1 ✿ 白薔薇の王女

文字数 2,522文字




 青年は、白薔薇の園の夢を見る。
 迷路のような箱庭の中央に、小宮殿があった。
 宮殿は吹抜けで、360度どこを向いても薔薇園を見わたせるつくりだ。

 宮殿には二つの玉座があった。
 左の玉座に女性が腰かけている。純白のドレスを着たその人は、見目麗しく、長い髪は三つ編みで結われていた。眠っているのか目は閉じられており、微笑みを浮かべている。

 この(ひと)に花を贈りたいと思った。
 青年は庭の白薔薇を「Sorry」と一本だけ手折り、玉座の前にひざまずいた。

「Princess」

 名を呼ぶと、王女は閉じた目をそっと開ける。
 その王女は「咲良(さら)」という名の女性だった。
 青年は、咲良に白薔薇を差し出した。

賢者の薔薇ね。なんて美しいの」

 王女は薔薇を受け取ると、その香りを嗜んだ。


「この薔薇のように神に愛された貴方は恵み深い。そうでしょう? 私の未来の王様」


 王女は、空いた右の玉座を指さす。
 そこでジョンは夢から覚めた。


「僕の深層心理は、まるでおとぎ話ですね」


 ジョンはベッドに横になったまま、

「I miss you」

 と、つぶやいた。


  ✿  ❀  ✿  ❀  ✿


薔薇園の夢?

 ラルフ・ローゼンクランツは、きょとんとして聞き返した。
 職場の休憩時間、ジョンはラルフにたずねたのだ。

夢分析なら、ラルフさんをおいてほかに訊ねられる方がいません」

「まぁ詳しい方だけど。一番詳しいのは、うちのじいさんで、俺はその話を聴いて育った程度だぞ。それでいいならな。もう少し詳しく教えてくれ」

 ジョンは今日見た不思議な夢について事細かに語った。

「すごいな…ジョン」

「すごい、とは?」

「たまにいるんだよ。夢で薔薇園を見る人間。おまえも見たのか。うちのじーさんも昔見たって言った。薔薇の色は?」

「白です」

「花言葉は純潔、尊敬、約束だな。薔薇の中でも高貴だ。おまえが見たのはおそらく――哲学者の薔薇園、またの名を…」

賢者の薔薇園ですね…」

 ジョンが答えると、ラルフは「そう、それ」と笑んだ。
 おとぎ話のような錬金術の思想だ。
 人の心の変容、その本質を表しているとされる。

「どうして気づかなかったんだろう。夢の中で咲良さんは、僕の差し出した薔薇を【賢者の薔薇】と言ったんです」

「そして、その花の色は【】だった…」

「僕は、賢者の薔薇園は【】だとばかり…」

「いや、夢の中の庭見る人によって異なる。じーさんがそう話していたんだ。咲く花の種類も色もちがう。花は満開だったり、つぼみだったり、花びらを散らしている時もある。迷路の庭もあれば、英国式の庭もあり、和の箱庭だって存在する」

 ラルフはそう言うと、胸ポケットからペンを引き抜く。
 ペンには、ラルフ・ローゼンクランツの名が刻まれていた。
 彼の名は「薔薇の花冠をかぶった狼」という意味である。

「その中でも、薔薇は特別なんだ。なぜか男女の恋には薔薇が用いられる。そういえば…日本の桜もバラ科だったな。俺は昔…夢で、満開の桜の庭にいたんだ。あれも俺にとっては薔薇園だった」

 バラ科の桜の園。
 それは美しいだろうとジョンは想像する。

「神に愛された貴方は恵み深い、か」

「え…」

「夢の中で王女さんが言ったことだろ。おまえの名前、Johnは、ヘブライ語で〝神は恵み深い〟って意味だ。ヨハネはイエスの愛弟子。夢の王女さんが言った通り、おまえは〝神に愛されている〟ってことさ」

 するとラルフが「あれ?」と首を傾げた。

「おもしろいことに気づいた。どうして咲良(さら)さんを王女だと思ったんだ? Princessって呼んだんだろ? なぜ?」

「I don’t know」

 ジョンは首を横に振った。

「ヘブライ語で〝サラ〟は、高貴な淑女、王女を意味するんだ」

「王女…。はじめて知りました。ラルフさんはヘブライ語にも通じているのですね」

「嗜みでね、ちょっと」

 ラルフは、ふっと笑みをこぼして、コーヒーをすすった。

「夢の中のジョンは、同じ響きで別の意味がある言葉も知っているんじゃないか? いつかの世、勉強したのかもな。俺は前世があると信じている。たくさんの国の言葉を勉強してみて分かった。なつかしいと思ったり、まるで前から知っていたような言語と出会う時は、特に。時を超えて親しい友人と再会したような感覚だったよ」

「僕も同じ経験をしました。けれど、あなたにはとてもかなわない」

 ラルフの修得言語は、三〇を超える。

「やはりローゼンクランツの王は多くの秘密に通じているのですね」

「あんまり言われると照れる」

 ラルフは恥ずかしそうに、はにかんだ。

「というか、おまえも王様だろ、ジョン?」

「僕がですか?」

咲良(さら)さんにとって”未来の王様”。夢の中でそう言われたって」

 ジョンは「あっ」と言って、目をしばたいた。

「賢者の薔薇園に登場するのは王様と王妃。咲良(さら)さんが王女なら、さしずめおまえは王子様ってとこか。今はね」

「ますますおとぎ話めいてきました」

「本当に」

 ジョンとラルフは、くすりとした。

「王様かぁ。花売り娘のイライザは”愛してくれる人が王様”とヒギンズ教授に言っていたなぁ」

「She is my fair lady.」

「大事にしろよ。たとえロンドン橋が落ちてもな

 ラルフは「ロンドン橋落ちた」の曲を口ずさむ。


   London Bridge is falling down♪
   My fair lady♪

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登場人物紹介

マリー・ローゼンクランツ


 絵画修復士を目指す少女。

 事件に巻き込まれ、傷心旅行で日本へやってきた。

(事件の詳細は、前作:ローゼンクランツの王 を参照)

守部 良治 (もりべ・りょうじ)


 高校二年生。球児。

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