第2話  2001年初夏  

文字数 2,919文字

 マニラのカトリック教会で挙げた結婚式から半年が過ぎ、市役所での入籍手続きや入国管理事務所での在留資格取得など面倒な手続きにずいぶんと時間を要したが、2001年初夏、大滝達也はようやく妻となったエリカを成田空港に出迎えた。すっかり日焼けした顔をほころばせながら近づいてきたエリカと、周囲の視線を気にしながらも軽い抱擁を交わし短い言葉でねぎらう。
 「長旅お疲れさま、とうとう日本にやって来たね。」
 東京と横浜で一年前のセブ島以来となる第二のハネムーンを過ごした二人は、新幹線で仙台に戻った。エリカにとっては一年半ぶりの地であるが、今度は達也の嫁としてである。
 結婚前の三年間、仙台に住んでいたエリカにとって日本語でのコミュニケーションに不自由はなく、近隣との付き合いにもすぐ馴染むことができた。そのため、普段の日常生活で妻が外国人であることを意識させられることはほとんどなかった。父方が中国系のため、顔立ちも日本人とそれほど違っているわけではない。普通の夫婦と同じように、一緒に国内旅行やおいしいものを食べに行ったりして新婚生活を楽しんだ。ただ普通の日本人妻と違うのはやはり、本国の母親を経済的に支援しなければならないという特殊事情であり、そのためエリカにはすぐにでも仕事を探す必要があった。
 前回の滞在期間中、仙台市内の大病院で入退院を繰り返していた実姉の看護という名目で在留資格を与えられていたエリカは、本国への仕送りのため水商売のバイトをしていた経験がある。実は達也と知り合ったのもその時期なのだが、戸籍上の正式な妻となった今、まさか元の仕事に就かせるわけにはいかない。
 そこで達也が思いついたのはフィリピンの公用語である英語力を生かし、外国人英会話講師としての仕事はどうだろうか、とのアイディアである。達也は市内にある英会話教室を電話帳から拾い出し、片端からエリカに英語で問い合わせをさせた。しかし外国人の英会話講師といえば、英語を母国語とする欧米人と相場が決まっているこの業界で、好き好んでフィリピン人を雇ってくれるところはなかなか見つからない。
 ところが幸運なことに、全国で子ども英語教室を展開するある大手企業で面接のアポイントメントをとりつけることができた。なるほど子どもに英語を教える仕事なら、英文法などはそれほど厳密でなくても構わないだろう。子ども好きのエリカにはうってつけかもしれない。
 第一印象が肝心と考えた達也は、面接に備えてエリカにスーツを新調してやることにした。日本人が、フィリピン女性と聞いて抱くイメージは、当時は水商売くらいしか思い浮かばないのが普通であるので、馬鹿にされてはならないと考えてのことである。エリカはそんな達也の期待に見事に応えた。採用が決まったのである。
 これで世間の体裁を気にせず、英会話講師の仕事に就く妻として周囲にも紹介できる。週に二~三回程度の不定期な勤務ではあったが、願ってもない仕事に就くことができたエリカは傍目にも活き活きとして輝いて見えた。ハロウィンやクリスマスパーティといったイベント時には、新幹線で秋田や福島などへの出張があり、報酬もパートの仕事としては結構な好待遇である。そんなエリカを達也も応援する気になり、寒いところへの出張のためにと、カシミヤのコートをプレゼントしたりもした。

 東北の地、仙台も冬支度に入ったその年の師走、夏場に着工していた待望の新居が完成し引っ越すことになった。新居で生活を始めるには何かと出費がかさむ。新たに家計の負担となる毎月の住宅ローンをはじめ、家が新しくなれば家具や家電製品なども新調したくなる。一方でエリカはその頃、英会話の仕事で毎月10万円ほどの収入を得るようになっていたのであるが、食費や光熱費をはじめ家計の分担を負うことはなかった。自分で自由に使える小遣いがそれだけあれば、普通の日本人主婦と比べて、金銭的には相当に余裕があったはずである。毎月3万円程度だというフィリピンの母親への仕送りがあったにしてもである。
 しかし達也は、エリカが自分で働いて得た金銭の使い道を敢えて詮索するようなことはなかった。夫婦であっても、自分の収入はそれぞれが管理すればよいと考えていたのである。その一方で、普通の家庭のように給料を渡して家計を任せることもしなかった。光熱費や住宅ローンなど固定費の支払いはすべて達也の銀行口座からの自動振替になっていたのと、食費は週に一度、近くのスーパーでまとめ買いをすることにしていたので、その時にお金を渡すということで済ませていたのである。だがエリカとしては、周りの日本人主婦のように家計を任せられなかったことに不満を抱いていたようであり、そのことを度々、口にしたこともあった。

 もし家計をエリカに任せるようなことになれば、すでに50代を迎えていた達也が老後のために備えるべき貯蓄も、すべて本国に送金されてしまうのではないかとの強い警戒心があった。
 思い返すのは、マニラのカトリック教会で二人が結婚式を挙げた時のことである。幾多の戦火を潜り抜けてきたた奇跡の教会ともいわれるサン・オーガスティン教会は、スペイン統治時代に建てられた建造物がそのまま保存され、その教会群は世界遺産にも指定されている。マニラ大聖堂と並び、フィリピン富裕層の独身女性が、そこで結婚式を挙げることに一度はあこがれるという、格式の高い教会である。
 挙式のための簡単なブリーフィングを受けた後、達也は日本人司祭に案内され由緒ある教会の中を見学した。そして人気のない部屋で司祭は、前日に事務所で対面していることから打ち解けた口調で話しかけてきた。
「大滝さん、この教会でフィリピン女性と式を挙げた日本人はこれまで数多くいます。しかし、その後それらの人たちがみんな幸せに暮らしているかというと、残念ながらそうではありません。
 一番大きな問題は、お金にまつわるトラブルです。フィリピン女性が日本人と結婚したときから、親兄弟を始めとして周りの親戚たちも、豊かな国、日本からの仕送りを期待します。家族意識の強いフィリピンではそれが普通と考えておいてください。
 ただし、過分な金銭援助は絶対に禁物だということを心しておかないとたいへんなことになってしまいます。私が相談を受けたある日本人男性のケースではフィリピン人の嫁さんから言われるがまま本国への送金を続けた結果、気の毒に一千万円もの負債を抱え、最後は離婚するしかなかったというものでした。」
 あの時の忠告が脳裏に焼き付いていて、夫婦間の財布を完全に分ける今のやり方こそがフィリピン妻と円満に暮らしていくための最善のルールなのだと信じて疑わなかったのである。
 と同時にエリカから生活費の協力が見込めない以上、達也の年齢からして二人の間に子どもを設けることは無理だという婚姻当初からの考えも変わることはなかった。
 家計を巡るエリカの不満や、同居する達也の母親との嫁姑間の小さな衝突はあったにしても、それが夫婦関係を脅かすほどの大きなトラブルとして表面化することもなく、結婚生活は無難に続いていくかに見えた。
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