罪(賽)のかわり

文字数 4,488文字

 高校生の上田(うえだ) (ふとし)はやりたいことも無く、ただ茫然と毎日を過ごしていた。そういう風であったので、暇を持て余すようになり、同じような性質を持った仲間と群れるようになった。それからは学校の授業は真面目に聞かず、勉強も疎かになり、ついには仲間と万引きやケンカまでやるようになった。母親は太が警察に補導されるたびに関係者に泣きながら謝罪して回った。

 太は小さかった頃から父親と非常に仲がよく、毎日、父親が会社から帰ってくるのを待っていて、「ただいま」と言う声が玄関から聞こえるとすぐに駆け寄って行き、父親の手を引っ張り部屋に入り、その日の出来事等、色々な話をするような子であった。父親も太に対して愛情をもって、丁寧に太の話を聞いていた。母親は喜ばしくその様子を眺めていた。そのような環境で、太はさっぱりとした性格に育っていたが、父親の死が太を大きく変える転機となってしまった。太が中学生の時に、原因不明の難病に罹り短期間のうちに死んでしまった。それ以降、太は塞ぎがちになった。母親はそんな太を不憫に思い、これ以上悲しい思いをさせたくないと、太がわがままを言うと何でも聞き入れるようになった。また彼女自身も、夫を失った寂しさと悲しさから気持ちが沈みがちになっていった。二人だけとなった家族には会話もほとんど無くなり、まるで暗闇の底で暮らしているようであった。

 補導後、家に帰ると母親からはいつも「いつまでも、人に迷惑をかけることばかりしないで、何かやりたいことを見つけて頑張ってくれないか」と言われるが、太には母親を満足させうるだけの答えと前向きな気持ちを持ち合わせていないため、煩わしさと不快さだけを感じ、「うるさい、ほっといてくれ」と吐き捨てるように返事をして、自分の部屋に閉じこもるのであった。 
 そんな太であったため、ほとんどの教師は怖さもあり、太にはかかわらなかったが、捨てる神もいれば拾う神もあり、親身になって接してくれる体育教師がいた。その体育教師のおかげで高校は何とか卒業できるまでにはなった。高校卒業間近になると、体育教師は太が更正できるようにと、働き先を見つけるため、たくさんの会社を訪問し、担当者にお願いしてくれた。その内の一社であった食品の詰め合わせ、包装を行う工場で太を雇い入れてあげるとの約束を取り付けることができた。母親は先生に頭を下げ、声を震わせ、何度も何度も「ありがとうございます」とお礼を言った。しかし、働く意欲をさらさら持っていない太にはありがた迷惑でしかなかった。「余計なことしやがって、迷惑なんだよ」と腹の底で思っていた。この頃の太の中には、父親が生きていた頃の快活な太は少しも存在しなくなっていた。

 工場で働き始め、しばらくは真面目に働いていたが、仕事に慣れ始めると、規則である作業前の手と身体の清浄をしないまま、仕事場に入り容器への食品の詰め込み作業を行ったり、作業中に腹が減ると詰め込み前の食品を勝手気ままにつまみ食いをした。また、仕事場の監督者がいない時には、仕事をいつもさぼり、たばこをすってくると言っては仕事場からいなくなり、そのまま長い時間戻ってこなかったりした。とりわけ酷いのは、太のミスのために大口の取引先からの看過できない程の重大なクレームが起きると、他の人にミスをすべてなすり付けることであった。ミスをなすり付けられた人は身体が大きく、日頃から素行の悪い太が怖いために言い返すことが出来なかった。太はそれを嬉しそうに眺め平然としていた。
 そのような太の振る舞いに気付いた監督者は、「いい加減にしろ、ちゃんと真面目に働け」と叱るのであるが、太は「パワハラですか、訴えますよ」と全く反省する様子は無く、事あるたびに逆らう態度を取った。そのような態度をとり続けていたために、とうとう会社の上の者の知れるところとなり、人事部の部長と面談となり、「会社を辞めてくれないか」とお願いされた。太は「お願いされなくてもこんなつまらん会社いつでも辞めてやるよ。清々するわ、ボケ」と投げ捨てるように言った。
 
 仕事を失い収入も無くなってしまったが、太はコツコツと地道に働くのは面倒くさく、自分には向いていないのだと思うようになり、次の仕事を探すことをせずに、居酒屋に行って浴びるように酒を飲むか、パチンコを打ちに行って過ごしていた。そのような毎日なので、お金はすぐに底をついた。お金を得るために、とうとう母親からお金を脅し取るようになった。母親は必ず更生してくれると信じて太が言うがままにお金を渡し続けた。母親はお金を渡すたびに、「どうか仕事をみつけて真面目に働いてくれないか」と懇願したが、太は一切聞く耳を持たず、「うるせー、いつか大金を稼いで返してやるから黙ってろ」と大声を出して怒るのであった。お金を渡さない時には暴力奮い、無理矢理にお金を取っていくのであった。母親はこの地獄のような苦しみを耐え続けていた。

 まだ残暑が厳しい夕暮れ時、蝉が夏に別れを告げるように侘びしげに鳴いていた。太は今日もパチンコで大負けし、持っていたお金を使い果たし、「あ〜胸くそ悪い、あの店に火でも付けてやろうかな。楽して金稼ぐ方法はないもんかな」とむしゃくしゃして帰っていると、目の前をゆっくりと歩く、派手な色をした拳ほどの大きさの蜘蛛を見つけ、「キモい蜘蛛だな」と、腹いせに履いていたサンダルでおもいっきり踏みつけて殺した。「ざまあねえな」と気持ちを清々させ、サンダルの底を地面に擦り付け、はり付いた死骸を取り除いた。それからしばらく歩き、狭い路地裏の道に入ると、少し先の曲角に、寺社だと思われる木製の四角の門が見えた。毎日この道を通って帰っていたが、今まで全くそれに気付かなかったのを不思議に思いながら、好奇心から門に近づいてみると、木製の寺標が門の脇に掛かかっており、気になったため名前を確認してみた。墨で書かれたような字はところどころかすれて薄くなっているため、字の一番下の"

"の文字しかはっきりと読みとれなかった。門の先には、寂れた本堂があるのみで、人の気配は全くなく、境内の脇には真っ赤な彼岸花がぽつぽつと咲いていた。少し薄気味の悪さを感じつつも、門をくぐり入ってみた。本堂の前まで進み、ガラス戸越しに中を覗いてみたが、薄暗いため何も見えなかった。足元には賽銭箱が置いてあり、中を見てみると蓋の格子越しには大量の一万円札が入っていた。太はそれを見て、興奮し、心臓が大きな音をたて始めた。「こんな寂れた寺にずいぶんとあるもんだな。まあ一枚くらいなら取っても罰はあたらねえだろ。これは観音様か何かの、可哀相な俺へのお恵みに違いない」と屁理屈をこねた。蓋の格子には手が入る程の隙間があったので、手を差し込み素早く数枚抜き取り、気付かれないように急いで寺を出て家に帰った。
 次の日、盗んだお金を持ってパチンコを打ちに行ったがまた負けたので、いつものように夕暮れ時に帰っていると、昨日と同じ場所にあの寺があった。中を覗いて見ると人気は無く、太は門をくぐり本堂へと進み、賽銭箱の中を覗いた。昨日と変わらず大量の一万円札が入っていた。太は辺りに人がいないか何度も注意深く確認し、格子に手を差し込み、何回も掴めるだけ掴み、ポケットの中に押し込み何食わぬ顔で門へと引き返し家に帰った。「ちょろいもんだぜ」と心のうちで呟いていた。
 それから五日後の太陽が頭の真上にある昼時、太はパチンコ店への行く途中に寺のことがひどく気になった。お金を盗んでからは寺の前の道を通ることをわざと避けていたが、今日は寺を見に行ってみようと思い、寺がある方角に道を変えて行ってみたが、寺があったはずの場所はなぜか雑草がたくさん生えた空き地になっていた。「確かにここにあったはずだけど、一体どうなってんだ」と思ったが、「場所を勘違いしていたのか、それとも取り壊されてしまったんだな」と勝手に得心し、気にせずにパチンコ店に向かった。店に着いてパチンコを打ったが、いつものように負けて、持っていたお金がすべて無くなり、またイライラして日没近くの薄暗がりの中を家に帰っていると、行きしなには、確かに空き地であったはずの場所にお寺があった。太の身体中に鳥肌が立った。「そんなはずはない。今日昼に見た時は絶対に空き地であった」太は明らかな気味の悪さを感じたが、場所を勘違いしたせいだと自分に思いこませ納得させた。
 本当ならば、ここでもう寺には関わらずに家に帰るべきであったが、好奇心とお金への執着が恐怖心に勝ってしまった。また中に入って賽銭が入っているかを確認しようと思ったのである。
 太が寺の門をくぐると、腰辺りの高さまである石積みが、本堂までの道の脇に十本以上建っていた。太はお参りに来た子供が悪戯に積んでいったのだろうと思い、気に留めず本堂の前まで進み賽銭箱を覗いた。「やりぃ、やっぱり今日も大漁だぜ」箱にはやはり大量の一万円札が入っていた。辺りをキョロキョロと見回し、人気のないのを十分に確認したあと、蓋の格子に手を差し入れて取れるだけ取った。すると太の頭の中に突然、生きるものすべてが平伏するのではないかと感じさせる程の恐ろしいまでの権威を持った声が聞こえた。
「渡し賃を盗ったな」
 太は顔を上げ正面のガラス戸を見ると、以前は見えなかった本堂の中に、赤い衣を纏い、王と刻印された冠をかぶり、右手に尺を持った、人間の世界では閻魔大王と呼び敬っているものの姿があった。
「お前に人間界で行った罪の判決を言い渡す」と閻魔帳を読み上げた。
 太があまりの恐怖の大きさから、寺の外に逃げようと振り返ったその瞬間であった。回りの景色がすべて一気に河原へと変わり、正面には三メートルはあろう真っ赤な巨体の角が生えた赤鬼が金棒を持って直立していた。鬼の顔をよく見ようと目が合った刹那、太は金棒で頭を横殴りにされた。頭が無くなったと思ったが、触ると頭は身体に付いており、激しい痛みだけが残っていた。
「足元の石を積め、さっさとやれ」
 鬼の口は動いていないが、とてつもなく恐ろしい声だけが心に聴こえた。足元を見ると、たくさんの石が転がっており、それを積んでいくのだということがわかった。
「恐い、恐い」と心が悲鳴を上げた。
 積まないとまた金棒で殴られるだろう恐怖から、急いで石を積んでいったが、積んでいる途中で最後まで決して、どこまでいっても積み上げることができないことがわかった。なぜなら、積み上げる石の中に、明らかに平らではない、角が沢山ある歪な形をした石がたくさん混ざっていたからだ。
 石が崩れる度に、鬼に金棒で頭を横殴りにされた。もう数え切れない位、何度も何度も。
「痛い、痛い、嫌だ嫌だ、もう嫌だ」
 太は生きているのか死んでいるのかさえ、はっきりとわからなくなっていた。
「お母さん助けて」
「先生助けて」
「助けて、助けて、助けて、お父さん」
 あらん限りの大声で叫んだが、永遠に、誰の耳にも聞こえることはなかった。





 
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