第1回:アカネはメンドクサイ

文字数 1,676文字

 なんとメンドクサイ女なのだろう。

 今日は雲ひとつないとまではいかないがよく晴れている。駅を出て入り組んだ住宅街を歩く。こうして歩くことには慣れた。アカネの住んでいるベージュ色のやや小ぶりのマンションへは、土地勘がなければ判らなければ道に迷う。私も地図なしで行けるくらい憶えるまでには少し苦労した。最初のうちは地図アプリのお世話になっていたくらいである。
 無事たどり着いて、オートロックの玄関をカギで開けて館内に入った。カギはアカネから渡されているから、呼び出す必要はないのだ。
 エレベーターに乗ると住人に出くわすおそれがある。そうなるとどうにも落ち着かないので、階段であがる。アカネが住んでいるのは三階なので、汗水垂らさなくとも階段で行けなくはない。
 アカネの部屋の前でようやく、ボタンを押してアカネを呼び出した。そこから十秒もする間もなく、ドアの向こう側に気配がし、カギをガチャッと鳴り、開く。
「わぁー」
 アカネはインターフォンで応答することもなく出てきた。約束にはなっていたから、来たのは私だろうと踏んだのだろう。オートロック共用玄関だとはいえ、いささか不用心な気はする。
「わぁー!」私も同じように返した。
 しかし『わぁ』とはなんだ、と思うだろう。が、これも二人の間では挨拶である。『こんにちは』や『やぁ』だけではなく。――アホなのだ。
「もぅっ、オートロックんとこで呼んでくれたらえぇのにー」
「いや、アレやんか、カメラに写りとうないから……」
「なにをいまさらゆうてんの。押さんでももう、防犯カメラに撮られまくりやで」
「まぁせやけど……せやなぁ……」

 こうして毎週、土日休日になると修業が始まる。

 * *

 アカネと出逢ったのはそれほど最近のことではない。

 アカネはかつて、アイドルだった。とはいっても、マイナーなアイドルグループの一員にすぎないが。持ち前の可愛さと面白おかしさと、そこそこ高身長なのが取り柄で、飛び抜けては美人というわけでもなければセクシーな体型でもない。歌も巧いわけではなくて、大阪弁のしゃべりの面白さでカバーしていた。グループのなかではオンリーワンの存在感があるので重宝されていたようである。しかしこのグループ、活動していてもほとんど儲からないらしく、テレビ出演なんてほぼ皆無だったし、クローズドな営業活動だけでは厳しいらしく、公開のイベントやなんやでファンを地道に増やしてファンクラブで籠絡してたくさんお金を貢いでもらうビジネスモデルだった。そんな三流アイドルだったが、アイドルなんて華やかに見せかけていても、多くはそんなもんである。
 ここは東京。私は同郷のアカネをつい(いと)おしく思って、もう顔見知りだし握手もしたしなのに、しょっちゅうファンレターを書いて「かわいい」「好きや」と送りつけていた。アカネからも、バースデーカード(これはファンクラブ特典である)やらなんやかんやで、「ひーちゃんの笑顔がステキです!」とか「ひーちゃんは優しいから、アカネは大好きです(ハート)」とか書いて来た。そんなふうに私のことを喜んでくれるアカネだったが、それも商売だからかもしれなかった。ホンネは、内心では、どうだかわからない。
 貧乏なアイドルだから、プレゼントを贈ったことも数えきれない。私自身も富裕層でも高所得者でもないから、そんな高級品は買えないが、むしろ役に立つものを、と思ってプレゼントしていた。実際、シャネルやカルティエなんか見せびらかしていたとしたら分不相応だろう。アカネはそれほど売れっ子の芸能人というわけではないし、キャバクラとか風俗営業でもない。
 伊勢に行ったら佐瑠女(さるめ)神社、京都に行ったら車折(くるまざき)神社、お守りをもらって(買って)渡したりもした。こういうものは現地に行くのが本来だが、花園神社ならまだしも、東京から京都や伊勢になんて、貧乏人には気軽に行けるものではない。たとえていえば受験生になら、湯島には行けても、北野や大阪や太宰府(だざいふ)にはすぐには行けないから買ってきてあげる、そんなところである。

 ある休日、勢い余った。

〈つづく〉
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