02 俺の家族

文字数 3,438文字

 青沼岬の先端には明治の頃に建てられた物と思われる歴史ある白く高い灯台がある。メンテナンスがしっかりと出来ているので見た目は新しく見える。夏でも爽やかな風が吹き日陰なら更に心地良いし、冬に至っては雪が降った事がまず無い暖かいところだ。ただ、台風の時は遮るものが無いので強風が直接当たるし、近くの樹木は強風になびかれ今にも折れそうな状態になる。その様な吹きさらしの岬だ。

 灯台は中の螺旋階段をグルグルグルっとビルで言えば三階くらいを登っていき一番上は鉄の梯子がある。螺旋階段は多少の余裕はあるが鉄の梯子は一人用、降りる人登る人交互に譲りあっている。職員が使用している施設を一般開放しているのでやむを得ないが、上に出ると一周グルっと見渡せる。俺も何回か登ったことがあるが流石に岬先端で三階建ての上は周りの家は小さく見えて、砂浜や岩の海岸では白波が立ち、沖では青々としていて天気が良ければ対岸が遠く山々がはっきりと見え、水平線は円弧を描き、とても綺麗で雄大な景色だ。平日でも常に数人が灯台に登っているので景色を感嘆している姿を見、声をよく聞く。灯台の敷地内には管理棟があり数人が常駐していて海側灯台横には展望台も設置されている。展望台からの眺めも良く、海岸沿いのホテルや民家、海岸、海や山々が見えて記念撮影の場所にもなっている。小学校のバス遠足で訪れた時にクラスの皆で写真を撮って貰った事もあり楽しい記憶がある。中学、高校生になってからはなかなか行く機会が無くなり少し寂しい気分だ。先日兄に連れて行って貰った時には家族連れが多く皆で写真を撮っていた事があった。灯台横には土産物屋が数軒あり、海で採れた貝殻などで作られた品数豊かで綺麗な物を売っている。駐車場は灯台下の海岸沿いにあり、ここへは階段を登ってくるが急いで登ると息が切れるので、思ったよりも高い所の様だ。ここは観光地なのでいつでもお客さんがいる。近くに野良猫が住み着いている様で時々店の前で寛ぐ姿を見せている。人が来ても逃げる事は無く撫でられてゴロゴロとしている。一匹は三毛、キジトラが二匹、黒もいる。店のおばちゃんが餌をやっているのだろう、人に慣れた可愛い猫ばかりだ。この近くには民宿も数軒あり、春から夏には満室が続いている。景色を満喫したい時は秋から冬が良く、特に一月の霞が無い晴れた日は遠く対岸が手に取るように見えるので寒さを気にしなければお勧めだ。

 俺が住んでいる所は加々見町と言い田舎町で青沼岬から北へ十キロ位。中心部はこじんまりとしていて狭い範囲に集中している。産業は中小企業の工場が主で次に農産物くらいのものである。大企業は隣町の企業団地に行かなければ無い。町の中心部には川が流れていて川辺には春に一面桜が咲く、とは言え一箇所に集中していて中心から少し離れると無い。花見と言う高級な催しは無く近くの人が個人的に楽しむくらいだ。俺も春に高校の帰りに見てみたが、花の賑わいはあるが人の賑わいは無い。寂しい限りである。町のお偉いさんもイベントを開催すれば良いものを。山間に行くと所々に山桜がチラホラと見え、秋には紅葉樹はさほど無いので真っ赤とはいかないが其れなりの秋を感じる所だ。

 町の中心部は城下町で城の跡があちこちに残っているが天守閣は残っておらず跡地には代わりに高校、中学校がある。城が残っていれば観光で一役かってでれたものであるが、江戸時代に藩の取り潰しに遭遇したので勿体ない限りである。まあ、いつの時代も不始末はあるし権力には弱いし嘆かわしい。町の歴史は古いが古文書は多く残ってはいない。中央に流れる川は流通を考えたのか海から近くの川沿いに河岸の跡があるし一部石垣が当時を忍ばせている。満潮になると水位があがり船が奥まで入って来る事が出来るので、昔の人も地の利を有効に活用したんだなと伺える。

 メインストリートのほぼ中央から北へ入ると俺が通っている加々見高校がある。正門を入りスリッパに履き替え教室へと向かうが一年生は一階、順に二階、三階となり、四階は視聴覚室などがある。この高校の両側には中学校と町庁舎がある。町庁舎は四階建て、中学校は三階建てだから当時のお城と同様にここが一番高い建物なんだと感無量に思う。

 俺の家は町の中心繁華街からは青沼岬方向に二キロほど離れて、小川がすぐ近くを流れている所だ。その川は数キロの長さで裏山から流れ出る小さな川だ。台風の時の大雨の際にはあっという間に水がいっぱいになるが、今まで氾濫したことは無い。おそらく川に集まるであろう土地の面積が排水よりも小さいのだろう。家は平家建て、とは言え屋根裏部屋があり、屈んで歩くことができる。物置き部屋で普段使っていない物を置いている。そこから屋根の上に出れて、ただ空を眺めてボーッとすることも出来る。離れは直ぐ横に二階建てがあり、一階が八畳と六畳の部屋があり二階が八畳の部屋である。両隣の家は敷地いっぱいまで建っているが南側は樹木があり境となっている。その中の一本は楠木で年輪はまだ少ないが周りよりずっと高く色々な虫が来ている様だ。勝手口は北道路側に出れ、玄関は西側の通用口を通ってから入れる。庭の歩く所はコンクリート板を敷き詰めているので雨が降っても泥跳ねがなく助かる。

 そうそう、俺の名前は夏樹、同い年の両親から末っ子として生を受けた。所謂甘えん坊だ。今は十七歳で高校二年生だ。筋が通らない事や指示される事は大嫌いな捻くれ者だ。父は大らかなO型の血液、母は神経質なA型、ただ、大らかとか神経質とか科学的根拠は無いらしいが。俺がA型だから母の遺伝子を引き継いだらしい。背は小柄で体重は軽めで母似のイケメンらしい。幼稚園はお寺が運営しているところに歩いて通いけっこう泣き虫だった。園庭にはブランコがあり、近くに田んぼ。ブランコを漕ぎ過ぎて飛び下りたら田んぼにドボン。四角いコンクリートの池には鯉を飼っていて、登園の際にはいつも今日の鯉はどうかなあと見ていた。

 兄弟は歳の離れた長男の彰一、次男の俊雄、俺と歳が近い三男の春生、四男の隆史で残念ながら女はいなくて一番下が俺だ。長男は町内に住んでいて夫婦、女の子二人の四人家族。中学を出てからお茶加工所に仕事で行っている。何が良いのか就職以来ずっと職を変えずに働いている。継続は力だな、皆から慕われているし頼りにもされている。奥さんは同じお茶加工所に行っていた。町から山に少し入った所にある家の次女で三歳若い。あっけらかんな性格のようで子供達に遺伝したようだ。次男も同じく町内ですぐ近くに住んでいて、子供は一人でまだ小さい。三男は独身、夏の間は会社の都合により東北に出向している。帰りは十月になる。四男は家から勤務していて独身、専門の高校に行きその知識を活かした会社に入っている。意外と高給取りだ。
 
 家は貧乏農家で俺が小さい頃は苺を作っていた。夜になると一家総出で明日出荷分の箱詰めに精を出していた。子供も手伝わなければならない、親は子供を何だと思っているのか。然し、たまに形が悪い物があるとおこぼれに恵まれ、小さい口いっぱいに大きな赤い苺を頬張っていた。だから、手伝う時は大抵形が悪い物が無いかをいつも見て、あったら、あったあったと言い催促をしていた。お腹はいつも空かしていたから何か食べ物が有れば嬉しさが顔から溢れていた。

 美味しいものと言えば桑の実が実に美味しい。川辺のあちこちになっていて、真っ赤、紫色になった実を採っては食べていた。誰が植えたのか判らないが川辺の木の実だから採っても大丈夫だ。大人達は多目に見てくれている、そんな優しい時代だ。夏みかんもそうだ、畑仕事で喉が渇いた時には畑角に実っているものを採って来て皆んなで喉を潤す。苺も砂地の畑だったが、今では冬に一面大根だ、意外と大きく水々しく甘い、家に運び込んで出荷作業だ。水洗いに不要な葉っぱを取り数本を束ねてフィルム巻、一日に何束も作っては出荷場に持っていく。結構重労働だ。夏はトマトに西瓜、トマトはただ甘いだけでは無く甘酸っぱい品種なので食欲がます。西瓜は丸く大きな物が至るところに実る。父が国道沿いで西瓜を取っていると車が止まる時がある。売って欲しいとの事だ、店で買えばかなり高い筈だが、そんな事はお構い無く安く売ってあげる。まあ父の性格から言えばそんな所だ。米は家族が賄える分の田んぼがあるので買う必要は無い。
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