第1話

文字数 5,960文字

 待ち合わせのカフェに到着すると、まだ一葉は来ていなかったので私は店員に案内された窓際の席に座って一葉を待った。
 この店を待ち合わせ場所として指定したのは一葉だ。
 木を基調とした落ち着く雰囲気を漂わせているカフェはとてもお洒落で、私だと絶対に選ばないカフェだった。
 周囲に座っている女性客は肩を出していたり、体の線が出るようなぴたっとした服を着ている。私はこれでもお洒落をしてきたつもりだが、彼女たちから見れば私なんてお洒落に無頓着な女にしか見えないだろう。せめてアクセサリーを付けてくるべきだったかと後悔したが、こんな私がキラキラしたものを付けたからといって可愛くなれるわけがない。豚に真珠だ。

 一葉が来てから注文しようと思っているので、店員が運んできた水を一口飲んだ。
 一葉、遅いな。
 腕時計を見ると約束の時間から十五分が経過している。
 途中で事故にでも遭ったのだろうか。
 私が到着していることはメールで伝えている。しかし、既読が付かない。メールを見ることができるような状態ではないのだろうか。
 心配になったので「何かあった?」と一言だけメールを送った。

 一葉と私は、双子の姉妹である。
 私たちが小学二年生の頃、両親が離婚した。母が一葉を引き取り、父が私を引き取った。最近になって一葉から連絡先が書かれた葉書が届き、連絡を取り合うようになった。何故、大学生になった今なのだろう、と考えたが両親を考慮してのことだとすぐに察した。私も一葉と連絡を取りたいと思っていたのだが、父に言い出し難く、結局行動に移せなかった。大学生にもなると分別くらいつく。高校受験を乗り越えた今が、良いタイミングなのだ。
 だから今日は数年ぶりに一葉に会うのである。

 最後に会ったのは小学二年生だ。私の記憶の中にいる一葉は幼い。今の一葉がどんな姿になっているか検討もつかない。一葉がここへやって来たとして、果たして私は「一葉だ!」と自信を持って見分けることができるだろうか。

 不安と緊張で喉が渇く。気づけばコップに入っていた水の半分以上を飲んでいた。
 遅いな。
 何度目か時計を確認していると「遅くなってごめん」と女性らしい甘い声がした。

 顔を上げると、そこにはこの店に似合いそうなきらきらした女性が立っていた。

「色葉だよね?あたし、一葉!久しぶり」

 一葉と名乗る女性は私の向かい側に座り、メニュー表を開いて通りがかった店員に「ハーブティと特製プリンください」と言い、メニュー表を元あった場所に戻した。

「あ、えっと、私まだ頼んでなくて......」
「そうなの?やだぁ、ごめん!」

 一葉はメニュー表をこちらへ手渡そうとしたが断り、店員にアイスコーヒーだけ頼むと、店員はペンで書き込んでいく。
 こういう店はデザートに長い名前を付けている。カタカナで、読みにくいような長い名前だ。それを読みたくなくて、無難なアイスコーヒーを注文する。

「アイスコーヒーは種類がございまして、ハーモニーとメロディのどちらにされますか?」
「は、はい? えっと……」

 よく分からず、目を泳がせていると店員が「失礼します」と言って先程一葉が見ていたメニュー表をテーブルの上に開く。

「当店オリジナルブレンドでございまして、ハーモニーはアメリカンコーヒーに近く、メロディはそれよりも苦めになっております」
「あ、じゃ、じゃあ、ハーモニーで……」
「かしこまりました」

 店員はにこりと笑い、メニュー表を片付けて立ち去った。
 恥ずかしい。
 コーヒーを飲むと決めていてもメニューを見るべきだった。そうすればこんな恥ずかしい思いをせずに済んだのに。
 顔が熱くなり、俯く。

「色葉は大学生活どう?」

 一葉は何も見ていなかったかのように、大学の話を振った。

「ま、まあ、そこそこ。一葉は?」
「あたしはね、ダンス同好会に入ったんだー。先輩がめっちゃ優しい人ばかりで楽しいよ。看護師になるための勉強はきついけどね」
「そ、そうなんだ」

 一葉は今時の女子になっていた。
 茶髪を緩く巻き、綺麗な化粧を施している。誰がどう見ても美人で、よく笑う。
 対して私は、一度も染めたことのない黒髪と、標準とは言い難い体型。ゆとりのある服を着ないと体型が隠せない。

「色葉は歴史学部だっけ?サークルには入ってるの?」
「い、いや、別に何も」
「ふうん」

 歴史学部、と言われて肩身が狭い。
 看護学科に通う一葉からすればそんな学部を出てどうするのだ、と思っているに違いない。
 私もそう思う。
 やりたいことがあるわけではなく、ただなんとなくで大学へ進学した。
 一葉は看護師になるという明確な夢があるが、私にはない。
 見た目も、志向も、一葉には敵わない。
 会って数分しか経っていないのに、すぐに理解した。

「それにしても久しぶりすぎて、何から話そうか迷うね!」
「一葉は、彼氏とかいるの?」
「おっ、恋バナ? いいね! んとねー、この前別れた!」

 あはは、と笑う一葉にちくりと胸に棘が刺さる。
 そうか、彼氏いたのか。

「でもそろそろ新しい彼氏ができそう」
「え?」
「ん?」
「できそう、って?」
「うーん、いい感じの人がいるからその人と付き合うことになりそうだなって」
「前の彼氏とはいつ別れたの?」
「二週間前くらいかな」
「……そうなんだ」

 二週間前に別れたのに、もう新しい彼氏ができるの。そんなものなの。
 一度も彼氏ができたことのない私は一体何だろう。
 彼氏ってそんな簡単にできるものなのかな。

「色葉は?」
「わ、私?」
「そう。大学は共学でしょ? 出会いありそうじゃん」
「私は……今はいないかな」
「そうなんだ。まあ男なんていくらでもいるからね!」

 今はいない、なんて言ってしまった。嘘ではない。今はいない。過去にもいないけど。
 一葉と久しぶりに会えるからと、緊張もしていたが楽しみにもしていた。それなのに、なんだろう。ちっとも楽しくない。
 カップルで座っている客の、男の方がちらちらと一葉に視線を寄せている。
 彼女がいても美人は見たいのか。
 姉の私から見ても一葉は綺麗になったと思う。綺麗故に、本当に私たちは双子なのかと疑問に思う。
 昔は「そっくりだね」と周りに言われたものだが、今やそっくりの「そ」の字もない。
 今朝、胸を弾ませていた気持ちが一気に萎んでいく。
 数年前まで同じだったはずなのに、どうしてこうも別の道に立ってしまったのだろうか。
 卑屈に傾く自分が嫌になる。

 店員が一葉の前にプリンとハーブティを置き、私の前にコーヒーを置いた。
 同じタイミングでカップに口をつけ、喉を潤す。

「あたしね、昔の写真を何度も見返したの。色葉は今どんな姿になってるかな、って想像しながら。やっぱり昔の写真だから、お互い今とは全然違うよね」

 ふふふ、と楽しそうに微笑む一葉。
 今のはどういう意味だろうか。
 一葉は美人になった。じゃあ、私はどうだ。お互い全然違うとは、どういう意味だ。
 色葉は不細工になったね、とそう言いたいのだろうか。
 綺麗な人間を前にすると、どうしても考え方が卑屈になる。悪い癖だ。
 放たれる一言一言に含みがあるようで気にしてしまう。

「色葉はどんな生活を送ってるの?」
「どんなって……普通?」
「あはは、何それ」

 姉妹なのに、うまくコミュニケーションがとれない。
 知らない人と話しているような錯覚だ。

「あたしはねー、朝起きてママと自分のお弁当作ってー、朝ごはん用意してー、学校に行くの。そんで授業受けて、バイト行って、あ、バイトない日はサークルに参加してるよ。家に帰ったらママが夕飯作ってくれてるから食べて、寝る!」

 とても充実しているようだ。私とは大違い。
 私だって夕飯くらいは作っている。朝と昼はコンビニで買うけれど、料理は一応できる。

「バイトはね、イタリアンの店だよ。賄いが美味しいんだ! 時給も高くて、皆仲良しだし、最高」
「そうなんだ」
「色葉は? バイトしてるの?」
「う、うん。博物館の近くにある本屋さんでバイトを……」
「へえ、歴史学部っぽいね」

 ちくりとまた胸に棘が刺さる。
 歴史学部っぽい、は褒め言葉ではない。
 歴史学部に通うような地味女が働いていそうなところだね、と言っているように聞こえる。
 お洒落なところで働いている一葉と、地味なところで働いている私。見た目も中身も、バイト先ですら対照的だ。

「そういえば、色葉の友達の写真はないの?」
「え? どうして?」
「どんな子と友達か気になるじゃん」

 他意がなさそうに笑うけれど、類は友を呼ぶって諺を知らないのだろうか。
 私の友達は私に似ている。髪を茶色に染めた友人もいるが、地味女から脱出はできていない。ただ地味女が髪を染めただけだ。そんな友人と撮った写真を見せたくはない。

「あんまり写真は撮らないから……」
「そうなの? じゃあ、あたしの見てよ! めっちゃ個性的すぎて笑えるから!」

 携帯を取り出して、私に見えるようにテーブルに置く。

「この子はね、家が金持ちのお嬢様」

 言われずとも察した。来ている服や顔を見て、お嬢以外の言葉が出てこない。
 一葉とのツーショットだが、後ろに豪邸が立っている。

「これはこの子が持ってる別荘に遊びに行ったとき」
「べっ……そう……」

 この豪邸が別荘なのか。驚きのあまり大声を上げそうになったが、何でもないように装ってコーヒーを飲む。

「この金髪の子はDJをやっててー、こっちの赤髪の子は実家が神社なんだよ。この男は海でナンパしてきたんだけど趣味が合って友達になったの。こっちの髭男は友達と行ったクラブで知り合った医者でさー」

 ね、個性的でしょ。そう言って声を出して笑う一葉に、私は声を失った。
 住む世界が違うのだ。
 呆然とする私に気付かないまま一葉は続ける。

「これは友達が豪華客船に乗せてくれた時の写真で、こっちはクルーザーに乗った時の写真。あ、これは皆で釣りに行った時の写真で、こっちはプチ同窓会でバーベキューをした写真!」

 どれも色んな人と写っており、私との人脈の差を感じる。

「ご、豪華客船って……」
「ん?」
「豪華客船って、いくらするの……? 一葉はそんなに稼いでいるの?」
「あぁ、友達が全部出してくれたの。一緒に乗ろう、って誘ってくれたから遠慮なくついて行ったよー!」

 そんな友達とどこで出会うの。
 私なんて数人の友達しかいないのに。
 日々節約して漫画を買う金を貯めているというのに、一葉はそんな私を嘲笑うように豪華客船に乗った話をする。

「色んな人と出会うと、色んな話を聞けるし色んなことを経験できるから、最近は誘われたらなるべく断らないようにしてるんだ」
「そ、そうなの。でもそんなに遊んでたら勉強やサークルはどうするの……?」
「サークルは参加することの方が少ないかも。ほとんどバイトか遊びに行くかだね」
「サークル活動は大事じゃないの?」
「だって、サークルだよ。部活じゃないから、結構緩いんだよ。発表会とか大会とか、そんなのないしね。ダンスが好きな人たちが集まってちょっと踊るだけの同好会だから。本気でダンスやりたい人はダンス部に入るよ」
「へえ、色々あるんだね。でも勉強は大丈夫なの?」
「まだ一年目だから、そんなに大変じゃないかも。友達が授業の動画を撮ってるから、休んだ時はそれを見せてもらったり、テストの過去問は先輩に貰ったり、なんとか頑張ってるよ」

 縦と横の繋がりがあるから強いのだ。私なんて横の繋がりすらあまりないのに。
 美人で、友達は多くて、将来の夢は看護師で、明るくて。私とは何もかもが違う。
 羨ましく思うが恨めしい気持ちの方が大きい。
 どうして双子なのにこうも違うのだろうか。
 私も母に引き取られていたら違っただろうか。

「っていうか色葉、全然自分のこと喋らないじゃん! もっと教えてよ」
「い、いや、そんなに話すようなことないし……」

 一体何を話せというのだ。
 何を話しても霞んでしまう。
 思わないようにしていたが、やはり思わずにはいられない。

 会わなきゃよかった。

 そうしたら惨めな思いをすることもなかった。劣等感を抱くこともなかった。
 知らないままいれば「一葉は今頃どうしているかな」と好きなように想像できたものの、知ってしまうと「今頃一葉はたくさんの友達に囲まれて、私が関わることない世界で楽しんでいるんだろうな」と妬ましく思ってしまう。

「また会おうよ。次は買い物に行こう!」
「うん……あ、ごめん、そろそろバイトに行かないと」
「今日バイトなの?」
「急遽代わることになったの」
「そっかぁ。じゃああたしはもうちょっとここにいるね。お喋りに夢中でハーブティもプリンもまだ残ってるから」
「分かった。じゃあ、これ私の代金置いておくね。お釣りは要らないから」
「はーい。また連絡するね!」
「うん」

 千円をテーブルに置いて先にカフェを出た。
 やっと空気を吸えた気がする。
 カフェはお洒落で居心地が悪かった。目の前には知らない人になってしまった一葉がいて、落ち着かなかった。
 歩道を歩いていると、隣の建物に私が映っている。
 足を止めてじっと自分を見つめるが、やはり一葉と似ている要素がない。
 小太りの地味女が重い髪の毛を垂らしている。自分なりに服装には気を遣ったけれど、この恰好で洒落たカフェに入ったと思うと恥ずかしくなる。
 きっと周りの客はクスクス笑っていただろう。
 一葉だって心の中ではダサいと思っていたはずだ。

 一葉はまた連絡すると言っていたが、もう連絡しないでほしい。一葉と並んで歩きたくないし、洒落た店にも行きたくない。一葉の顔を見ると私の醜い心が刺激され、卑屈になる。
 そして一葉と会い続ければ、いつか父に会いたいと言い出すかもしれない。父に一葉を合わせたら、私と一葉を比べるだろう。一葉はあんなに立派に育ったのに、と私を蔑むような目で見るかもしれない。そんなの耐えられない。比べられたくない。

 ポケットに入れていた携帯が振動したので開いてみると、一葉からメッセージが届いていた。
 今日はありがとう。久しぶりに会えて嬉しかった。絶対にまた会おうね。
 と、たくさんの絵文字付きで送られていた。
 私は素っ気なく「そうだね」の一言のみを送った。
 華やかな絵文字からも一葉のきらきらしたオーラを感じてしまい、嫌になる。
 私はそのメッセージをなかったことにしようと、削除ボタンを押した。
 一葉からのメッセージはすべて消えた。

 今日をなかったことにしたい。

 けれど私の記憶には今の一葉が刻まれ、これから一葉の名前を聞く度に今日のことを思い出すだろう。
 十年後、二十年後も一葉との仲は続く。姉妹という鎖で繋がれている以上、断ち切ることはできない。
 一生ものの縁なのだ。
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