第四話 湯屋の四文銭(前編)

文字数 2,665文字

 お初にお札を貰って、暮六ツ半に松の湯に向かう。
 ちょうど松五郎が暖簾を下げるとこだった。
「松五郎さん、ちょいと今日は湯屋の一階に隠れさせてもらって、いいけえ?」

 松五郎は渋い顔をして拒絶する。
「泥棒はお客がいる刻に出るんだよ。お客がいない夜中に見張っても、無駄だよ」
(妖怪がどうのと説明しても、わかっちゃくれねえだろうな)

 虎之助は努めて賢そうに語る。
「それがねえ、あっしの知り合いに頭のよい男がいるんでさあ。そいつが語るには泥棒は盗んだ銭を、いったん風呂屋のどこかに隠している、って教えてくれたんでさあ」

 松五郎は疑い深い顔をする。
「湯屋に銭を隠す場所なんて、ねえと思うけどな」
「それは、調べてみねえとわからねえ。で、その知り合いが推測するに、泥棒は夜に隠した銭をこっそり回収に来ているってえんだ」

 松五郎が嫌そうな顔で感想を口にする
「そんなら、毎夜毎夜、家に入ってきていることになるねえ。気味が悪いや」
「だろう、だから、知り合いの推測が当たっているかどうか俺が確かめるんでさあ」

「でもさあ、夜になったら、湯屋の中なんて真っ暗だよ」
 虎之助は胸を張って答える。
「そこは大丈夫、俺は夜目が利くんでさあ。ちょっとの明かりがあれば、目は見える。下手な猫になら、負けやしねえや。だから一階の窓を開けといてくれりゃいい」

 松五郎が感心した。
「そんな天賦(てんぷ)があるのけえ。わかった、なら頼むよ」
 湯屋の家族に夕飯をご馳走になり、虎之助は番台の陰に隠れて夜を待つ。

 夜も更けて、暗くなってくる。
 湯屋の窓からは月の明かりか星の明かりが、ぼんやりを入ってくる。
(これぐれえでも、明かりがあれば見えねえことがねえな)

 夜四ツ刻(約二十二時)の少し前。どこから、チャリン、チャリン、と銭がぶつかる音がする。
 耳を澄ませると、どうも、床下から聞こえてくる。

 床を這うようにして音の出所を探る。音の出所は脱衣所にある板の間の下からだった。
 そっと近づくと、男たちの話す声がする。
「もうすぐ、地下御殿の入口が開くぞ。開いたらすぐに飛び込むんだ。四文銭を運ぶんだ」
「わかってやす。地下御殿に行けば朋輩(ほうばい)も大勢、金銀小判も、ざっくざっくだ」

 板の間の板は取れそうだった。板の間(あいだ)に手を掛けて、ぱっと捲る。
 板の下には、四文銭が三十以上も落ちていた。
 虎之助に見つかった四文銭の一つが叫ぶ。
「人間だー、逃げろ」

 四文銭が散り散りになって逃げようとする。
 虎之助は逃げようとした四文銭を一枚さっと掴む。
 捕まった四文銭は、ばたばたと手の中で暴れていた。
 虎之助は四文銭をギロリと睨む。

 四文銭の中央にあった穴の中に現れた目と目が合った。
 すると、四文銭から目が消えて。足も消え普通の四文銭になる。
 虎之助は低い声で凄んだ。
「おい、四文銭。黙ってやり過ごそうとしても、そうは行かねえ。事情を、さっさと白状しやがれ。でねえとこのまま、炎の中に投げ込むぞ」

 四文銭を脅すと、四文銭は覚悟をしたのか、穴のところに目ができて下に口が現れる。
「どうか、火炙りだけは御勘弁を。そんなことしたら死んじまう」
「俺の名は虎之助。正直に話せば命までは取らねえ。訳を話してみやがれ」

 四文銭はうなだれて渋々白状する。 
「あっしは本を正せば(かまど)松脂(まつやに)でやした。それが妖怪化して四文銭に取り付きました」
「そうか。それで、名は何と言う」

「名はありやせんが、脂坊(やにぼう)とでも、お呼びくだせえ」
「では聞くが、脂坊よ。竈の松脂が妖怪化したのなら、御府内中で脂坊が発生しているはずだ。なぜ、ここの風呂屋にだけ出る?」

 脂坊は沈んだ顔で内情を語る。
「それは、竈には竈神がおります。竈神がいる竈では俺たちは生まれてきやしません」
「ここの湯屋の竈には、竈神はいねえのか?」

「以前はおりましたが、今は竈が汚れすぎたために、竈神が怒ってしめえまして、竈神の御加護ありやせん。ですから、あっしらが発生しました」
「ならば、竈を綺麗にすればもう、脂坊は発生しなえんだな」

 脂坊は諦めた顔で教えてくれた。
「それは、もちろん。これ以上は発生しませんよ」
「そうか、あと、今までに消えた四文銭はどうした。お前たちが使ったわけでもあるめえ」

 脂坊は強張った顔で白状した。
「実は地下御殿には弁財入道と呼ばれる大物妖怪がおります。その弁財入道が、金銀銭を集めているのでごぜえます」
「妖怪が金銀銭をね。何かを買うつもりけえ?」

 脂坊は不安な顔で告げる。
「それは、わかりませんが、充分な銭が集まった暁に、安楽な暮らしを約束してくれてます」
「そいつは、ちょっと話が怪しいな。お前さん。騙されているぞ」

 脂坊はあっさりと認めた。
「あっしも疑わしい話と思います。ですが、あっしらは金銀には目が眩み、近づきがたく、銭のような小さな物に取り憑くしか能がねえ妖怪です。弁財入道の話に乗るしかねえと思いました」

 ゴリ、ゴリ、と音がする。目を凝らすと風呂屋の奥から頭が古い三升釜になった妖怪がやってきた。
 妖怪の身長は五尺五寸(約百六十五㎝)。釜には首から下に人の体があり、褌を締めていた。
(どうやら、妖怪たちの用心棒の登場か)

 虎之助は小桶を引っ掴むと、脂坊を逃がさないように中に入れ伏せる。
 虎之助は、やってきた大釜に目掛けて拳を振り下ろす。
 拳が大釜に当ってガーンと音を響かせるが、大釜の妖怪は無傷だった。
「痛てぇえ。錆びても、さすがは鉄なのか」

 大釜の妖怪は身を低くして突っ張りを放ってくる。
 大釜の妖怪の突っ張りは威力があって、六尺の虎之助でも体勢を崩されそうになる。
「ならば、これでどうだ」と組に行く。
 大釜の妖怪は足腰も強靭(きょうじん)で、一進一退の展開になる。

 虎之助は踏ん張って、腰に力を入れると、大釜の妖怪の足が浮いた。
 そのまま、えいやっと投げると、大釜の妖怪は頭から脱衣所に転がる。
 ボンと音がして大釜の内側から大量の脂坊が現れて逃げ出した。脂坊が逃げ出すと、大釜は普通の古びた大釜に戻った。

 だが、大釜が転がった拍子に小桶が動いた。捕まっていた脂坊はこれ幸いと小さな体で逃げ出した。
「しまった」と思った時には逃げるゴキブリの如く、物陰に逃げられたあとだった
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