シュレイユとサイハナの精霊

文字数 2,813文字

「そう。私が留守にしている間、何事もなくて、安心した」
 
 精霊王シュレイユの声が執務室に響いた。
 彼は側近のディーヤから報告を受けて、一息つく。
 
 サイハナ城は二階建ての白い石の建物である。彼の執務室は、切り取った窓から朝の光がさんさんと入り、部屋に飾られた植物たちが、瑞々しい香りを放っていた。小鉢に入ったたくさんの小さな青い花や、大きな鉢に植えてある大輪の赤い花が、陽の光をうけて活き活きと咲いている。
 
 シュレイユの言葉に答えるディーヤの声も、室内に響いた。

「はい。みんな、つつがなく過ごしておりました」

 シュレイユはそれでも少し考え込む。

「しかし、みんな不安に思っているだろう。少し城と森を見回ってみようか」
「はい。お供します」

 ディーヤは皆に向けるシュレイユの気遣いが嬉しかった。
 確かに、川に毒がながれているといういま、いくら井戸の水が無事でも精霊たちは不安に思っているだろう。
 きっと精霊王が声を掛けてくれれば、不安も少しはやわらぐかもしれないと思う。

 シュレイユとディーヤは執務室を出て、一階の庭園へ行ってみた。
 そこでは、養蜂をいとなむ小さな精霊ふたりが、巣箱の様子をみていた。

「いつもみんなの蜜を集めてくれてごくろうさま」
 
 シュレイユが声をかけると、その精霊たちは、かしこまって頭をさげた。

「変わりないか?」

 二人にそう聞くと、片方の精霊が帽子を脱いで手に握り込む。

「はい。シュレイユさま」
「でも、川の水が飲めないのは、なぜなのでしょうか」

 不安げに聞く精霊の方は、スカートをぎゅっと握りしめて不安げな顔を彼に向ける。
 シュレイユは、ソウテン湖での出来事を、かいつまんで二人に説明した。
 
「毒の水草……」
 
 驚く二人の精霊に、シュレイユは安心させるように冷静に言う。

「いま、その水草にきく毒消しの材料を探しているところだ。みんなの力で必ずソウテン湖の毒は消えるだろう。それまでの辛抱だ」

 シュレイユが言うと、二人の精霊は顔を合わせてにこりと笑んだ。

 具体的に解決へむけて動き出している事を告げて、少しでも安心させてやる。
 シュレイユのしているそれがディーヤにも一番いい方法に思える。


 シュレイユとディーヤはそのあと、サイハナ城の中庭へと向かった。
 そこには大木に背をあずけて昼寝をしていた精霊がいて、シュレイユはその精霊にも声をかけた。

「変わりないか」
「ああ、精霊王さまか」

 その精霊はあくびをひとつすると、眼をこすってあぐらで座る。

「変わりないといえば、変わりないが。そういえば、小川の毒って、どんな毒なんだ? 精霊王さまよ」
「いまは、まだどんな毒かはくわしくわかっていない。だから、決して小川の水は飲んではいけないよ」
「あいよ。了解」

 その精霊はまた横になると大きなあくびをして昼寝を始めてしまった。

「こら、精霊王さまの前で横になるな」

 ディーヤが怒ったが、その精霊は片目をうっすらとあけただけで、また寝てしまう。

「まあ、いいじゃないか。そうカリカリしなさんな」
「まったく……」

 腕を組んで小言を言う体制になったディーヤをシュレイユは制する。

「次へ行こう。森の方もみてみたい」
「は、はい」

 シュレイユは森へ歩き出したが、ディーヤはその怠惰な精霊に小言は忘れなかった。

「寝てばかりいないで、ソウテン湖へでも行って毒水草の除草でもしなさい」
「そんなことをしたら疲れる」
「……まったく手がつけられないですね」

 その精霊に呆れて嫌味を一つ言うと、ディーヤはあわててシュレイユのあとを追った。

 サイハナ城から少し離れた森の中では、年老いた精霊と、おさない精霊が切り株に座って器で蜜水をのんでいるところだった。

「あ、シュレイユさまだ」
「ああ、そうだねえ。こんにちは、シュレイユさま」

 ゆったりと挨拶をされ、シュレイユとディーヤも挨拶をかわす。

「こんにちは。森の中はいつもと変わりないか?」

 そう聞いたシュレイユに、若い精霊が声をあげる。

「変わりないです! 今日も蜜水がおいしいです」
「それは良かった」
 
 あどけない答えにシュレイユは笑む。

「シュレイユさまもお変わりなく」
「ああ。ありがとう」

 森の中も、いまはなにも問題なさそうだと感じ、シュレイユとディーヤは、毒のでたサイハナ城の裏庭の小川へと向かう。

 森の中では、さきほどのおさない精霊が、年老いた精霊にシュレイユのことを聞いていた。

「ねえ。シュレイユさまって、いつから精霊王なんだろう?」
「これこれ。そんな言い方があるかい。でも、あたしが生まれたときにはすでに王様だったねえ」
「え?! じゃあ、シュレイユさまってすっごく歳なんだね」
「そうさね。お綺麗なかただから若く見えるけど、あたしよりもずっと長く生きているよ」

 おさない精霊は考え込んで顎に手をおいた。

「じゃあ、シュレイユさまの元体って、大岩とか、大木なのかな。そんなに長く存在していられるんだから」
「それさえも分からないほどに、あの方は長く王でいらっしゃるのう」
「そうなんだ。長く生きているから、王になったんだね」
「そうとも言えるのう。どちらでも、こうして森を気に掛けてくれることは、有難いことさね」

 その噂話は、シュレイユとディーヤの耳にはいることはなかった。


 小川には見張りの精霊がいた。
 間違ってここの水を飲みに来る精霊がいないようにとの見張りだ。

「見張り役、ご苦労さま。変わりないかい」
「シュレイユさま! はい。ここに間違って水を汲みに来るものには、注意して井戸にまわしています」

 見張り役の精霊は、精霊王に声を掛けてもらい、嬉しそうに答える。
 こう、精霊たちの信頼を一身に受けている我が精霊王が、ディーヤには眩しく、尊く感じられた。

「ああ、それでいい。少し見回らせてもらうよ」

 シュレイユはディーヤを連れて、例の枯れかけた植物を見に行く。
 その植物はいまも瀕死で、生きるかどうか必死で闘っているようだった。

「頑張っているようですね」
「ああ。毒消しができるまで、もてばいいのだけど。わたしたちはオウカが材料をそろえて帰って来た時に、すんなりと薬づくりができるように、準備をしておこうか」
「はい」

 植物の状態を確認して、城へ向かって歩き出す精霊王の背を見ながら、ディーヤは複雑な気持ちになった。
 オウカも精霊王の部下の一人だが、オウカが重要な仕事を任されていることに少し嫉妬を覚えるのだ。
 ディーヤとて、重要な役割を担っているけれど。
 オウカのように植物に関しての知識が深くない自分では、今回の仕事はできない。
 精霊王の信頼が厚く、仕事もできて、好意さえ寄せられているオウカが、ディーヤには羨ましく思えた。それは、ちいさな胸のしこりになる。
 シュレイユが振り返った。 

「ディーヤ、どうした?」
「いえ、なんでもありません」

 複雑な気持ちを見ないふりをして、ディーヤはシュレイユに走り寄っていった。

 
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