第14話

文字数 2,818文字

☆☆☆


 総菜パンを二種類買って、屋上にのぼる。
 昨日は屋上にのぼる前に一騒動あったが、今日はなにごともなく、屋上につけた。
 晴れ渡る空に、飛行機雲が一筋走る。
「あー、あれから四年も経っちまったのかぁ……」フェンスにもたれかかり、空を見上げ、呟く。
「四年経って見えてる景色はどうだい」
「左京か……」
 顔を空から戻すと、藤田左京が目の前でにやけていた。
「ナタク先輩とうまくやっていけてないみたいだな」
「ああ」
「天一の魔女っ娘たちとは仲良くなれたのかい」
「うっせぇ」
 おれの横に来た左京は、おれと同じくフェンスにもたれかかる。
「空が青いなぁ、島崎」
「夏場でくっそ暑いよ」
「そう言うなよ。わざと冷房のない屋上に来てんじゃないか」
「そうなんだけどさ」
「学校にも慣れてきたけど、中学の延長っぽさ、あるよな」
「事件のことか」
「いや。それもあるが、惰性でいろいろ続いてるってことが、さ。こんなの全部、惰性の産物だ。現実なんて、ほとんど惰性でできてんじゃないか、とおれは思うね」
「ゲーム療法の、うちのエースが言う言葉じゃねーよ、それは」
「まぁ、実際飽き飽きしてんだよ、このゲームに」
「このゲーム……って、現実のことか、治療のことか」
「さぁね。さっさとパンを食えよ。おれんとこの部も、ぎくしゃくしてるし、お互い大変だね、ってことで」
「心温まるな、そりゃ」
「夏だからな。暑いし、熱い」
「一番冷めてるくせに」「一番は島崎に譲るよ」
 おれたちの会話はそこで終了。
 左京はふらふらと校舎の中に帰っていった。
 おれはぼーっとしながら、パンをかじった。


☆☆☆

 物語の喪失。
 言い換えれば、〈敵〉の不在。
 日常の中に、深く紛れ込んでしまった怨嗟は、その行き場を知らない。
 もしかしたら、おれがラズリーに期待していたのは、〈物語の復権〉を希求しているが故なのかもしれない。
 とか、格好良く言い切ってしまいそうになるおれは、ただラズリーに会いたいだけだった。白昼夢の現実化が、象徴ではなく具体的にそのまま現前するのならば、おれは満足だった。
 ……が、希求して昨日スタジオに突進していった結果、おれは夏期講習に来た途端、スルフルとメルクリウスの二人に問い詰められることとなった。
 いや、問い詰めるわな、そりゃ。おれだって向こうの立場だったら問い詰めるよ。
「ろ、ろ、ろ、ろ、ロリコンの方なんですね!」
 メルクリウスが目をくるくる回しながら、ロリコン呼ばわりする。
「いけませんね、非常にいけません。ロリコンはビョーキです。はい。ビョーキなのですよ、島崎さん」
 スルフルは静かな声で、おれに詰め寄った。
「ラズリーちゃんのことを、どこで知りましたか? ラズリーちゃんのことです」
「話せば長くなるが……」
「八月です八月です八月です。今日から八月なのです。ですからぁ、夏は男と女を熱くさせる一夏の、一夏の思い出がラブアフェアー」
 メルクリウスは、なにか暴発しているが、それをきっかけに、おれは口をつぐむことにした。どうせ夢の中で出会ったとか言ってみても、寒々しいにもほどがあるからだ。
 スルフルは言う。
「今日はもう火曜日。夏祭りは日曜日。練習も、あと一週間を切っているっていうのに。昨日はあれから練習にならなかったんですよ。あと、今度の日曜日、六日が本番なんです。……ひばりさん、くるるさん、蝶子さんらからは聞いてないのですか、なにも?」
「うん」
「ひばりさんは、島崎さんはサボテンみたいな奴って言ってましたよ。サボテンって」
「サボテン」
「触ろうとするとトゲが刺さるし、植物のように動かない。でも、人間の言葉は理解できるらしい、って。それで、サボテンって」
「うまい比喩だな」
「うまいとかうまくないとか、そういうことを言っているのではなく」
「あたし、サボテンは好きじゅる」
 背後を振り向く。この声。忘れるはずもなかった。
 振り向いて、その場に立っていたのは、壱原ラズリーだった。いや、そのはず。
「壱原ラズリー……で、名前、合ってるんだよな?」
 これまでのすべての文脈を無視して、聞いてしまう。
「如何にも。あたしが壱原ラズリーじゅる」
 ツインテールに、赤と黒のチェック柄のスカート。よくわからん外国語の入ったシャツ。
 その出で立ちで、なぜかラズリーは、「うむうむ」と頷きながら、夏期講習の教室にいた。
「飛び級でここにいる、というわけでもなさそうだな」
「飛び級ではないじゅるが、トビウオのアーチをくぐってここにいる、じゅるる……」いまいち よくわからない。この状況が。
「おまえが島崎じゅるね」
「そうだ」
「ひばりが行ってみろっていうから来たじゅる」
「だから、おれを知っているのか」
「否!」
 ラズリーはおれのことをなめるような視線で見てから、おれを指さした。
「おまえ、島崎があたしのペティのモデルじゅる」
 ペティ?  今、ペティと言ったか?
「それはテディベアの」
「おや。知ってるじゅるね。そうじゅる。知ってて当然じゅる」胸を張るじゅるる娘、ラズリー。
「ペティのモデルは〈雨月市小学校銃撃事件〉の犯人である島崎、おまえをモデルにしているじゅるよ!」
「?」
 今、なんと言った、こいつは。
「聞こえなかったみたいじゅるね」
「聞こえなかったんじゃなくて……おまえ今、なんて言った?」
「何度でも言うじゅるる。島崎、おまえが〈雨月市小学校銃撃事件〉の犯人で、ペティのモデルになったんだじゅる」
「はぁ?」
 まさかこれも白昼夢じゃないよな。
 これ、現実だよな。
 意味がわからないぞ。
 おれが、あの事件の犯人?
「だから、あたしもよく知っているんじゅる。実名報道はされなかったものの、あたしの四年間も、おまえが奪ったんだから」おれは小説のことを考えた。
 素人の書く小説の九割方は、そのストーリーすら判断できないような代物らしい。
 破綻している、ということだろう。
 そして今、おれの中の物語は、破綻した。
 言い換えるなら、〈物語が喪失〉した。


☆☆☆


 歯止めがきかなくなった。
 塾の机や椅子を蹴り倒し、おれは叫ぶ。
 窓ガラスに拳を叩きつける。痛いとは感じない。数秒遅れて、手から血がだらだらとしたたってきた。
 異常に気づいた塾の講師たちが来て飛びつき、おれの身動きを封じる。
 おれはもがきながら叫び続けた。
 そこに、ぴょこぴょこと歩いてラズリーがやってくる。
 おれの顔をのぞき込むとラズリーは、ポーチから出したジュースの瓶で、おれの頭を思い切り叩いた。
 砕け散るジュースの瓶。
 またも一瞬遅れて流れ出る血。
 鼓動が激しくなる。血管の脈動。その血の流れのポンプ。床にこぼれる血液に、おれは立ちくらみし、それから、脱力した。
 講師たちが離れても、もうおれは暴れることはせず、いつの間にか救急車が到着し、車に乗せられると、おれは眠りに就いた。
 おれの八月は、気が触れるほど、暑くて、熱くなり、我を失ったところから始まったのである。
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