第3話
文字数 2,221文字
1カ月ほど前、僕は十四高祭の企画でマサイ族の仮装をした。コスプレ写真館というクラスの出し物で、客と店員が仮装をして記念写真を撮るというコンセプトだった。僕は見た目がケニア人っぽいという意味の分からない理由でマサイ族をすることになったのだ。本当はアニメのキャラクターのような王道がやりたかったが、他の仮装がやたら筋肉質な国民的青色猫型ロボットやウィンタースポーツのスケルトン、さけるチーズなど脈絡のない案ばかりだったので妥協した。
槍と盾のせいなのか、マサイ族は門番がよく似合うとのことで僕は店の入り口に立ちっぱなしになった。僕は写真館の撮影にはほとんど関われなかったが、門番でよく目立ったため通りすがりの生徒に一緒に記念撮影を求められることが多かった。十数人規模の女子の集団に撮影を求められた時はこれが僕の高校生活のピークとさえ思った。その中に鵜ノ森さんはいなかったが、何かしらのきっかけで彼女に知られたのだろう。鵜ノ森さんに知られるようになった今となっては、マサイ族であったことを心から誇りに思う。
「そうか君もマサイ族好きなんか」と言って僕の肩に手を置いたのは、先ほどのスーパーアンカーだった。「今日の君の担当やから。よろしく」
スーパーアンカーに促され教室に入ると着前まで鵜ノ森さんが使っていたらしい席が空いていた。自由席とは言え、そこでその席に座って鵜ノ森さんの残した香りとぬくもりを堪能するほど僕は変態ではない。ただ、その時間帯は空いている席自体が少なかったので、致し方なくその席を使うことにしたのだ。
そして僕はこの塾に通うのは運命だと確信した。
このように塾通いを始めた僕は、2年生では成績が等比級数的に急上昇し、部活でもレギュラーからエースへと成長し、そしてごく自然な流れとして鵜ノ森さんと親しくなり校舎横の桜並木でお花見デートするという、既視感しかない希望を抱いて春を迎えた。
「抱いた希望は希望のままか」
模試の結果を片手に堀木はため息交じりにそうつぶやいた。堀木の希望云々というのは芳しくない模試の結果を指して発せられたのだ。
かく言う僕も2年生の春が来て、校舎横の桜の花が散り、初夏になっても成績は停滞し、部活ではなかなかレギュラーになれていない。鵜ノ森さんとは塾の授業の入れ替わりで時々挨拶するまでに発展したが、それ以上発展する気配は皆無だ。
ただ、塾で鵜ノ森さんを見かけるようになってからいくつか発見もあった。
第一に意外に人付き合いがいいことだ。例のロビーでの激辛カップラーメン試食会に参加している姿を何度か見かけたことがある。
「うわっ、これは辛そう!」
「食べてみる?食べるで。食べるで?」
「早よ食べや」
「はい、あーん」
「あーん、ってなんでやねん!」
そんなベタなやり取りで周りの生徒と一緒に笑っていたりする。
見た目から涼しげな印象を受けるのでクールな性格と思っていたが、大きな声を出して笑うこともあるのは意外だった。それに鵜ノ森さんほどの美人だと嫉妬から女子のグループで孤立して、バレエシューズに画びょうを入れられたり、机の上に花が飾られたり、みたいな陰湿ないじめに遭っていそうと勝手に想像していたが、本当はずっと人懐っこく、誰とでも打ち解けられる性格のようだ。
また、リーダーズのチューターとも仲が良いらしく、よく立ち話をしているのを見かける。
「この前も授業ではみ出しててさぁ」
「例のはみ出し刑事?」
「そうそう、そしたら何て言ったと思う?」
「えー、何、何?」
「『はみ出すことを恥じるのではなく…、』」
「何の話してるの?」
その会話にスーパーアンカーが参加することもある。個別指導教室は二階だが、彼は図書を借りるためによく一階に下りてくるのだ。
「今、ガールズトークで恋バナしてるんです。聞かないでください」
ただ、大抵は軽くあしらわれているので、スーパーアンカーは塾内カーストの最底辺と見ている。
どうやらリーダーズは十四高の卒業生で、鵜ノ森さんの姉と同級生のようだ。鵜ノ森さんに姉がいるなんて想像したこともなかった。聞くところによるとなかなか破天荒な性格らしく、大学で食用昆虫を研究するサークルを立ち上げて、休日は野山を散策しているようだ。だが、僕にとって重要なのは鵜ノ森姉妹の妹の方である。
「今年の夏祭りに誰か誘う予定あるん?」
「妹の方」
「やめろ」
「堀木妹ちゃうわ」
夏祭りとは8月初旬に開催される市民祭のことだ。駅前市街地の大通りを締め切って踊りやら太鼓やら山車やらを披露する。商店街では屋台が軒を連ね、普段にはないにぎやかさがみられる。塾の立地なら夏期講習の前後に夏祭りを見に行くことも簡単だ。むしろ夏祭りを避けて塾に行くことが困難である。そうなると、あわよくば鵜ノ森さんを誘って、とも考えたくなる。
「お前、夏休み何か予定あるん?」
「合宿と夏期講習やな。今のところ」
「夏期講習って塾の?」
「そう」
「塾、楽しい?」
「ささやかながら喜びは感じている」
「なんやそれ」と堀木は呆れていた。
「誰かあてがあるん?」
僕の心理を読み取ったのか、堀木が嬉しそうに尋ねてきた。
「希望はある。でも、あくまで希望やしな…」
ほとんどかなわない希望について語りながらも僕は含み笑い堀木を見せた。
「希望があるなら思い切って、清水の舞台から飛び降りろよ!」
「いや・・・、できたら市民文化会館の舞台くらいの高さがええな」
「なんやそれ」
槍と盾のせいなのか、マサイ族は門番がよく似合うとのことで僕は店の入り口に立ちっぱなしになった。僕は写真館の撮影にはほとんど関われなかったが、門番でよく目立ったため通りすがりの生徒に一緒に記念撮影を求められることが多かった。十数人規模の女子の集団に撮影を求められた時はこれが僕の高校生活のピークとさえ思った。その中に鵜ノ森さんはいなかったが、何かしらのきっかけで彼女に知られたのだろう。鵜ノ森さんに知られるようになった今となっては、マサイ族であったことを心から誇りに思う。
「そうか君もマサイ族好きなんか」と言って僕の肩に手を置いたのは、先ほどのスーパーアンカーだった。「今日の君の担当やから。よろしく」
スーパーアンカーに促され教室に入ると着前まで鵜ノ森さんが使っていたらしい席が空いていた。自由席とは言え、そこでその席に座って鵜ノ森さんの残した香りとぬくもりを堪能するほど僕は変態ではない。ただ、その時間帯は空いている席自体が少なかったので、致し方なくその席を使うことにしたのだ。
そして僕はこの塾に通うのは運命だと確信した。
このように塾通いを始めた僕は、2年生では成績が等比級数的に急上昇し、部活でもレギュラーからエースへと成長し、そしてごく自然な流れとして鵜ノ森さんと親しくなり校舎横の桜並木でお花見デートするという、既視感しかない希望を抱いて春を迎えた。
「抱いた希望は希望のままか」
模試の結果を片手に堀木はため息交じりにそうつぶやいた。堀木の希望云々というのは芳しくない模試の結果を指して発せられたのだ。
かく言う僕も2年生の春が来て、校舎横の桜の花が散り、初夏になっても成績は停滞し、部活ではなかなかレギュラーになれていない。鵜ノ森さんとは塾の授業の入れ替わりで時々挨拶するまでに発展したが、それ以上発展する気配は皆無だ。
ただ、塾で鵜ノ森さんを見かけるようになってからいくつか発見もあった。
第一に意外に人付き合いがいいことだ。例のロビーでの激辛カップラーメン試食会に参加している姿を何度か見かけたことがある。
「うわっ、これは辛そう!」
「食べてみる?食べるで。食べるで?」
「早よ食べや」
「はい、あーん」
「あーん、ってなんでやねん!」
そんなベタなやり取りで周りの生徒と一緒に笑っていたりする。
見た目から涼しげな印象を受けるのでクールな性格と思っていたが、大きな声を出して笑うこともあるのは意外だった。それに鵜ノ森さんほどの美人だと嫉妬から女子のグループで孤立して、バレエシューズに画びょうを入れられたり、机の上に花が飾られたり、みたいな陰湿ないじめに遭っていそうと勝手に想像していたが、本当はずっと人懐っこく、誰とでも打ち解けられる性格のようだ。
また、リーダーズのチューターとも仲が良いらしく、よく立ち話をしているのを見かける。
「この前も授業ではみ出しててさぁ」
「例のはみ出し刑事?」
「そうそう、そしたら何て言ったと思う?」
「えー、何、何?」
「『はみ出すことを恥じるのではなく…、』」
「何の話してるの?」
その会話にスーパーアンカーが参加することもある。個別指導教室は二階だが、彼は図書を借りるためによく一階に下りてくるのだ。
「今、ガールズトークで恋バナしてるんです。聞かないでください」
ただ、大抵は軽くあしらわれているので、スーパーアンカーは塾内カーストの最底辺と見ている。
どうやらリーダーズは十四高の卒業生で、鵜ノ森さんの姉と同級生のようだ。鵜ノ森さんに姉がいるなんて想像したこともなかった。聞くところによるとなかなか破天荒な性格らしく、大学で食用昆虫を研究するサークルを立ち上げて、休日は野山を散策しているようだ。だが、僕にとって重要なのは鵜ノ森姉妹の妹の方である。
「今年の夏祭りに誰か誘う予定あるん?」
「妹の方」
「やめろ」
「堀木妹ちゃうわ」
夏祭りとは8月初旬に開催される市民祭のことだ。駅前市街地の大通りを締め切って踊りやら太鼓やら山車やらを披露する。商店街では屋台が軒を連ね、普段にはないにぎやかさがみられる。塾の立地なら夏期講習の前後に夏祭りを見に行くことも簡単だ。むしろ夏祭りを避けて塾に行くことが困難である。そうなると、あわよくば鵜ノ森さんを誘って、とも考えたくなる。
「お前、夏休み何か予定あるん?」
「合宿と夏期講習やな。今のところ」
「夏期講習って塾の?」
「そう」
「塾、楽しい?」
「ささやかながら喜びは感じている」
「なんやそれ」と堀木は呆れていた。
「誰かあてがあるん?」
僕の心理を読み取ったのか、堀木が嬉しそうに尋ねてきた。
「希望はある。でも、あくまで希望やしな…」
ほとんどかなわない希望について語りながらも僕は含み笑い堀木を見せた。
「希望があるなら思い切って、清水の舞台から飛び降りろよ!」
「いや・・・、できたら市民文化会館の舞台くらいの高さがええな」
「なんやそれ」