迂回路は夜の10時

文字数 1,979文字

 塾の帰り道はいつも工事中。迂回路を通って帰る。

 湾岸にそびえるタワマン群、あの中で一番小さいのが私んち。
迂回路の周りにはコンクリや資材が放置されていて、私は道草をする。
鉄骨に腰を下ろし、「埋立地だなぁ」と黒い海を眺める。

「お疲れ」
 カレーパンを食べながら花音(かのん)がやってきた。私の隣にどっかと座る。

「花音、志望校判定テストどうだった?」
 花音はカレーパンをお茶で流し込みながら私を(にら)む。
恵里衣(えりい)ちゃん、この顔見てわかんない?」
 私は花音の顔をじっと見る。

 ああ、きれい、ふてくされた表情も。
マスクを外してもギャップのないシンメトリーな顔。いつも食べてばっかりなのに、すらりと伸びた足。

「数学やらかしちゃったの。うち、文転は許されないのに」
「私はリスニング爆死。親は留学しても呼びやすいようにって、エリイと名付けてくれたというのに」
「恵里衣ちゃん、留学なんてダメ、こんなちっちゃくて色白で可愛いんだもん、危ない、さらわれちゃう」
 花音は私の頭をポンポンする。


 海風を受けながら、二人でだらだら歩いて帰る。
歩きながら、学校や塾の男子の悪口を言い合う。
私と花音は某有名私立女子高に落ちて、同じ都立高校に通っている。そして同じタワマンに住んでいる。




 五月は気持ちがいい。寄り道には最適な月。
一年の半分が五月ならいいのに。だよね、地球の設計ミスだよね。
花音とそんな言葉のラリーをして、今日も一緒に迂回路を通る。

 鉄骨資材に腰掛け、さっきコンビニで買ってきた、私はドーナツを、花音はアメリカンドックを袋から出す。
「志望校、どうしようかな」
「どうしよう」

 花音は千葉大薬学部を、私は横国の経営学部を志望校にしていた。
「無理っぽい」私がこぼすと、花音も「私もだよ」と。
 
 特にやりたいことの見つからない私たち。
小さい頃は賢いと言われたけど、上には上がいることがわかってきて、今はただ小賢(こざか)しいだけ。
 埋立地の上で途方に暮れる。夜の10時。




 今日の私たちは興奮していた。
二人でカレーパンを買って(花音にお勧めされたのだ)埋立地に向かった。

 今日は男子がA判定だ、B判定だとはしゃいでいてウザかった。そして結果が思わしくなかった男子たちがひりついていた。
 早稲田Aだって。所沢キャンパスじゃないの? 男って子どもっぽいよね。そうだね。それにコンプえぐいしジェラもきつい。そうそう。カレーパンおいしいね。でしょ? キーマカレーパンもおいしいよ。

 私は思い切って言ってみた。
「私、男って苦手だな」

 花音は、「でも恵里衣はモテると思う、胸も大きいし」と返したので、がっかりした。




 ある日の塾の帰り、花音と一緒にコンビニでおやつを選んでいたら、仁平くんと安藤さんが歩いていくのを目撃した。
仁平が少し先を歩いて、安藤さんがついていくような。

 あの二人は塾の下位クラス。ずんぐりむっくりの仁平に、いつも困り顔の安藤さん。
地味な二人なのに、妙な雰囲気を(かも)していた。
私たちはこっそり尾行する。帰り道だし。

 二人は迂回路から資材置き場の方へ並んで歩き、石材、木材、足場がうず高く積み上げられた物影に消えた。

 私たちは足音を消し、じりじりと近づく。

 夜10時でも湾岸エリアはところどころ明るい。
私たちが(はじ)からそっと覗くと、仁平と安藤さんは石材に座り、キスをしていたのだ。

 キスで唇を(ふさ)がれている安藤さんから、「んっ」「ふっ」と声が漏れていたのは、仁平の指が安藤さんの胸をすくい上げていたから。
ますます安藤さんは困り顔になっている。

 そして仁平は我慢できないといったように、安藤さんのブラウスをスカートから引っ張り出すと、ブラウスの下から手を差し込んだ。
(じか)に触っている! 
私は驚いて花音を見ると、花音はもっと見ようとして資材に手をかけ、その瞬間

ガシャ

 安藤さんの喘ぎ声が止まった。


 私たちは慌てて駆け出した。
 迂回路を走って走って、そして花音が笑い出した。
「あははは、びっくりしたー、ヤバイよ!」
 私もつられて笑った「あの二人の顔、もう見れないかも」

 耳を赤くして興奮している花音を見て、一瞬思った。
このテンションのノリで、ふざけたふりして花音にキスしたら。今なら冗談で済むかもしれない。
 すると花音は、さっきのシーンを反芻(はんすう)しているような顔つきになり、
「まだドキドキしてる」「安藤さん、エロかった」「どこまでいくのか最後まで見たかった」「一般人の(いとな)みは、ドラマと違って生々しいね」


「生々しすぎるよ」私は呟いた。


 帰ってきて、お風呂に入って落ち込んだ。
ふざけたふりして暴挙に出ないでよかった。せめて友達関係だけは壊したくはない。

 花音、興味津々だったな。

 花音はどんな男とつき合うんだろう。
花音の胸は小さくてかわいい。私は好きだよ。
……私が男だったらよかったのに。

 私は湯船の中で、花音の困り顔を想像した。



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登場人物紹介

田川 恵里衣(たがわ えりい)(都立高校2年生)

志望校は横浜国立大学経営学部


父親は公認会計士事務所経営

母親は都庁職員

兄は東京工業大学大学院(東京理科大から学歴ロンダリングした)

弟は男子校御三家の一角、武蔵中学校2年(中高一貫)


タワマン18階に居住

パーソナルカラー:イエローベース・春

西館 花音(にしたて かのん)(都立高校2年生)

志望校は千葉大学薬学部


両親それぞれに大学病院勤務

父親は皮膚科・泌尿器科医

母親は婦人科医

兄は群馬大学医学部(一浪、一留)


タワマン20階に居住

パーソナルカラー:ブルーベース・夏

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