満開

文字数 2,023文字

小学生の頃、私は自分の名前が嫌いだった。歌を歌わされるたび時々自分の名前が歌詞に出てくる。(かお)る。校歌にまでそれはあって、私は卒業するまで気にしなくてはいけなかった。
二年生と三年生に同じクラスになった直哉(なおや)くん。歌うたびにからかわれた。やめてと言い返すのに疲れた私は睨み続けた。でも直哉くんを嫌いにはなれなかった。

明日私は休み。美玖ちゃんは今日休み。
仕事が終わったまだ明るい夕方。美玖ちゃんの家近くの駅で待ち合わせ。私は待ち合わせをするといつも早く着いてしまう。そしていつも心細い気持ちになってしまう。
「香おつかれ。先着いてたんだ」
美玖ちゃんはすぐ待ち合わせ場所に現れた。とても安心する。
「今日ピサ行かない?しばらく行ってないけど、最近は料理も充実してるんでしょ?前はパンと揚げ物ばかりだったけど」
オープンしてすぐは簡単なものしかなかったけれど、今は調理経験のある人をスタッフに雇ってから品数がかなり増えている。
「最近何度か行って食べたけど、どれも美味しかったよ」
「じゃあ行こう。優弥って人はあんまり好きじゃないけど、平日はいないでしょ?」

ピサの扉を開けるといい匂いがした。
「あ!香ちゃんだ!」
一番奥の広いテーブルから郷架ちゃんがやってきた。彼女のいつもの抱擁を受ける。
「また会えて嬉しい。お友達?」
「香ちゃんいらっしゃい!えっと確か

ちゃん?こっちで一緒に飲む?」
優弥くんはパンの仕込みで普段平日の夜はいないことが多い。けれど今日は郷架ちゃんと他数人と飲んでいるよう。

です。香、カウンター座ろ」
美玖ちゃんは無表情のままカウンターに座ってしまった。

ちゃんだ!ごめん!まあ香ちゃんゆっくりして」
優弥くんは郷架ちゃんを連れてテーブルに戻ったていった。
「名前、覚えてる自信なければ言わなければいいのに。それにあの女の子。なんかうるさい。」
すぐはっきり言ってしまう美玖ちゃんに、私は少し笑ってしまう。
「ほんとだね。まあこっちでゆっくりしよう」
「香さんこんばんは。一緒に働いてる方ですよね?いらっしゃいませ」
遥くんが空のグラスやお皿を手に、カウンターに戻ってきた。今日の遥くんはベースボールキャップが似合っている。
生ビールを頼み、飲みながらメニューを決めていく。チーズの盛り合わせ、くるみのカンパーニュ、おすすめのアクアパッツァ、ジェノベーゼパスタ。
飲んで食べて、私たちはよく喋ってたくさん笑った。美玖ちゃんは料理を全て気に入ったようで、いつも以上によく食べていた。
閉店少し前、グラスを持った優弥くんがカウンターに来た。
「遥お願い。コンビニでアイス買ってきて。郷架がどうしてもソーダ味のアイスがいいみたいで。ついでに他のやつらの適当に。俺はモナカに板チョコ挟まってるので。」
「え。店のバニラアイスあるじゃないですか。まあ行ってきますよ。」
それを見ていた美玖ちゃんは急に立ち上がった。
「香も一緒に行って。私のアイスお願い。渉に電話してくるから」
遥くんと目が合う。
「一緒に行ってくれるんですか?」
あっという間に、私は遥くんとコンビニに行くことになっていた。

ピサから少し歩いたところにあるコンビニ。初めて遥くんの隣を歩く。思っていたより背が高い。背伸びをしても届きそうにないくらい。
「美玖さん楽しい人ですね。クールな感じなのに話してると柔らかい雰囲気で。香さん、ほんと楽しそうにしてたし。俺にもあんなふうに話してくれるといいのに」
遥くんの顔を覗き込んでしまう。
「えっと、もっと気軽に話してくれたらいいなって思ってて。香さん、どっちかっていうと聞いてること多そうで。俺には遠慮なく。美玖さんに話してる時みたいにしてくれると嬉しいなって」
私は嬉しくて恥ずかしくなって下を向いてしまう。
「ありがとう。これからはそうする」
コンビニはすぐに着いてしまった。ソーダアイス、チョコモナカアイス、バニラカップアイス、ビスケットアイス。いろんなものをかごに入れていく。
「多くない?こんなに食べれる?」
「せっかくだし。残りは店の冷凍庫入れておきます。香さんはどれにします?」
私はいつもワッフルコーンのアイスを選ぶ。今あるのは普通のバニラと、どこかとコラボした新作だった。私は新作を手に取る。
「あ!俺もそれにしようと思った!ワッフルコーンのアイス、新作出ると必ず買うから。これ、美味しいですよね」
私達はそのアイスを二個カゴに入れた。
コンビニを出ると遥くんは来た道と違う方向に歩いて行く。
「帰りはこっちから。少し回り道しましょう」
少し歩くとそこにはいくつか桜の木が並んでいた。桜は満開だった。今年初めて見る満開の桜。
「早咲の河津桜ですよね。昼間綺麗だったから、夜もまた見たくて」
遥くんの首筋、広い背中、長い指と大きな手。私はその全てに触れてみたいと思っていた。
「香さん。帰りましょうか」
彼に名前を呼ばれると鼓動が聞こえる。私はもう認めなくてはならない。こんなにも心が彩る今を。
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