暗夜の礫Ⅱ

文字数 3,636文字

 滝のような雨。眼前に広がる漆黒をも吹き飛ばしかねない風。
 吹き荒れる波に流されないように膝をまげ体を反る。顔、手、足で、そして腹で、やがて体全体が風と同化していくのを感じた。
 フェイスシールドで聴覚保護をしているために、ぼくの耳に届くのは静かに風が切っている音だけだ。

 拡張現実が光量を調整し、視界がいくらか鮮明になった。色鮮やかな街の明かりが宝石のように、荒れた空の底にちりばめられていた。
 そろそろか、とぼくは拡張現実でタイマーを呼び出す。落下してからすでに10秒近く経っていた。空気抵抗などを無視した単純計算では27秒で降下地点に到達するはずだ。目標までそうかからない。

『開傘』

 ぼくが蝋の翼を展開させると、背中に取り付けてあったバックパックが翼の形状に変化した。
 輸送機から送られてくる座標を読み込み、自動的に目標へとぼくらを運んでくれる。後続の仲間も展開を終えたようだ。

『直接屋根に飛び降りんのか』

 チャーリーが回線を通して訊ねる。

『この風だと空中から警備を狙撃するのは厳しいから、近くの降りられそうなところを』

 といっていると、即座にウィリアムから新たな座標が送られ、翼の角度が調節された。冗談かと疑いたくなるほどの対応速度、優秀な部下を持てたことに感謝する。
 緩やかに旋回し、ぼくらは地へと墜ちていく。地上が加速度的に近づいてくる。
 どうやら屋敷から少し離れた湖のほとりに向かっているようだ。
 翼を調節して落下速度を落とし、地面が間近に迫ったところで蝋の翼を閉じた。

 強い衝撃。
 全身の力を抜き、受け身の体勢をとる。
 2,3回前転して自身にかかる衝撃を逃がし、すぐさま体勢を立て直した。
 着地は成功のようだった。身体の異常を訴える様子は、今のところない。

 昔はパラシュートという風船のようなものを使っていたそうだが、資料を見る限り、あんなものをつかって潜入任務をこなすなど自殺行為もいいところだ、と思った。
 ぼくらはというと、伸縮性、衝撃緩和性にとんだ機動服を身にまとい、付属の蝋の翼を使うことでより素早く、より隠密に潜入できる。機動服の大部分は細経人工筋肉でできていて、跳躍力、瞬発力、握力といった身体能力を大幅に向上させることができる上に、細かい備品を収納でき、任務をこなす上で役立つ機能がいくつも搭載されている。現代科学の生み出した最高傑作の1つだ。
 着地してすぐに蝋の翼を機動服から取り外すと、その名の通りに溶けてなくなった。細経人工筋肉で出来ているそれは、潜入した先で証拠として残らないよう、切り離すと自動的に朽ち果てる。
 この仕事とは別に兵器開発も担当しているチャーリーはイカロスという名前が気にくわないと常々文句を言っていたが、地に落ち溶けてなくなる様は、個人的にはとても合っていると思う。

 それよりも、とぼくは腐食している翼に目をやる。
 テクノロジーの批判として言い伝えられてきたはずの神話が、最新兵器の名前にあてがわれているのはなんとも皮肉な話だ。
 溶けた翼は雨で流され、やがて底の見えない湖の深淵へと吸い込まれていった。

『ごり押しでも楽勝だろうな。どうする、アラン』

 洋館のある方角を見ながら、ジャックはぼくの判断を促す。
 この天候で作戦に少し遅れが生じることを想定していたが、思いの外順調に事が運べたので時間には十分余裕がある。彼の言うとおり、ぼくらの装備なら多少強引な手を打っても差し支えはないだろうが念には念を入れた方がいい。

『いつも通りでいく。チャーリー、監視の目は』
『とっくに映像は全部すり替えてあるよ。ここら一帯じゃ、おれたちは亡霊さ』
『さすが。とはいえ今回は自律型の機兵が相手、感知の精度は高い。注意してくれ。さっそく移動開始だ』

 高級住宅地のなかでも一番ランクの高い一帯、丘の上に9区区長の邸宅は立てられていた。
 これまでかというほどに贅をこらした瀟洒な建物で周りに民家は一軒もない。途中、間隔を開けてぽつりぽつりと設置された街灯が辺りを頼りなく照らしていた。任務の性質上、舗装された道路を堂々と歩くわけにも行かず、できるだけ木々に隠れるよう、林の中を行かなくてはならない。
 拡張現実のサポートを頼りに、大雨で川のようになった林の中を駆け抜ける。

『今どきこんなに自然に囲まれた土地ってのも珍しいな』

 後ろからついてくるハンスが呟く。

『そりゃお偉いさんだからな。当然じゃないか』
『そのお偉いさんは今日も優雅にパーティーなんか開く始末』

 ジャックの返しにチャーリーが反応する。彼の言わんとすることもよく分かる。

『まあなんて言ったって、あの区長が……』

 とジャックが話を広げようとしたところで『静かに』と静止する。

『本館だ』

 ここからは警戒区域だ。敵にはいっそう注意する必要がある。
 本館を目視できる位置にある茂みまでたどり着き、姿勢を低くして状況把握の作業に移る。
 広々とした裏庭にレインコートを羽織った機兵が1体、自動小銃を抱え徘徊している。動作から皮膚の質感まで、一見本物の人間と区別がつかない。

『この雨の中よくやるよ。いくら水に強いタイプとはいえ』

 ハンスがしみじみと言った。

『あいつらの君主様には雨だろうと関係ないからな。それにしてもいくら機械だからってこの扱い。そのうち機械が人間様にストライキでも起こすんじないかってひやひやするね』
『そうならないように、今のうちに破壊しないとな。ウィリアム、〝蜘蛛〟と〝鳥〟の映像をぼくらの拡張現実に表示させてくれ』
『了解しました』

 返事と共に、各種偵察機による本館内部の全部屋の映像が視界に映し出される。内部はやはり警備が厳重、鳥の上空からの映像では外の見張りは門番の機兵2体と裏庭の1体だけだ。

 別棟の方からは優雅な音楽に楽しそうな話し声が聞こえてくる。向こうに潜伏している蜘蛛が映し出すパーティー会場の映像では、賓客は不穏な侵入者に気づく様子もなく、1杯いくらか想像もつかないワインの注がれたグラスを持ち、口元を隠しながら上品に微笑んでいた。
 パーティーにかかり切りになっているためか、本館に人は1人も見当たらない。各階にある本 館と別棟をつなぐ渡り廊下を、給仕機が往来している。別棟の入り口、そして連絡通路の境界に機兵が番をしていた。

『用を済ませるまで本館を孤立させたい。連絡橋を封鎖することはできるか』
『通路をシャッターで塞ぐこと事態は簡単さ。問題は機械の方。言うまでもないだろうけど、機兵の動きは遠隔操作じゃ止められない。できるのは給仕機だけ。それもほんの一瞬』
『何分が限界』

 ぼくは訊ねる。

『せいぜいもって10分ってとこかな』
『給仕機を壊す手はないのか』

 チャーリーの話を聞いていたハンスが提案する。

『それもむり。さっき空で言ったけど、ここのセキュリティは並大抵のもんじゃない。どうやら会場で待機してるスタッフの端末と給仕機は連動してるみたいでさ。おれたちが破壊した瞬間に端末上から表示アイコンが消える。スタッフが確認のために連絡橋まで来たら、どんだけ目が節穴でも、シャッターが閉まってる事ぐらい気づくだろうさ。そうなったらサーバーに侵入されてることにも当然気づかれる』
『そもそも給仕機の感知能力ってそんな高かったか』

 今度はジャックが疑問を投げかける。

『給仕っていう役割上、来賓にぶつかるなんてもってのほかだから。ふつうのアンドロイドよりもセンサーは高性能。振動、音源、熱、それから……。まあ、これらの感知能力は機兵と同じかそれ以上と思ったほうがいいね』
『つまり機兵は各個撃破かつ10分以内に仕掛けて脱出。1秒でもすぎて給仕機が動き出したら一巻の終わりってことか』

 ハンスが要点をまとめ、チャーリーはうなずいた。

 ぼくは一連の会話を聞きながら頭の中で計算する。
 本館付近は別棟に比べて警備は手薄。最悪逃げ遅れても爆薬を仕掛け終えられさえすればなんとかなる。
 そして何よりこの雨だ。多少無茶をしても向こう側の来賓たちに気づかれる危険性は低い。これを踏まえた上で取るべき選択は……。
 すぐさま考えをまとめ、指示を下す。

『10分以内に終わらせよう。ぼくは3階をやる。ジャックは2階、ハンスとチャーリーで1階を頼む。今回の目的はあくまで本館だ。別館には被害がでないように細心の注意を払ってくれ。それぞれ侵入経路に到着次第回線を入れる。その後チャーリーが通路のシャッターを下ろして給仕機を止めて本館を孤立させる。終わったらガレージの車両で脱出。異論はなければ〝迷彩〟を起動次第始めてくれ』

 了解、と声が重なり、たちまち彼らはぼくの視界から消えた。


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