第三章 佐原由紀子(六)

文字数 916文字

 一年の月日が流れた。
 由紀子は久しぶりにスポーツセンターを訪れた。さっそくバスケの練習場へ行くと懐かしい音が聞こえてきた。そして中を覗くと、あの頃と変わりない光景が目に飛び込んできた。すると、由紀子に気づいた梨田が足早に近づいてきた。
「ずいぶんと久しぶりですね、あれから一年くらいたちますかね?」
「そうですね、もうそのくらいになりますね。その節は家まで送っていただいてお世話になりました」
 コートの中の浩太が気づいて、由紀子に手を振った。由紀子も笑顔で手を振り返した。
「今日もおひとりですか? それともご主人はトレーニングルームの方ですか?」
「ひとりです。というか本当のひとりです」
「はあ?」
「離婚したんです、主人とは」
 その言葉にひどく驚き、梨田は慌てて言った。
「えっ! ちょっと待ってください、まさか僕があの時、余計なことを言ったからなんてことはないですよね?」
「ええ、そうです!」
「それは、参ったなあ、あれは――」
 由紀子は梨田の困った表情を見て、柔らかな笑みを浮かべて言った。
「嘘ですよ。自分で決めて、主人ともよく話し合った末のことです。でも、梨田さんがおっしゃったことが引き金になったということは否定できませんけどね」
「それが困るんですよ。あの後どうにも気なって浩太に様子を見に行かせたら、変な伝言を持ち返ってきて、ますます気になってしまいました」
「あの時の浩太君との会話が、私の背中を押してくれたような気がします。主人といるとどうしても甘えが出てしまいます。主人と離れてみてこの一年、自分なりにがんばってみました。大変なこともありますが、生まれ変わったみたいな自分に満足しています」
「でも、何も離婚までしなくても……」
 由紀子から、先ほどまでの柔らかな表情は消え、真剣なまなざしを向けて梨田に言った。
「お話していませんでしたが、実は私がこの体になった原因の一端は主人にあるのです。ですから、一緒にいる限り、主従関係みたいなのがお互い絶ちきれないのです」
 それを聞くと、梨田は黙ってしまった。そして、しばらくしてこう告げた。
「練習が終わったら、少しお時間いただけますか?」
 
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