第1話

文字数 752文字

奈津は鏡をのぞきこんだ。
昨晩は3時にリョウと眠りにつき、起床したのは9時過ぎ。果たして、目の下にうっすらクマができた。奈津はいそいそとコンシーラーを擦らせる。
身支度をすませたリョウがバタバタと廊下を歩いて、洗面所の奈津を一瞥した。「まだ?」とは言ってこないが、せかされたようで、あまり良い心持ちがしない。だいたい男というのは、化粧に対する理解がほとんどない――奈津は素知らぬふりをしながら考えた。
毎日、家を出るまでに十分、十五分、世の女たちは日焼け止めやアイシャドウ、リップ、ビューラーをたて続けに操る。年をとっても女がボケないのは当然だ。顔に絵を描きつづける人種に、ボケる暇なんてないんだから。先週買った新しいリップを塗りながら、奈津は腹の中でやっつけた。

リョウは同じサークルに入っている一学年上の先輩だ。「ほぼ同棲」の関係になってから半年近くなる。
ありふれたプロフィールに相応しく、馴れ初めもありふれている。先輩後輩が交ざった6人で宅飲みをして、最後まで起きていたのがリョウと奈津だった。気化したアルコールですっかり空気が重くなった部屋で、2人は4時半まで喋り散らし、気付いたら互いの肩によりかかっていた。告白などなく、記念日も曖昧なまま2人は一緒に過ごすようになった。

奈津が家に帰ると、リョウはだいたいギターを弾いているか、本を片手にタバコを吸っている。「おう、おかえり」と言うリョウの無表情に奈津は最初、不安を抱いたものだ。
付き合って3か月ほど経って、奈津は急に悟った。リョウの「おかえり」には、「誰と遊んだの」という不安とか「帰ってきて嬉しい」という喜びもないと。単なる「おかえりの感情」でしかなかったのだ。物足りなかったが、そこが落ち着くところなんだと、奈津は独り合点した。
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