消費者ダニーの憂鬱 第3部

文字数 3,367文字

 消費者ダニーの憂鬱 第3部 

 タチバナから何とか逃げ出した俺は、腹が減ったのでマンガが沢山あるラーメン屋で安いラーメンを食いながら、島耕作課長と京都の勝子が逢瀬している様をじっと読んでいた。もし、俺がサラリーマンなら、そろそろ課長くらいになって、料亭の女将としっぽりしけこんでいてもおかしくない。熱心にマンガをじっと読んでいると、物語に心を奪われて、さっきまでタチバナに追われていたことが嘘のように思える。そこで池上からメールが届いた。「団長、ももやんは死にました。大佐は生きています。入院しました。僕は取り調べを受けています。団長も来てください。タチバナは捕まっていません。服とバットは捨ててあったようです。殺されるかもしれないので、警察に来てください。それが嫌なら落ち着くまで逃げてください。とりあえず、消費者団は解散ですね。さようなら。」
 スマートフォンに映し出された文字をじっと何回も読んでみた。そこに書いてある自分の関わった物語に没頭しようと試みたが、無理だった。ただ、黒い鳥に狙われるような、ひどく落ち着かない気持ちになった。タチバナは藪下の予言のとおり、黒い鳥になってしまった。あいつにはそういった素質、才能みたいなものがあったのだろう。ただ、殺意のある黒い鳥は厄介だ。鋭い嘴で目や喉を突いて、皮膚を引き裂き、本気で殺す攻撃してくるだろう。そう思うと、途端に残りのラーメンが冷め切ってしまい、とても食べられるものではなくなった。命を狙われているという緊張感に胃液がせり上がり、受け付けないのとは違う。黒い鳥を恐れてはいなかったが、すっかり白けてしまった。とにかく面倒に感じられたのだ。そのうち、タチバナのことを考えるだけでひどく腹が立ってきた。
店を出ると日差しは暑く、風は涼しかった。しかし、道路の向こうは陽炎が立ち込め、街が蜃気楼に歪んでいるように、遠くに感じられた。ポケットに手を突っ込むと、体温で温められた藪下式パイソンがその存在感を圧倒的に誇示していた。黒い鳥を狩ることができるという安心感が確かにあったのだ。藪下の気持ちが良く解った。改造拳銃が、武器がもたらす、心の安定。殺される前に、殺すことができる安心感。暴力が自分の中では公認を得た。黒い鳥の監視から解放された気分にもなったが、社会から疎まれ、薄暗い四畳半の部屋で昼間から屈んでいるような、隔離された孤独も感じた。
タチバナが出没しそうな場所を考え、東区のショピングセンターに移動した。移動手段はバス。バスに揺られているうちに、自分が、何もせず、行先への到着をじっと待ってバスの椅子に座っているのが、何より好きなことに今更ながら気が付いた。どうせなら、バスに乗って遠くに行きたい。車窓を流れる見たことない景色を考えるだけで嬉しくなってくる。さっそく、夜行バスの予約をスマートフォンで済ます。
「広島駅北口発、二十一時、ペンギン観光交通社。格安チケット、二千五百円から!まだ席有ります!東京行。朝七時着。眠っている間に東京へ!ディズニーランドへのアクセス楽々、スカイツリーもすぐに行けます。」
文が並んでいるが、文章になっていない紹介を見て、価格の安さに納得した。バスの椅子なんて、どうせ眠れるようなものではないだろう。しかし、眠る必要はなかった。これまで、もう、十分、眠っていた。あとはバスに乗り込むだけだ。計画は、おぼろげながら、ずいぶん前から考えていたものを実行しようと思う。
平日昼間のショッピングセンターには、人はまばらで、グレーとか茶色のファッションセンスに身を固めた枯れた老人か、亭主から見放されている肉付きのいい、一部分がヘンテコなファッションセンスの主婦しかいない。みんな、明るくて広い清潔な店内を、つや消し塗装されて輝きを失った目で、栄養過多の体を支えきれず、ぶっ壊れた膝のせいで痛み激しく、のろのろした足取りで、店内を見れば見るほど損したように、ひどくつまらなそうに、行き先を失った回遊魚のように阿呆みたいにフラフラ回っている。衣類コーナーで繊維に興味があるわけでも、特別な知識を持ち合わせているわけでもないのに、意味もなく服の布地を触ってみたり、一人きりでその布地に「もう少し滑らかにならないものかしら?」なんて一端の評価を下したりして責任ある消費者のフリをする。老人たちは食品を今日食べる分だけ、ちょっとだけ買って、店の中央、テレビが置いてある広場のベンチに知らない老人たちと並んで座って、テレビを見ている。ゆっくりと静かに下降するエスカレータで降臨する皇帝のように胸を張って、まばゆい照明を浴びて、地上に降りながら吹き抜けのある中央広場に集まる老人たちを見下ろしていると、徳三じいさんのことを思い出した。数年前、じいさんは歩けるうちは雨が降っても寒くても毎日ショッピングセンターに通っていた。そこで、濁った目で確認出来る、知り合いではない知った顔に会って、生存を確認し、安心したりしていた。たまに俺も着いていくことがあった。一日中、じいさんを観察していたが、生態としては、開店から夕方まで一日をかけて買い物するわけでもないのに、隅から隅まで回って、昼は298円のお弁当を買って、広すぎるフードコートで食べて、吹き抜けのある広場の長椅子に座り込み、黙ってテレビを見て、うつらうつらして、最後にパンとか小さな牛乳程度の食品をほんの少しだけ買って帰る。文句など言うこともなく、ちゃんとお金を使って、店員に威張り散らすこともなく、優良な消費者としての行動を繰り返していた。
そんな老人が今日も、たくさんショッピングセンターに集っている。無気力な顔して、それしかすることが無いように、諦めた買い物を続けている。何人かは知り合いがいるんだろうけど、みんな、気の毒なぐらい、孤独だ。血が凍えるぐらい一人っきりだ。昔の商店街がどんなものだったかは知らない。たぶん、あんまり物も揃ってなくて、怠け者の暇な店主と、その家族が食いっぱぐれない程度の値段が乗っかっていたんだろう。たいしたことが無かったんだ。でも、今は、大きな清潔な店には、なんでも揃っているし、店員も勤勉で、値段もずいぶんお求め安くなっている。しかし、黒い鳥は飛び回り、人が人を恐れている。人と人が引き離されている。何が原因でそうなっているのか、どうしても説明できないが、とにかく、みんな、消費者に押し込められている。これを買えば幸せになると洗脳されている。黒い鳥は誰が生んだ?ベンチに座る老人たちは黒い鳥の影に怯えることは無い。不服そうに買い物する寂しい主婦は、黒い鳥に慣れてしまって、やっぱり怯えてなんかいない。
エスカレーターが一階の広場に着くと、ベンチに座った老人たちと同じ高さに立つことになった。同じ高さに立つと、頭上の高い天井ばかりが気になり、自分の置かれた場所が分からなくなる。ただ、昼間から太陽光の入らない店内は、電気の光に溢れていて、太陽の下と同じぐらい明るい。消費者は、その明かりの中にいるのが、大好きだ。
タチバナはこんな大勢の中、俺を殺すことは出来ないだろう。黒い鳥だって、そうだ。たくさんの知らない消費者に囲まれて、身の安全を、感じたが、俺は、どうしても、許せなくなった。苛立ち、腹が立ってきた。老人たちと並んでベンチに座りながら、余りにも口惜しくて、とうとう、我慢できずに、泣き出してしまった。これはタチバナに対する怒りでも、黒い鳥に対しての慄きでも、優良消費者の不甲斐なさでも、未来の無い自分に対する情けなさでもない。あるのは決められた苛立ちだった。こんな大勢が集まる場所で、一人ぼっち、寒くもないし、暑くもない、必要なものは揃っていて、何不自由も無い。仮に文句を言えば、誰かが「より良く」を目指し解決してくれる。こんなに完全で、むかつくことがあるだろうか?

そうこう言っているうちに、バスの車窓、向かっている空が明け始めた。もうすぐ東京に着く。俺は消費者の代表として、消費者が消費者でないことを証明する。聞いてくれた皆の衆、俺が起こした事件に、後から色々、意味をつけようとするだろうけど、前にも言ったが、後からつける意味に、意味は無い。あるのは、確実な消費だけだ。了
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み