焦り

文字数 2,392文字

 “落ち着かないと、落ち着かないと”

 「うん、颯太が交通事故に遭ったんだね… 手術が必要なのね… うん、うん、そうよ  ね… お母さんは仕事があるんだもん、無理して来なくてもいいよ… そんなことないって、私なら大丈夫だから… 」

 小春は動揺を隠すのに精いっぱいだった。 

 「ええ、お母さんが来るまでなら任せておいて… 確かにその点は気がかりだけど、余程のことがなければ平気だから… とにかく私が病院に行くから心配をし過ぎないで… じゃあ、切るね」

 “颯太がこんなことになったのは頼光さんにヒドいことを言ったせいかも…”

 小春の脚はガクガク震えていた。

 “こんなことじゃダメ! 私がしっかりしないと”

 両手で自分のホホを叩いて小春は気合いを入れた。


 「保険証はご本人が持っていました。それでは説明ををよく読んで手続書類に記入してください」

 「はい、わかりました」

 小春は手渡された書類に目を通し始めた。

 「あなた皆南高校の生徒さんでしょ。私も皆南の看護科の卒業生なのよ」

 制服を見ながら看護師が小声で話しかけてきた。

 「分からないことは遠慮なく何でも聞いてね。弟さんなら大丈夫だから心配しなくていいわ」

 先輩の言葉を小春は心強く思った。

 「ちょっとお話ししておきたいことがあります」

 「ええ、いったいどんなことですか?」

 「私の家族は珍しい血液型なのです。手術用の血液のことが気になって…」

 「どんな血液型なのですか?」

 「AB型のRhマイナスなのです」

 看護師の表情がシリアスになった。

 「そうなのね… AB型の割合は血液型全体の10%だし、Rhマイナスは更にその0.5%だから確かに珍しい血液型ね。でも血液センターに頼んでいるから大丈夫よ、心配しないで」

 看護師に肩を叩かれた小春は安心した顔つきになった。


 1時間半ほどたったが、まだ弟の手術が始まらず小春はあせり始めていた。それまでに先輩の看護師が折を見て内緒で情報を教えてくれていた。めったにないことだが、今日は同じ時間帯に血液センターへの要請が集中していること、そして道路工事による交通規制と渋滞で運搬車が動けなくなっているとのことだった。時間が経つにつれ颯太の容態は悪化していくが、輸血用の血液がなければ手術も始められない…

 「すみません、先輩! 聞いて欲しいことがあるのですが!」

 他の仕事をこなしつつ自分のために時間を使ってくれる先輩に申し訳ないと思いつつも小春は通りかかる先輩に声をかけた。

 「運搬車のことでしょ… ごめんなさいね、まだここに着く見込みがたっていないの。 
 着いたらすぐに手術を始めるからもう少し待っていてね」

 感情は表に出してはいないものの、先輩の顔を見ればその思いは一目で小春には分かった。

 「そのことではないのです。私は弟と同じ血液型なのですから、私から採血した血液を弟の手術に使えないでしょうか?」

 「まず、お知らせしなければならないことがあります」

 先輩の看護師の話し方が急にあらたまったものになった。

 「手術などに使う血液は基本的に血液センターに保管してある血液しか使いません」

 「そうかも知れませんが

 「そう… ただし手術に使える可能性のある血液があるかもしれない。あなたの血液を検査してみましょう。その前に教えてください。今日あなたは風邪薬や鎮痛薬、頭痛薬を服用しませんでしたか?」

 それまで先輩の看護師につかみ掛かる勢いだった小春は急に小声になった。

 「… 今日私は鎮痛薬を飲みました…」

 「それでは弟さんに飲んだ薬の影響がでる可能性があります。血液を輸血することはできません」

 先輩の返事を聞いて小春は愕然となった。

 「それなら俺の血液を調べてもらえませんか?」

 ハヤテが二人の後から声をかけてきた。

 「兼定さんが血相を変えて俺のことを追い抜いて走って行ったから気になって追いかけて来たんだ」

 「あなたは誰ですか? 皆南の制服を着ているようですが」

 看護師は突然現れた得体の知れない男子生徒に不信そうな目を向けた。

 「俺は頼光ハヤテと言います。皆南高校の1年です。兼定さんとは同じ部活に入っています」

 「あなたはなぜ血液の検査を申し出てきたのです?」

 「俺も兼定さんほどではないですが、珍しい血液型なんです。O型Rhマイナスですが。それに貯血、いいえ献血にも慣れていますから」

 「O型のRhマイナスですか!? 確かに発生率はAB型のRhマイナスよりは高いですが、緊急時の輸血には一番リスクが低い… A・B・AB型への輸血には影響は大きく出ないし、RhマイナスだとRhプラスへ輸血ができる… 血液の検査をしてみましょう」

 ハヤテは血液の検査を経てから、通常献血の最大量となる400ccの血液を採った。その血液を利用して小春の弟の手術が行われた。

 「頼光さん、ありがとうございます」

 小春はハヤテに何度も何度もお辞儀をしてお礼を言った。

 「俺はそんなに大したことはやってないですよ兼定さん」

 照れながら遠慮するような仕草をしたハヤテだったが、図らずも脚がふらつて転びそうになった。

 「大丈夫!? 頼光さん!」

 小春はハヤテに駆け寄り体全体でハヤテのことを支えた。そこに通りがかった先輩の看護師に声をかけた。

 「すみません、頼光さんがふらついてしまって… 血液を提供してから元に戻るにはどのくらいの時間がかかるのですか?」

 「400ccの献血の場合、次の献血までは3カ月空けることになっています」

 「3カ月!?」

 信じられないことを聞いて驚いた顔の小春

 「頼光さん! さっき言っていた献血いえ貯血って、この前学校の保健室でしていたことですか? あれから3カ月なんて全然たってないじゃないですか!」

 小春に身を委ねたままのハヤテは朦朧として返事をした。

 「俺には何のことだかわからないけど」
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