脳細胞を駆使してさらにこう答えた。
「う〜ん。…マオマオ〜ってなるかな…」

マオが本気でキレそうになってるので、慌ててなだめる。

「まぁ、うまいものを一緒に食べて…」「もう一回バックトゥザフューチャーを2人で観て…」「ぎゅーして…」ん〜…

「わたし、死ぬまでに一回でいいから苺狩り行きたいよ」マオが口を挟む。なんか行けたことがないのだ、2人とも。

さっき即興で語っていた物語が少しだけ心に引っかかっていた。7…。7日後。まさかなぁ。
まぁ俺たちが苺狩りとかいう神の祭事に参加出来た事がないことは、死ぬ死なないとは関係のない位置で、行くまでずっと動かないのだ。

「行くかァ」

マオの顔にピコーンと電球がついたみたいになった。
「ほんと?!」「会社大丈夫なの?!」俺の周りでくるくると踊り出す。

「それよか〆切は大丈夫なのかよ」
「そんなの取材みたいなもんじゃ〜ん?」ほっぺたを無意味に掴みむにーっとさせながら踊る。ああもうかわいい…。

「旬は過ぎてるだろうけど」「いかないずくだったら、どんなに近場だったとしても、南極と変わんねーからな」

バンザーイバンザーイとか言いながらくるくると空を仰いで踊るマオ。危なっかしいなぁもう。必死で車道側を歩く。

ウシシシシと漫画みたいに笑いながらマオは
「ほんとはね〜」
「さっきの物語の中でね」「旅人Kになぞらえて〜」
「わたしに風邪を染しやがった小太郎をね」
「ぼろくそに言ってやるつもりだったの」

そしてもう我慢出来ないといった様子であはあは笑い始め──。

──右手のひらの『7』と
──左手のひらの『支払い・豆乳』という──買い物メモをひらひらさせながら──セブンマートに向かって、ぴょこぴょこと駆けていった。


オゥフ…そうだ…。
めくるめく走馬灯…。マオは一回風邪引いたらアウトだからって…必死で大事をとって…なのに…俺が…。

そうでした…。

「小太郎このマジックの字、一瞬本気で『ん?』ってなってて」
「だからやめた~」あはあはは。

く…ぐぬぬ…。俺は何も言い返せず、ひたすら汗だくになっていた。

マジックの7をひらひらさせて、コンビニの入り口。

「小太郎〜。あのね」
「桜餅が食べたいな~」

おごるおごる、おごります…。
かごの中に、桜餅だけではすまない量の甘いものをどんどん放り込んで、にこにこと満面の笑顔のマオを眺めているうち、何故か口を突いて出た言葉。

「……結婚しよか」
「へ!?」

通りの桃色の一輪が、コホッとむせて、桜の割にやたらと赤く、色付いた。




─了─
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