第36話 戻らぬ二人

文字数 728文字

 壮麗な海の都を照らす太陽が西に傾き始めた頃、阿梨はアディーナ姫と共に船に帰り着いた。
「阿梨さま、今日はとても楽しかったです。わたくし、決して忘れませんわ」
 自由に、ただの娘として街を歩いた日。
「それはよろしゅうございました」
 渡し板を先に歩きながら、阿梨は微笑して姫に手を差し伸べる。物資の調達に行った勇駿たちもそろそろ戻ってくる時刻だろう。
「……?」
 アディーナ姫と共に甲板に立った阿梨は首をかしげた。どうしたわけか、多くの者が甲板に集まり、妙にざわついている。
「長!」
 帰ってきた阿梨を見て、部下の一人がこわばった顔つきで呼びかけてくる。
「どうした? 何かあったのか?」
 勇仁が近づいてきて唇を動かしかけたが、隣のアディーナ姫の姿を認めると言葉を呑み込んだ。
 そして、ぎこちない笑顔で、
「あ、いや、大したことではないが後で話がある。姫君を部屋までお送りしたら、わしのところへ来てくれ」
「承知しました」
 ()に落ちない思いで阿梨はうなずいた。
 かたわらのアディーナ姫も(いぶか)しい思いを抱いたが、あえて何も問わずに自室へと戻っていく。
 姫を船室まで送り届けると阿梨は勇仁のもとへ急いだ。
「義父上、何があったのです?」
「勇利と梨華が船を抜け出して、まだ帰ってこない。わしがついていながら……すまん」
「義父上のせいではございません。まったくあの子たちは……」
 腕組みをして阿梨は大きく嘆息した。
 二人がこっそり船を抜け出すのは、いかにもありそうな展開だ。
 しかし陽が傾く時刻になっても戻ってこないのは解せない。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の美しき長。結婚して母となっても、変わらず颯爽と水軍を率いている。

勇駿(ゆうしゅん)


公私共に阿梨を支える夫。阿梨と子供たちをこよなく愛している。

梨華(りか)


双子の妹。母譲りの容姿と武術の才能を持つ。勝気な性格でいつも兄を振り回している。

勇利(ゆうり)


双子の兄。学問には秀でているが、ちょっと気弱。常に妹に押され気味。

勇仁(ゆうじん)


勇駿の父。以前は長の補佐として采配をふるっていたが、今は孫たちの教育がもっぱらの生きがい。

アディーナ姫


タジク国第一王女。二つの国の絆を深めるために海を渡る花嫁。金髪と緑の瞳の、美しく優しい姫君。

寄港地のフローレスでひと時の自由を願う。

ケイン


荒事屋。名の通り、目的のためなら荒っぽい手段も辞さない裏社会の人間だが、殺しはやらないのが信条。

ラルフ


ケインの相棒。孤児だった自分に手を差し伸べてくれたケインに恩義を感じ、行動を共にしている。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み