常連客

文字数 1,169文字

 夜になると、いつもの顔ぶれが集まってくる。狭いカウンター席で、いつものように会話が飛び交う。
 
「私ね、この頃外出するのが苦痛なの」
 
「人混みが苦手とかかい?」
「確かに家は落ち着くからな」
「でも、閉じこもるのはよくないぜ」
 
「いいえ、そういうわけじゃないの。どこへ行っても、そこで働いている人たちがいるでしょ? それが目につくと、自分だけ遊んでいるのが悪いようで、ちっとも楽しめないの」
 
「バカだなあ。遊びに来てくれて、飲み食いをしてくれる客がいるからその人たちの仕事は成り立っているんじゃないか」
「そうだよ、そんな風に思うヤツなんていないよ」
「俺なんか、金を払っているんだから、その分は十分楽しませてもらうぜ」
 
「それはわかっているわ。でもどうしても気になっちゃうのよ。同じ歳くらいの女性が料理を運んでくると、子どもを抱えて働いているんじゃないかしらとか、年配のおじさんが清掃作業をしていると、年金暮らしでは苦しいんではないかしらとか」
 
「そんなこと言い出したら、キリないよ。保育園に子どもを預けたら、その保育士にも家に帰れば子どもがいて、プライベートでも育児に追われているだろうとか、入院したら、看護師は家庭があるのに夜勤で大変だろうとかってことになるだろ?」
「いちいち働いている人たちのことなんてふつう考えないよ」
「やっぱ、おまえおかしいぜ」
 
「そうかもしれない、でも、そんな感じでどこへ行っても、相手に悪いような気がしてしまうの……」
 
「君ってさあ、働いている人を気の毒だと思ってないか? 人は生き生きと働いているのが一番だと思うよ。健康で働けるということは、むしろ羨ましがられることだと思うけどな」
「俺もそう思う。仕事の後の一杯はたまらないよ。俺なんか、あの一杯のために働いているようなもんだけど、それはそれで幸せだよ」
「そうそう、早く週末が来ないかなあと思うけどさ、毎日が休みだったら暇でたまんないぜ」
 
「たしかに言われてみればそうかもね」
 
「そうさ、子どもの頃、よく言われただろう? 良く遊びよく学べ、って。それと同じさ。ちゃんと働いて、いっぱい遊ぶ、それでいいんだよ」
「その通り!」
「気楽に行こうぜ!」
 
「さあ、そろそろ寝ようかな」
 
 
 消灯時間はとっくに過ぎている。私は長い入院生活の中で、ある楽しみを作り出した。それは夜、心の店に訪れる常連客と、健康な自分になったつもりで、会話を交わすことだった。こんな他愛もない話をするだけだが、何の変化もないこの空間に新鮮な風を吹き込んでくれる。
 家族の元へ帰れる日まで、彼らと楽しい夜を過ごそう。そして、彼らに祝福されてこの病室を後にするのだ。その日を夢見て、私は今夜も眠りにつく。きっとその日は近い。

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