昼前に休憩したい 3
文字数 3,821文字
珍しく問いかけに答えない賢者を不思議そうに見るノーグには、急速につまらなそうな顔になった彼女の心情の変化はわからない。それがわかる金の髪の青年だけが、最後まで全うしろとばかりにちらりと彼女の方に目を向けてきたので、気を取り直す。別に彼女だって物足りないからといってやる気をなくすことはないのだ。例えるならそれは、道筋の見えた試験の解答のようなもので、全部を埋めるつもりで挑むのは変わりないが、解いている間の興奮は収まっただけの話。
案内は最後まで手を抜かない。その最後を埋めるための「ノーグに答えられそうな」質問を彼女は尋ねる。
物足りなさはあれど、彼の行き先を早く教えてあげたい気持ちがある。
案内をする意味を知っているから。
「覚えてればでいいのだけど、太陽が欠ける日がなかった?」
質問に質問を投げた行為を責めることもなく、黒髪の青年は素直に考えて答えてくれる。
「……あ、ありました! 昼間にいきなり周りが暗くなったんで、街中結構な騒ぎになりましたね」
「冬に、すごく眩しい流星が来た時は?」
「はい覚えてますよ! いつものように寝る前に空を見ていたら、そりゃもう眩しい箒星が流れて!」
「北から東の方へね」
「そうそう! カトレアさんも見たんですか? あれは凄かったですよね」
「…………残念だけど、私は見たことがないわ」
矢継ぎ早に投げた質問全てを、予想通りの回答で返されて確定した答えに、ふぅと無意識に彼女は息を吐いた。やはり全てがはっきりするまでは心のどこかで疑いが残り続けるものだ。
案内する先はどういう霊かによって変わる。
しかし霊は、目の前にいるそれだけでは死霊か生き霊かは全くわからない。見た目で区別できるものではないのだ。そして表面上の言動でも判別は難しい。
ただその二つには決定的な違いがある。
死霊は、帰る身体を持たず完全に切り離された存在故に、己が最も強く自分だと意識する外見年齢で現れる。
生き霊は、帰る身体との繋がりが残っている状態で現れるが故に、例え本人が覚えていなくても実際に残っている身体の年齢で現れる。
どちらも、霊は己自身のままで現れているので、彼ら自身は己の見た目の変化に全く気づかない。鏡にも映らないし、強く意識しなければ彼らは己の見た目の違和感には全く気づかないのだ。見えている腕などの皺が増えようが減ろうが、まず気づけない。勿論その言動にも変化はない。
それでも、霊が持っている嗜好や感覚や思い出は、やはり「身体から離れた時の」己自身のままなのだ。
例えば死んだ時よりもはるかに若い頃の姿で霊になったとしても、それらまでが若い当時の状態を再現する訳ではない。死霊でも生き霊でも、全員が霊になった際の状態のままで現れる。
つまり言動からそこの違和感を見出せば話は早い。そしてノーグの場合、判断に使える情報は多く、あまりに違和感が大きすぎた。
「あなたの行き先がわかったわ」
「えっ!? もう?」
断言すると驚いたように目を開く青年に、こういう相手の時に毎回思う事を今回も飽きずに思う。
出来れば、生きてる時に会ってみたかった、と。
別に交流が好きでない性格であっても、やはり一通り会話をしてしまえばそう思ってしまうのが不思議だった。けれどそれは言わずに話を進める。
「貴方は死んでます。輪廻の渦に向かえば、機会があれば次の生に移れるわよ」
「本当にっ? え、あの、絶対に……?」
「不安ならば証拠を見せましょうか」
提示された案内の結果に目を輝かせて身を乗り出すものの、やはり間違えば自分の消滅がかかっているから安易に信じず慎重さを見せる。これも霊ではよくある姿なので気にせずに椅子に座ったままで後ろを振り返り、もう使い慣れた本棚の中から目当ての本を取り出した。
ここは客を通す唯一の部屋だからこそ、出来ればこの部屋の中で完結できるようにと配慮した結果、このような本棚と椅子の配置が出来上がっている。
その本棚の中にあるのは、あらゆる情報を纏めた様々な系統の本。
歴史書もあれば草木の雑学書や医学書、動物図鑑に天体書など、そこには内容問わずで限りなく広範囲の書籍が置かれている。それも単に集めて並べているわけでなく、置く前に全部彼女が目を通して選び配置まで全部考えて決めているため、どこにどの本があって何が書かれてあるのかは全て把握できている。
その中から今回において解りやすい資料としてある天体書を取り出した。これはこの国で起こったあらゆる天体の現象が、年ごとに書かれたもの。厚い背表紙で中身も厚いそれをぺらぺらと捲りながら問う。
「さっき話した流星、貴方が見たのはどれくらい前? 具体的じゃなくていいの、感覚で教えて」
「えっと、一年前くらいですかね。そんなに昔じゃなかったと思うんですけど」
まだ意図はわかっていないのだろうが、記憶を探っているのだろう斜め上に目を彷徨わせつつ、しかしはっきりと最近の時期だと言うノーグに、本から見つけた頁を見えるように掲げる。
星が流れた記録の部分。
「その星が最後にこの国に流れたのは三十五年前。貴方はこの国の自宅で見てるから他国で見た可能性も低いし、そうでなくとも直近三年まで遡っても、北から東に流れたこの規模の流星は世界中探しても無いの。だからそれを最近だと思ってる貴方は、今の感覚が本来の自分の身体の年齢と乖離してる事になる。もし生き霊なら今の身体の感覚と一致しているからそういう事は起こらないの。しかもこの星を貴方は自分で見たという。つまり」
「お、俺、もしかして本当はすごい年寄りってことですか!?」
「今の姿で最近見た、ということから考えれば、ほぼ確実に五十歳以上、でしょうね」
「うわぁ」
ノーグが絶句したのは、それだけ本人の感覚と予想される実年齢が異なっているからだろう。
もしも生き霊ならば、どれだけ過去を鮮やかに覚えていても、それは過去のまま懐かしい記憶であった筈だ。思うに人は、本人が思う以上に身体の感覚が意識に影響しているものらしい。身体から完全に離れてしまえば、自分が最も自分だと思える頃に、これだけ自然に戻れてしまう程。
高齢者が霊になった時に若い姿なのは珍しくない。いつまでも気持ちが若かったということだとは思う。年甲斐もなく、なんて言葉がある位、人は己の実年齢と必ずしも一致した気持ちで生きてはいないし、一番印象に残っているのが今だという人も案外少ないだろう。
自分が死霊になったらいつの姿になるのか。
時折、彼女は夢想するが、自分のそれは具体的に想像できたことはなかった。
「なんか、実感はないんですけど、でも納得です。俺の中ではそれ、すごく最近だし、俺は他の国にまで旅行に行ったりしないだろうし」
自分自身のことだからこそ感覚としては余計にわかるのだろう。余程認めたくない事実でない限り霊の多くは、客観的な証拠を1つ2つ挙げれば素直に指摘を事実だと受け容れる者が多い。ましてノーグは元から素直な性格を見せていたから、本の中を少し読んで中を確認すると直ぐにそう言って笑った。
それでも一切何かを思い出したりしないのは、彼が霊故だ。
どんなにきっかけを並べようと、今持ち合わせない記憶は取り出せない霊だからこそ、説明に納得しても、最後はどこか他人事のように事実を受け容れる。
「大往生したんですかね」
「まぁそうじゃない?」
青年も他人事のようにそんなことを言う。
この国の平均年齢は六十に満たない。世界的には高くもなく低くもない平均値。感覚の推定から恐らく六十は越えているだろうノーグは、普通に見れば長生きした事が伺える。
「あの、死因とかって解ったり……」
「無理よ。貴方、自分の死ぬ辺りの記憶なんてなかったでしょう?」
「ですよねぇ。まぁ、死んでるなら今更どうでもいいんですけど」
明るく笑った青年は、ごくあっさりと死因を知ることを放棄した。これも珍しくない。自分が死霊だと納得すれば、彼らは驚くほど生きていた頃への執着を無くす。もう戻れないからなのだろう。その感覚は死霊独自のもので、彼女にはよく分からない。
ノーグはそのまま迷うことなく「ありがとうございました。では」と言った所で、気づいたように己の手を見た。ゆっくりと消え始めている日焼けしたその手は、さっきまで鮮明に見えていたのが嘘のように彼女の目からは透けて見えている。恐らく、当のノーグ自身からも。
「ああ本当だ、直ぐには消えませんね」
「良かったわね」
今回も正しい場所へ案内が出来たらしい。安堵から自然と微笑む彼女に、姿が薄れていく青年は照れ臭そうに笑いながら言う。
「生まれ変わったら、貴方みたいな綺麗な方をお嫁に貰いたいものです」
「あら? パン屋のジュディちゃんはどうしたの」
「あぁ、彼女はもっと綺麗なんですよ……お嫁にできてたら嬉しいけど……な」
照れたように笑う顔が完全に消えるまで、彼女はじっと黒髪の青年がいた場所を見つめていた。
どんな霊であれ、案内が正しかったとしても、行き先が決まって見送る時はどこか寂しい。
それでも最後の瞬間まで目を離せないのは、きっと彼女自身、その時まで案内が終わった気がしていないし、正しい消え方をしているとしても、どこかで不安があるからなのだろう。
ゆっくり消えていく姿が案内の正しさを示していても尚、これ以上彼らが迷わないように、見届けてしまうのだ。
案内は最後まで手を抜かない。その最後を埋めるための「ノーグに答えられそうな」質問を彼女は尋ねる。
物足りなさはあれど、彼の行き先を早く教えてあげたい気持ちがある。
案内をする意味を知っているから。
「覚えてればでいいのだけど、太陽が欠ける日がなかった?」
質問に質問を投げた行為を責めることもなく、黒髪の青年は素直に考えて答えてくれる。
「……あ、ありました! 昼間にいきなり周りが暗くなったんで、街中結構な騒ぎになりましたね」
「冬に、すごく眩しい流星が来た時は?」
「はい覚えてますよ! いつものように寝る前に空を見ていたら、そりゃもう眩しい箒星が流れて!」
「北から東の方へね」
「そうそう! カトレアさんも見たんですか? あれは凄かったですよね」
「…………残念だけど、私は見たことがないわ」
矢継ぎ早に投げた質問全てを、予想通りの回答で返されて確定した答えに、ふぅと無意識に彼女は息を吐いた。やはり全てがはっきりするまでは心のどこかで疑いが残り続けるものだ。
案内する先はどういう霊かによって変わる。
しかし霊は、目の前にいるそれだけでは死霊か生き霊かは全くわからない。見た目で区別できるものではないのだ。そして表面上の言動でも判別は難しい。
ただその二つには決定的な違いがある。
死霊は、帰る身体を持たず完全に切り離された存在故に、己が最も強く自分だと意識する外見年齢で現れる。
生き霊は、帰る身体との繋がりが残っている状態で現れるが故に、例え本人が覚えていなくても実際に残っている身体の年齢で現れる。
どちらも、霊は己自身のままで現れているので、彼ら自身は己の見た目の変化に全く気づかない。鏡にも映らないし、強く意識しなければ彼らは己の見た目の違和感には全く気づかないのだ。見えている腕などの皺が増えようが減ろうが、まず気づけない。勿論その言動にも変化はない。
それでも、霊が持っている嗜好や感覚や思い出は、やはり「身体から離れた時の」己自身のままなのだ。
例えば死んだ時よりもはるかに若い頃の姿で霊になったとしても、それらまでが若い当時の状態を再現する訳ではない。死霊でも生き霊でも、全員が霊になった際の状態のままで現れる。
つまり言動からそこの違和感を見出せば話は早い。そしてノーグの場合、判断に使える情報は多く、あまりに違和感が大きすぎた。
「あなたの行き先がわかったわ」
「えっ!? もう?」
断言すると驚いたように目を開く青年に、こういう相手の時に毎回思う事を今回も飽きずに思う。
出来れば、生きてる時に会ってみたかった、と。
別に交流が好きでない性格であっても、やはり一通り会話をしてしまえばそう思ってしまうのが不思議だった。けれどそれは言わずに話を進める。
「貴方は死んでます。輪廻の渦に向かえば、機会があれば次の生に移れるわよ」
「本当にっ? え、あの、絶対に……?」
「不安ならば証拠を見せましょうか」
提示された案内の結果に目を輝かせて身を乗り出すものの、やはり間違えば自分の消滅がかかっているから安易に信じず慎重さを見せる。これも霊ではよくある姿なので気にせずに椅子に座ったままで後ろを振り返り、もう使い慣れた本棚の中から目当ての本を取り出した。
ここは客を通す唯一の部屋だからこそ、出来ればこの部屋の中で完結できるようにと配慮した結果、このような本棚と椅子の配置が出来上がっている。
その本棚の中にあるのは、あらゆる情報を纏めた様々な系統の本。
歴史書もあれば草木の雑学書や医学書、動物図鑑に天体書など、そこには内容問わずで限りなく広範囲の書籍が置かれている。それも単に集めて並べているわけでなく、置く前に全部彼女が目を通して選び配置まで全部考えて決めているため、どこにどの本があって何が書かれてあるのかは全て把握できている。
その中から今回において解りやすい資料としてある天体書を取り出した。これはこの国で起こったあらゆる天体の現象が、年ごとに書かれたもの。厚い背表紙で中身も厚いそれをぺらぺらと捲りながら問う。
「さっき話した流星、貴方が見たのはどれくらい前? 具体的じゃなくていいの、感覚で教えて」
「えっと、一年前くらいですかね。そんなに昔じゃなかったと思うんですけど」
まだ意図はわかっていないのだろうが、記憶を探っているのだろう斜め上に目を彷徨わせつつ、しかしはっきりと最近の時期だと言うノーグに、本から見つけた頁を見えるように掲げる。
星が流れた記録の部分。
「その星が最後にこの国に流れたのは三十五年前。貴方はこの国の自宅で見てるから他国で見た可能性も低いし、そうでなくとも直近三年まで遡っても、北から東に流れたこの規模の流星は世界中探しても無いの。だからそれを最近だと思ってる貴方は、今の感覚が本来の自分の身体の年齢と乖離してる事になる。もし生き霊なら今の身体の感覚と一致しているからそういう事は起こらないの。しかもこの星を貴方は自分で見たという。つまり」
「お、俺、もしかして本当はすごい年寄りってことですか!?」
「今の姿で最近見た、ということから考えれば、ほぼ確実に五十歳以上、でしょうね」
「うわぁ」
ノーグが絶句したのは、それだけ本人の感覚と予想される実年齢が異なっているからだろう。
もしも生き霊ならば、どれだけ過去を鮮やかに覚えていても、それは過去のまま懐かしい記憶であった筈だ。思うに人は、本人が思う以上に身体の感覚が意識に影響しているものらしい。身体から完全に離れてしまえば、自分が最も自分だと思える頃に、これだけ自然に戻れてしまう程。
高齢者が霊になった時に若い姿なのは珍しくない。いつまでも気持ちが若かったということだとは思う。年甲斐もなく、なんて言葉がある位、人は己の実年齢と必ずしも一致した気持ちで生きてはいないし、一番印象に残っているのが今だという人も案外少ないだろう。
自分が死霊になったらいつの姿になるのか。
時折、彼女は夢想するが、自分のそれは具体的に想像できたことはなかった。
「なんか、実感はないんですけど、でも納得です。俺の中ではそれ、すごく最近だし、俺は他の国にまで旅行に行ったりしないだろうし」
自分自身のことだからこそ感覚としては余計にわかるのだろう。余程認めたくない事実でない限り霊の多くは、客観的な証拠を1つ2つ挙げれば素直に指摘を事実だと受け容れる者が多い。ましてノーグは元から素直な性格を見せていたから、本の中を少し読んで中を確認すると直ぐにそう言って笑った。
それでも一切何かを思い出したりしないのは、彼が霊故だ。
どんなにきっかけを並べようと、今持ち合わせない記憶は取り出せない霊だからこそ、説明に納得しても、最後はどこか他人事のように事実を受け容れる。
「大往生したんですかね」
「まぁそうじゃない?」
青年も他人事のようにそんなことを言う。
この国の平均年齢は六十に満たない。世界的には高くもなく低くもない平均値。感覚の推定から恐らく六十は越えているだろうノーグは、普通に見れば長生きした事が伺える。
「あの、死因とかって解ったり……」
「無理よ。貴方、自分の死ぬ辺りの記憶なんてなかったでしょう?」
「ですよねぇ。まぁ、死んでるなら今更どうでもいいんですけど」
明るく笑った青年は、ごくあっさりと死因を知ることを放棄した。これも珍しくない。自分が死霊だと納得すれば、彼らは驚くほど生きていた頃への執着を無くす。もう戻れないからなのだろう。その感覚は死霊独自のもので、彼女にはよく分からない。
ノーグはそのまま迷うことなく「ありがとうございました。では」と言った所で、気づいたように己の手を見た。ゆっくりと消え始めている日焼けしたその手は、さっきまで鮮明に見えていたのが嘘のように彼女の目からは透けて見えている。恐らく、当のノーグ自身からも。
「ああ本当だ、直ぐには消えませんね」
「良かったわね」
今回も正しい場所へ案内が出来たらしい。安堵から自然と微笑む彼女に、姿が薄れていく青年は照れ臭そうに笑いながら言う。
「生まれ変わったら、貴方みたいな綺麗な方をお嫁に貰いたいものです」
「あら? パン屋のジュディちゃんはどうしたの」
「あぁ、彼女はもっと綺麗なんですよ……お嫁にできてたら嬉しいけど……な」
照れたように笑う顔が完全に消えるまで、彼女はじっと黒髪の青年がいた場所を見つめていた。
どんな霊であれ、案内が正しかったとしても、行き先が決まって見送る時はどこか寂しい。
それでも最後の瞬間まで目を離せないのは、きっと彼女自身、その時まで案内が終わった気がしていないし、正しい消え方をしているとしても、どこかで不安があるからなのだろう。
ゆっくり消えていく姿が案内の正しさを示していても尚、これ以上彼らが迷わないように、見届けてしまうのだ。