第4話

文字数 1,922文字

 おっさんを置き去りにして、バスに戻るとすぐさま発車した。そしてアナウンス。
「昼食はいかがだったでしょうか」
 世にも珍しい体験をどうもありがとうございました。
「それではこれより、幻の魚人間の幻を追え! 幻の泉探検ツアーを開始いたします!」
 なん……なんだそれは。幻ってそんなに連呼するものじゃないだろ。ていうか魚人間の幻ってそれ幻じゃねえか。
 言いたいことはいろいろあったが、届くはずもない。ただ幻の泉というだけあって、山奥の秘境にでもあるのだろう。なぜといって、さっきからバスが頻繁に登り下りし、時々うねるように曲がっているし、道が悪いのか車内がよく揺れているからだ。外が見えずともそれはわかる。
 まあ昼飯というか休憩時間があったということは、中間地点くらいには来てるのかもしれない。つまりあと三十分もすれば到着するんじゃないだろうか。いまだに目的はわからんが、すこし待ってみよう。
 その後おれの予想に反し、三時間十五分ほど経った頃、ようやくバスが停まった。再びアナウンス。
「ここからはガイドの兎田(うさぎだ)さんが案内を務めます」
 すると運転席の暗幕から女性が出てきた。帽子から制服から靴までショッキングピンクで覆われていて、象のお面をしている。そこは兎のお面付けとけよ。
「皆さま初めまして。ガイドの兎田でございます。幻の泉までをご案内させて頂きます」
 ベテラン女優か、高級旅館の女将のような、艶っぽい素敵な声だった。その魅力を服装が殺している。
「なお、幻の魚人間は強い音や光に弱いので、ゆめゆめ忘れませぬようお願い申し上げます」

 そこは深い森の中だった。心なしか霧がかっていて視界が悪い。しかも道らしい道がないので、けっこう無理にここまで来たようだ。腰に、バスとを繋ぐ命綱を結ばれると、緊張感が出てきた。
 ハニワたちは留守番で、おれと兎田さんだけで泉へ向かう。まさかそのショッキングピンクが見失わないためのものだと知って、ちょっと身につまされた。
 といってもそう遠くはなく、木々の間を練り歩き、十分ほどで到着した。おれたちは茂みに身を隠しながら泉を窺った。
 幻の泉というだけあって、遠目に見てわかるくらい水が澄んでいる。それどころか、きらきらと輝いてすらいるようだ。特殊な成分でも含まれているのだろうか。
 その時、風が吹き荒び、周囲をざわざわと揺らした!
「あちらをご覧ください」
 どこか緊迫感のある兎田さんの手が示す方、泉の奥に二つの影が現れた。
 ……マグロの競りを見たことがあるだろうか。堂々と横たわるマグロは、死してなお、大海を渡りきるほどの逞しい肉体を誇っている。おれの脳裏に浮かんだのはまずそれだった。
 ただ違っているのは、そのマグロに人間の手足がついているということだ。頭がマグロなのではなく、体全体がマグロのところに手足が生えている。片手に銛を持ち、一匹が赤いハイソックス、もう一匹が緑のハイソックスを履いていた。さらに一点あからさまな特徴があったが、それは触れずにおいた。
「あっ、始まりますよ」
 兎田さんに小声で言われ、注視していると、魚人間たちはまず銛を捨てた。それから手を繋ぎ、腕を伸ばし、片足ずつ交互に上げながら、くるくると回転を始めたのだった。
「あれは雨乞いの儀式です。運がいいですね、めったに見られるものじゃないんですよ」
「へえ、神に祈っているわけですか」
「いいえ、彼らは神の怒りに触れたからあの姿にされたそうです。古い文献に記してありました」
 なんだその文献。
「雨乞いはかなりの集中を要します。邪魔をしては悪いので私たちもそろそろ……」
 そうして我々は引き上げた。幻の魚人間は実在したのである。
 バスの後部座席に戻ると思案した。これでおそらくツアーは終わったことになるが、結局おれに魚人間を見せる? のが目的だったのか。それにしては妙にあっさりしているというか、苦労に見合っていない気がする。
 まあ今さら考えてもわかるまい。それよりおれは疲れている。忘れがちだが、割と常にハニワに挟まれているのだ。とはいえ、今さら警戒しても無意味だろう。この際むさ苦しさは無視して眠ろうと思い、おれは目をつむった。
 ……だがおかしい。なかなか発車しない。気になって寝つけない。足音がする。兎田さんか? いや、どうもどたどたとうるさい。それどころかびちゃびちゃと水の滴るような音が混じっている。
 不審感に目を開けると、前の座席に魚の身がぎゅうぎゅうに詰まっていた。
 え、おまえら。おまえらは来ちゃ駄目だろ。仮にも幻なのに。
 心の中の突っ込みもむなしく、発車するバス。それでも訝しげに見ていると、どこからか声が聞こえた。
「何見とんじゃワレこら」
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