第5話 ドラゴン・クロウ

文字数 3,765文字

 馬聖と季天龍は連日キャンパスの中庭で練習に励んでいる。
 季天龍の二胡はセッションを重ねるたびに迫力を増して行く、元々ロックン・ロールが好きで、時々戯れに弾いてみたりはしていたのだが、本格的に練習するようになったのは馬聖と出会ってから、とは言うものの、天賦の才能を持ち合わせていたのだろう。
 馬聖のギターのキレの良いリズムを得ると、季の二胡から舞い上がる龍は水を得たように生き生きと天を翔ける。
 そして、馬聖のギターもまた、天を翔け巡る龍と呼応し、虎のようにしなやかに疾走する。
 二人の息はぴたりと合い、生ギターと二胡だけでも迫力あるロックン・ロールを生み出していた。

 しかし、それではやはりバンドとしての形としては不十分であることは当然だ。
 馬聖はかつてロック・バンドを組んでいたものの、冷戦が激化してくると、経済的理由で大学を離れて行く者、従軍する者が出て、バンドは霧散してしまったのだ。
 そして、かつて練習場所として借りていた廃倉庫も今は弾薬庫にされてしまっている。
 
 馬聖のギターと季天龍の二胡、バンドの核は出来上がった、あとはベーシストとドラマー、そして練習場所、それが問題なのだが、今の状況を考えると、簡単に解決できる問題ではない……。
 ここ中国でもロックやポップスの人気は根強い、しかし、冷戦勃発以来、政府はそれらを敵製音楽だと決めつけて禁止してしまった。
 趣味で演奏している位なら咎められることはないのだが、たとえ無料のコンサートであっても人の集まる所での演奏は禁じられている。
 仮に大学のどこかで練習させてもらう許可が得られたとしても、ドラムスが加わればギターアンプやマイクは使わないわけには行かず、音を聴き付けて聴衆が集まってきたりすれば警察に捕まってしまうというような事態も考えられる、かといって毎日のようにスタジオを借りて練習するほどの金があるはずもない。
 馬聖と季天龍は当てもなく二人でセッションを繰り返すほかはなかった……。

「ちょっといいかな……」
 いつものように中庭でセッションしていると、段ボール箱を抱えてやって来た者がいる。
「なんだい?」
「いつもセッションを聴いてるんだけどさ、ドラマーが必要なんじゃないか?」
「たしかにその通りだが……君は?」
「俺は王玄徳、ドラマーなんだ、試しにセッションに加えてもらえないか?」
「ああ、いいとも」
「まだ君たちの名前を知らないんだが……」
「俺は馬聖」
「季天龍だ」
「馬に季だな? よろしく、ところで二胡でロックン・ロールとは珍しいな」
「ああ、でも悪くないだろう?」
「悪くないどころか斬新で独創的だよ、ロックン・ロールだけど、ちょっとプログレっぽい感じもあるよな」

 プログレ、正しくはプログレッシブ・ロック、七〇年代に隆盛を見せた、ロックの一つの潮流だ。
 複雑なリズムや幻想的な音作りを駆使し、壮大な物語や幻想的なイメージを表現したいくつかのバンドがしのぎを削った。
 彼らは確かなテクニックを持ち、それぞれ独創的な音楽を展開したものの、得てして一曲が長い上にそのほとんどの部分をインストメンタルが占め、僅かなヴォーカルパートも難解な歌詞に終始したがために、いわゆるヒット曲は生み出せず、メインストリームには乗れなかった。
 馬聖も一時プログレに傾倒した事もあったのだが、腕利きのメンバーが揃わないことには成立せず、中途半端なまま人前で演奏しても相手にされず、徐々にハードロックやロックン・ロールに軸足を移して来た。
 ただ、季天龍と一緒に組むバンドを夢想する時、プログレ魂はくすぐられていた、しかも、あの夢で見たバンドのサウンド……プログレの壮大さ、複雑さを内包しながらもストレートでキレの良いロックン・ロールを叩き出していた、あれこそ馬聖が追い求めて来たサウンドだった。
 そして、今、目の前に現れた、ドラマーだと自称する男は、確かに『プログレ』と言う言葉を口にした……。

「プログレ、やってたのか?」
「まあな、ただ、中々メンバーが揃わないんだよ、ギターとキーボードに恵まれなくてさ……そんな折に君たちのセッションを聴いて、『これだ』と思ったんだ」
「そうか……で、その段ボールは?」
「ここにドラムセットを運んでくるわけにも行かないだろう? とりあえず今日はこれを叩くよ」
 王玄徳は、段ボールを据えると、ジーンズの腰に挿していたスティックを引き抜いて構えた。
「じゃ、とにかくやってみよう、曲は?」
「さっきの続きで良いよ」
「OK、じゃ始めよう」

 ギターと二胡のセッションに段ボールを叩くビートが加わった。
 そして、王玄徳は馬聖が想像した以上だった。
 段ボールを叩いてさえ、王玄徳は単純なビートを刻むだけに留まらない、リズムをキープしながらも自在なシンコペーションを加えて行くのだ。

「やるじゃないか」
「君がメンバーになってくれれば嬉しいよ」
 一曲やっただけで充分だった、馬聖と季天龍は、曲が終わるなり王玄徳に握手を求めた。
「こっちこそよろしく……それはそうと、君たち、中庭で練習してる位だから練習場所にも困っているんじゃないか?」
「ああ、その通りなんだ」
「だったら、俺がその問題も解決できると思うぜ……」

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

「おいおい、これが君の家か?」
「まあな」
 王玄徳が『俺ん家に来いよ』と二人を案内したのはとてつもない豪邸だった。
「こんなでかい家に入ったことないぜ、金持ちなんだな」
「俺じゃないよ、親父が金持ちなんだ、商売の才があるらしくてさ」
「大きな会社の社長なのかい?」
「まあな」
「君は跡継ぎって訳だ」
「いやぁ、俺は商売には向かないよ、兄貴がもう親父の補佐をやってるから、そっちは兄貴に任せるよ、俺はやっぱり音楽で身を立てたいからな、とにかく入れよ」

「お帰りなさいませ」
 玄関をくぐるなり、メイドが走ってきて頭を下げる。
「下に行ってるから、お茶だけ運んで来てよ、あと一人来るから四人分頼むね」
「かしこまりました」

 メイドが飛んでくるのにも驚いたが、玄徳に偉ぶった様子がないのにも感心した、そして……。
「あと一人って誰だ?」
「ベーシストさ、昔からの仲間なんだよ、彼の演奏も聴いて欲しいんだ……入れよ」

 玄徳の後に続いて階段を降り、地下室の重そうな扉を開けると……。

「すげぇ……」
「これは君専用のなのか?」

 目の前に広がっていたのは広々としたスタジオだった。

「まあな、ギターとアンプは勝手に使ってくれ、二胡にはマイクも要るな、そこにスタンドもあるから適当に……それで、これが俺のドラムセットなんだ」
「おお……」

 プログレをやっていたとあって大規模なセット、ダブル・バスに加えてシンセ・ドラムのパッドがセットされ、背後には銅鑼まで……。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

「よう、玄徳、大事な用事って何だ?」
 地下室のドアを開けて入ってきた者がある。
「来たか、祥雲、こいつら知ってるだろう?」
「あ、いつも中庭でカッコ良いロックン・ロールをやってる……」
「そうなんだ、今日、俺がセッションに飛び入りしてさ、二人とも俺を気に入ってくれたんでここに案内したんだ、お前も演奏を聴いてもらえよ」
「ああ、そいつは望むところだ……よろしく、俺は趙祥雲、ちょっとばかりベースを弾くんだ」

 四人でのセッションが始まった。
 王玄徳は、段ボール一つでも自在なシンコペーションを叩き出したが、自前の大掛かりなドラムセットの前に座ると、更に自由に疾走る。
 そして趙祥雲のベースは、グリグリと固い音色の堅実なベース、ドラムスが自在に疾走ってもベースがしっかりとリズムを支える。
 なるほど、ギターとキーボードがコロコロ変っても、この二人はずっと一緒にやってきたと言うのも頷ける。

 そして、馬聖は確信した。
 このメンバーこそ夢に出てきたメンバーなのだと。
 まだ始めたばかりで息の合わない部分もあり、完成度はいまひとつ、しかし、文句のつけようのない練習場所にも恵まれたのだから、その問題は直に解決するだろう。
 基本はストレートなロックン・ロール、しかし、自分のギターと王玄徳のドラムスは自在に疾走り、趙祥雲のベースがそれを支えてくれる、その上で季天龍の二胡は自由自在に空を翔け巡る……馬聖自身が理想とするサウンド、いやそれを超えるサウンドを叩き出すバンド、それがこのバンドなのだ。

「どうだい! ゴキゲンじゃないか、馬聖、季天龍、俺たちを仲間に入れてくれるかい?」
「もちろんだ! 四人で嵐を巻き起こそうぜ!」
「じゃ、早速バンド名を決めないとな」
「それはもう決まってるよ」
「何と?」
「ドレゴン・クロウ! これでどうだ!?」
「龍の爪か、いいな、聴衆の心を鷲掴みだ!!」
「しかも中国らしくていいじゃないか!!」
「よし! 今日から俺たちはドラゴン・クロウだ!!!」
「ドラゴン・クロウに乾杯!!!!」
 四人は烏龍茶で乾杯し、自らの門出を祝った。
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