第90話

文字数 2,901文字


源三郎江戸日記90

行部と分かれて本陣に戻り経過を話して絵図面を広げると、吉田忠座衛門がそれはでかした、これがあれば成就しやすいと喜んだのです、そうか幕閣の方々も味方のようじあのう、しかし、
源吾その詫び状を貰った者は後でさぞかし驚くであろうと笑うと、もう少しで刀を抜き浅野の殿と、同じに切りつけるところでしたと言うので、よく我慢したもし抜けば柳生殿が止めて、
くだされたであろうと言ったのです、

大石が絵図面を見て寝所はほぼ真ん中じあな、表門から入っても、裏門から入ってもそこに行くには、この部屋を通らなければならぬ、とするとここと、ここを改築して武者溜まりにして、
いるじあろう、50人中半数近く倒さねば到達できぬと言う事じあなと言ったのです、源吾そなたが持っていよと渡したのです、この時の大高源吾書いた詫び状は今も残っているそうです、

討ち入りが終ったときこの大男は詫び状の名前に大高源吾と言う名前があり、四十七士の中にある大高源吾だと知り、討ち入る為に江戸に下る途中だったので忍従したのだと分かり自分、
がとんでもない事をしたと悔やみ、そのご仏門に入り、寺にこの詫び状を残した為、現在まで残っていると言う事である、又絵図面は寺坂吉衛門が豊岡の大石の妻りくのところに遺品と、
一緒に渡したとされています、

大高は泉岳寺で住職から一句と頼まれて、山をさくちからも折れて松の雪とよんだそうで、現在泉岳寺にその碑が立っています、大高は小録にも係わらず大石の手足となり働いていたと、
言う事で、大石は絶大の信頼を置いていたものと思われます、大高の介錯をした武士は、このような才能のある俳人の首をはねた事を悔やみ、その後武士を捨てて僧侶になったと言われ、
ています、
ございます、
とどこおりなく尾張領内を通過して行列の格好を解き、浪人姿に戻り名前はそのままにして一路江戸に向かったのです、10月16日に川崎の平間村に到達して奥田孫太夫が借りていた百姓、
屋にわらじを脱ぎ、大石は討ち入りの為の段取り書を、書きしたためたながら江戸の様子を伺っていたのです、一通りの準備が出来たので、江戸入りすることにして江戸日本橋の天野屋、
利兵衛宅へ行くと、

利兵衛がお待ち申しておりましたと、離れに案内して、ここには誰も近づけませぬのでごゅつくりとお過ごしくださりませというと、今回は回るところが多いのでちと長逗留になります、
というと、いつまでもおいでくださりませと言ったのです、源三郎は大石が平野屋に入ったと言う事を聞いて深川の玄海屋に行き、ここに大石殿がくるはずなので料理屋への案内を頼み、
料理屋に行き座敷に入ったのです、

千坂兵部は尾張領ないの手前で大石の一行が消えたので行方を探していたのです、天野屋を見張っていた手の者が知らせたので、ヤツパリ変名で旅をしていたのか、それにしても随分遅、
かったな、何をしていたんだと言って吉良屋敷に使いを出し小林平八郎を呼び、大石が天野屋に入ったそうだ、直ぐには討ち入らんだろうが、警戒せよと言うと、寝ずの番を立てており、
ますと言うので、

おうめから知らせがあったらすぐに連絡する、今のところ誰も訪ねて来ていないそうだといったのです、抜け穴も警戒しろと言うと今のところ大丈夫に御座います、毎日点検しております、
と言ったのです、大石が料理屋に顔を出したので膳を出して酒を勧めて杯を重ねると、色々の助力かたじけないと言うので、ついに30人以下にはなりませんでしなというと、困った者で、
御座る、

後何人かは脱命者はでるでしょうが、これで討ち入るしかありませぬと言うので、抜け穴を塞ぐ段取りは出来ています、後は決行日を教えてくだされば、その日の深夜に塞ぎますと言う、
と、お願い申す付け人を何人倒しても吉良の首をあげなければこの戦負けで御座ると言うので、大石殿の差配なら万が一にもぬかりはありますまいというと、ここにいる寺坂は表門と、
裏門の連絡やくです、

切りあいには参加せず、銘々の働きを記録させます、事が成功したあかっきには源三郎殿のところへ行かせますので、瓦版屋に連れていき事の仔細を版元につたえて瓦版にして江戸十に、
流してくだされ、その足で南部坂の三好浅野家に行きお方様にその瓦版を見せて仔細を報告させます、その後は玄海屋の船で大阪に行き、まずは近衛公、次は妻の実家に行き報告をさせ、
ます、

一通り討ち入った者の遺児または縁者に報告して最後の様子を聞かせてやってくれ、江戸の遺児は源三郎殿にお願いいたすと言うので、承知いたしました、遺児への見舞金は大丈夫で、
すかと聞くと500両は残っていますと言うので、そうすると一家族10両になりますので、後15両を上乗せして一家族25両として1375両ですから、足りない分は玄海屋お出ししますと、
言うと、

それは助かりますと言うので、玄海屋は儲かっています気にされますなと言って、赤穂での塩田開発と郷士制度について話すと、そうですか、なにとぞ良しなにと言って、脇坂様へお願、
の書をしたためますと言うと、嘆願書をしたためて渡したのです、それがしは当日吉良屋敷の斜め向かいの蕎麦屋の二階で討ち入りの様子を見ています、繋ぎはそこへと言うと、承知と、
大石が言ったのです、

色々歓談して大石は帰っていったのです、七衛門宜しくなと言うと、まかしておいてください、その後も困ったことがあれば玄海屋に来るように言っておきますと言ったのです、小林、
平八郎は吉良屋敷に戻り、みんなを集めて厳戒体制に入ったのです、しかし、大石は動かず10月が過ぎて早11月も半ばにさしかかり、みんながじれてくると、大石がみんなを集めて、
討ち入りは12月初旬にする、

吉良方も大分じれているだろう、いつまでも緊張してはおれんからなあと言って、今残っている人数は51名である、まずは討ち入る表門と裏門の人員だが表門はそれがしを入れて26人と、
し、裏門は主悦を大将として25名じあと言うと、割り表を渡したのです、集合は二ヶ所とし、鎖帷子、篭手、すね宛と大小は自分で用意されたし、槍、はしご、木槌はこちらで用意して、
おく、

討ち入り装束は火事装束としてこれも用意しておく、腰紐には鎖をいれておく、なお討ち死にしてもわかるように袖口には白い布を貼り付け、それぞれに名前を書いておく、集合は討ち、
入り日の深夜とする、全員に呼子を渡すので吉良を見つけたら笛を吹き、一箇所にあつまるべし、そこに書いてあるように必ず二人で行動すべし、相方が倒れても吉良をみつけるまでは、
助けてはならん、

討ち入る前には表門に勢ぞろいして、口上書きを立て、すぐに裏門隊は裏門に配置して、山鹿流の陣太鼓で一斉に討ち入るべし、女子供に抵抗しない者には構うな、火事に気をつけて、
蝋燭が倒れたら直ちに消すべし、蝋燭は各部屋につけて戦いやすくするべし、なんとしても敵を倒して吉良の寝所にたどりつかねばならん、吉良の屋敷の図面は各自頭にいれるべし、

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