ホリディ・イングリッシュ—―だいじろーDaijiro

文字数 1,808文字

「でもそれはアメリカンだよ、イングリッシュじゃない」
 パソコンの中のマシューが断言する。
 マシューはわたしの英語の先生で、イギリス人である。昔はイギリスで銀行マンをしていて、今はタイで悠々自適に暮らしている。わたしは週一でマシューとzoomで英語のレッスンを受けている。レッスンといってもただおしゃべりしていいるぐらいだ。
 わたしはマシューとの出会いがほぼ初めてのイギリス人との出会いだった。わたしの中のイギリスといえば、伝統的なファッション、曇り空、紅茶、そして気難しい英国紳士たちが出てくる英国ドラマである。
「やっぱ、イギリス人と言えばイギリス英語じゃない?」
 マシューのレッスン前にはたくさんの友達からイギリス英語への独自の見解を聞いた。発音が明瞭だから聞き取りやすい。日本人にも発音しやすい、などなど。
 そして実際のマシューはかなりゆっくり話す(わたしのレベルに合わせて)ので、正直あんまりこれぞイギリス英語だ!と思うことは少なかった。そして、気難しいかもしれないと内心思っていたが、マシューは熱帯の国・タイにいるせいか、非常にフランク。アメリカ人やオーストラリア人のように明るい。はっきり言ってイギリス人ぽいな、と思うことは少なかった。しかし、話していると時々マシューから感じるのだ、英国魂を。
 例えば、マシューはアメリカ英語を毛嫌いする。買い物で、ズボンを買いに行く、と言って、“パンツ“と言えば、
「それはアメリカン(アメリカ英語)だよ。イギリスでは下着のパンツの意味になるよ。イングリッシュ(イギリス英語)なら“トラウザー“さ」
と断じてアメリカンは認めない。それに従い、マシューの中ではクッキーなんて食べ物は存在しない。あるのはビスケットのみだ。
 発音もそうだ。キャスト(演者)と言ったら訂正される。
「カスト」
 もちろん水をウォーラーなどと読んではいけない。ウォーター、なのである。わたしはヘレンケラーの如く、「う…うぉーたー」と発音する。
 またマシューは67歳、大英帝国時代に生まれたせいか、かなりすごい価値観を持っていることもある。例えば、わたしがロシア料理でパイを被せたシチューを食べた話をした時、中の具材は何か聞かれた。
「きのことかじゃがいもとか、いろんな野菜が入ってたよ」
「それはアレンジされたロシア料理だね。ロシアなんて寒くて貧しい国なんだからキャベツしか入ってないんだよ」
と言う。でもねマシュー。それはロシアではなくソビエトだよ。マシューの地図にはきっとまだユーゴスラビアもあるはずだ。ロシアだけでなく他の国に対してもこの調子で話す。絶好調である。ラブアクチュアリーというイギリス映画に出てくるミュージシャンのおじさんもかなり口が悪かったことを思い出した。
 マシューのレッスンが始まって以来、ユーチューバーのだいじろー Daijiro をよく見る。イギリス英語というのに興味を持ったからだ。だいじろー氏はイギリス英語、アメリカ英語、香港英語、インド英語、タイ英語など自在に発音を操る。それぞれの発音で、それぞれの国民性を表現したブラックユーモアたっぷりのショートコントは抱腹絶頂である。またイギリス人がアメリカ英語をおちょくる番組の解説動画などはまさにマシューを体現したイギリス人のようで面白い。そして視聴者はそんなイギリス人にニヤニヤしているだいじろー氏を愛でるのだ。
「ホリディ・イングリッシュ。趣味の英語って意味だよ。あ、ケイはバケーション・イングリッシュの方が意味がわかる?でもそれはアメリカンだよ、イングリッシュじゃない」
 わたしの英語は惰性で続けているようなものだ。これからものすごくスピーキングが上がるとは思っていない。まさにホリディ・イングリッシュ。でもマシューは西洋人なので、権利の主張など東洋人とは違う価値観の話を聞けたり、前職で人間関係に悩んでいる時のアドバイスなど、大人としての経験が聞ける。こういう時、わたしは自分の視野がググッと広くなる感じがする。語学の本質的な面白さはこういうところなのではないだろうか。

今回の物語:マシュー
だいじろーDaijiro
https://www.youtube.com/watch?v=RVIHPj5nHB4
https://www.youtube.com/channel/UCy5A4S8tY0pxvzRhYrxodwg/videos
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