その13の2 演劇小説に必要なのは女優と演出家と、そして(つづき) 

文字数 2,386文字

 ここだけの話、役者に降板されるのは、じつはそれほど痛手ではない。こういう言いかたも申し訳ないのだが、わりと替えがきくものなのだ。最悪、台本を書き換えてしまえばいい。
 きついのはスタッフに離反されることだ。照明家。舞台監督。ミュージシャン。
 なぜ? と叫ぶこともできないほど大量の煮え湯を飲まされ、浴びせられてきた。誓って言う、私のほうから彼らに理不尽を強いたことはただの一度もない。
 いつも同じパターン。
 

、というやつだ。

 相手が仕事をしない。手抜きのときもあるが、たいていはこちらの話を聞いていない。自分のミッションを理解していない。
 頼んだ役割を果たしてもらわないと困るから、まずはやんわりと指摘する。
 そういう人に限って指摘されていることに気づかない。自覚がない。
 やんわりと言っているうちに気づいてくれないから、辛抱づよくくりかえす。最後にはっきり言う。どなりはしない。

 前ページの女優は、他の男優が苦心して慣れないダンスステップに挑戦しているのを「下手くそ」とさんざんからかっておきながら、自分はある小道具を扱うよう私に演出されると、へらへら笑いながら言ったものだ。
「できませーん」
「やってください」と私。
 周囲は凍りついた。
 私はふだん「もっとビシッと言ってください」と言われるくらい、声を荒らげることがない。このときも荒らげはしなかった。
「やってください」と二度言った。
 
 くだんの女優がゴミ出しにかこつけて、なかよしの女優に陰口を垂れはじめたのはそれからだ。そして天網カイカイ事件へと続く。

 ほぼこのパターン。「責められた」「恥をかかされた」と言って泣く。「もっと早く言ってくれればいいのに」と恨む。自分の仕事が作品に合っていず、周りの足を引っぱっていたことは棚に上げてだ。
 それ私、ずーっと言ってましたよ?
 人の話聞いてくれないかな。と言うより、言われる前に自分で考えてくれないかな。大人なんだから。

 まだ自分のチームを持っていないとき、友人の演出家の手伝い(脚本・兼・演出補というか雑用係)として座組に入ったことがあった。演出家の彼以外は知らない人たちばかりだから、人見知りの私はびくびくしていたのだが、暖かく迎えてもらい、いったんは胸をなでおろした。
 こじれ始めたのはその後だ。
 ピアニストが稽古に参加してきた日を境に、皆の様子がぎこちなくなった。

 それはピアノ伴奏付きの朗読劇で、私の脚本はとうに仕上がっていた。あとは作曲家氏がピアノ譜を書いてくれればいいだけだ。
 ってもっと早く書いてくれていればその後の惨事はほぼ防げたのだし、なかなか来ない新曲を待つピアニスト嬢のストレスは思うだに気の毒なものだったから、私も、
 彼女にあいさつしても徹底的に無視されるのは、そのストレスのせいなのだろうと思って同情していた。

 なんとか全体が仕上がった、本番の前日。
 演出家が弱りきった顔で、私に携帯電話を渡す。ピアニスト嬢と話してほしいという。
「降りるって言ってる」

 くどいようだが本番の前日だ。夕方だ。カウントダウン、二十四時間を切っている。

 電話に出たとたん、金切り声の罵詈雑言を浴びせられた。
「私がどんなに孤独だったか、あなたにはわからないでしょう」
 意味不明。
 くどいようだが、プロのピアニストだ。中学の演劇部での出来事ではない。
 泣き叫んでいて何を言っているかわからないので、しばらく辛抱づよく聞いていると、
「私は知らない人たちばかりで、寂しくて、緊張しているのに、あなたはいつもまん中にいてみんなと楽しく笑っていて、何様なの」
 いや、いないっす。まん中なんかにいないっす、いっつも部屋のすみっこにいたっすよ。笑っていたのは皆さんで、私が笑わしたわけじゃありません。

 こういうとき私は、みょうに落ちついて静かになるというくせがある。
「で、どうなさるんですか?」と訊いてみた。
「降りる」と叫んでいる。
「それは困りましたね」と私。「ピアノは誰が弾くんでしょうか」
 鼻で笑う息が聞こえた。「あなたが弾けば?」
「私には弾けません」と私。「みんな○○さんを待ってますよ」

 中略。

 ぶじに本番が終わった後、彼女は「ミムラさん」と駆け寄ってきて、私の腕の中で泣いた。
「ごめんね、ごめんね。私、緊張してて死にそうだったからあんなひどいこと言っちゃって」
「わかってますよ」
 彼女をハグして背中をずーっとよしよししてやった。
 次はないな、と思いながら。

 ここでかんじんなのは、諸悪の根源はこのピアニスト嬢ではなかったということだ。
 じつは、わが友の(名に値しないが)演出家くんはふだん、別の脚本家と組んで舞台を作っているのだが、今回に限って私を招いた(いろいろ理由はある。私が楽譜を読めるとか)。
 その脚本家女史に恨まれた、のでさえない。
 その女史の友人なる、手伝いスタッフの女性に、私は恨まれていたのだ。

 後で考えたらすべてつじつまが合った。じわじわと首を絞めるような嫌がらせ。
 私は呼ばれたから来て、頼まれた仕事をして、いつも遠慮して稽古場のすみに座っていた。誓って言う、本当だ。
 脚本家女史が「私をさしおいて」と怒ったことなどない。にこにこしていた。ただ、裏では「なんで私じゃなかったのかなあ」くらいの愚痴はこぼしたかもしれない。
 つまりそのお手伝いの女性は、義憤と義侠心に駆られたというわけなのだ。そしてピアニスト嬢の不安につけこみ、煽った。
 ピアニスト嬢本人より

が悪い。わざわざ不和を育ててどうする。ピアニスト嬢の(見当違いな)怒りを鎮めてやるのが仲間というものじゃないか。ようするにそのお手伝いさん(彼女が何の役に立っていたのかよくわからない)は新参者の私が気に食わず、ピアニスト嬢の陰に隠れてずっと私に毒矢を放っていたのだ。

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