マリアが見る破滅の影

文字数 5,309文字

子羊が七つの封印を開封する(6章-8章5節)

第一の封印:白い馬。勝利の上に更に勝利を得ようとして出て行く(6:1-2)

第二の封印:火のように赤い馬。戦争をもたらす(6:3-4)

第三の封印:黒い馬。飢饉をもたらす(6:5-6)

第四の封印:青ざめた馬。死をもたらす(6:7-8)

第五の封印:殉教者が血の復讐を求める(6:9-11)

第六の封印:地震と天災(6:12-17)

神の刻印を押されたイスラエルの子ら(7:1-8)

大患難を通り、子羊の血で洗った白い衣を着た大群衆(7:9-17)

第七の封印:しばらく沈黙があり、祈りがささげられる(8:1-5)

七人の天使がラッパ(トランペット)を吹く(8章6節-11章19節)

第一のラッパ:地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼ける (8:6-7)

第二のラッパ:海の三分の一が血になり、海の生物の三分の一が死ぬ (8:8-9)

第三のラッパ:にがよもぎという星が落ちて、川の三分の一が苦くなり、人が死ぬ (8:10-11)

第四のラッパ:太陽、月、星の三分の一が暗くなる(8:12-13)

第五のラッパ:いなごが額に神の刻印がない人を5ヶ月苦しめる(9:1-12)

第六のラッパ:四人の天使が人間の三分の一を殺した。生き残った人間は相変わらず悪霊、金、銀、銅、石の偶像を拝んだ(9:13-21)
…………
…………
「黙示録」より


「おはよう!」
リビングに降りると詩乃と瑞希がもうテーブルについていた。
「よお!」
片手を上げて応える詩乃。
「おはよう!お姉ちゃん」
笑顔で返してくる瑞希。
奥のソファーにはパパが座って朝のニュースを観ている。
ニュースでは17歳病の死亡者報告が流されていた。
あれを見ると陰鬱になる。
パパがテレビのスイッチを切ってこっちに来た。
その表情にはどこか苦悶があった。
「さあ、朝食をいただきましょう」
神尾先生が務めて明るく言った。
朝食をとり始めて間もなく詩乃が口を開いた。
「別にパパのせいじゃないんだから気にすんなって」
神尾先生が詩乃の顔を見る。
私と瑞希はパパの顔を見た。
「ありがとう詩乃。だがそういうわけにもいかないんだよ。17歳病と言われている病気の謎を解くことが仕事なんだからね。だが研究は遅々として進んでいないのが現状だ」
パパは穏やかに言った。
私は、パパの仕事は私たちの日常に貼り付いた死を減らすことだと思っている。
原因不明の病気を克服すること――
いや、原因を究明するだけでもどれだけの人が得体のしれない不安から解放されることか。
尊く意味のある仕事だと思った。
「でもそれはパパのせいじゃないよ。こんなクソ病気の責任なんて誰にもないんだから」
「私もそう思う!」
詩乃に続いて瑞希も言った。
「そうだな…… せめて原因の手掛かりだけでもわかれば違ってくるんだがね」
原因不明。
発病の因果関係も不明。
ただ共通点は一つだけある。
発病者は都市部――
人口の多いところに限定されていた。
そして17歳であること。
この二つだけが世界中で共通していることだった。
「大丈夫!パパの研究はきっと実を結ぶって!ねえ!」
「ええ。そのとおりよ」
私がふると神尾先生も笑顔でうなずいた。
「ハハハッ、なんだか朝から愚痴を聞いてもらったみたいで悪いな。さあ、せっかくの朝食が冷めてしまう。みんなで神様に祈りを捧げよう」
パパは笑顔を見せると両手を合わせて目を閉じた。
私たちもそれに倣う。
白神先輩は主、神様には感情がないと言った。
愛もなにもないと。

だけど……
そんな神様でも私達人間をお造りになったのだから。
自分が創造した命を――
もし私達を見てくれているのなら――
こうした祈りも届いて……
もしかしたらパパの研究に御力をお貸ししてくれるかも。
だって人のために、世界のために頑張っているのだもの。
そう思わずにはいられなかった。
でも私達の平和な日常はここまでだった。
残酷な運命が私達人間に、この世界のすべての人間に降りかかるなんて私は知る由もなかった。
死神の鎌はすぐ後ろまで迫っていた……
後ろに地獄を引き連れて。


二月になった。
朝食を終えると三人で学校に行った。
いつもの見慣れた美しい風景。
鳥のさえずり。
暖かい日差し。
その日は雲一つない青空だった。
学校に行くと出迎えてくれる友人の笑顔。
予鈴が鳴ってみんな席に着く。
一日の始まりだ。
一限目が始まって30分くらい経った頃、窓際の席にいた私はふいに差し込む陽射しが陰ったのを感じた。
何気なしに外を見る。
いつの間にか雲が空を漂っていた。
そして三限目が終わるころだった。
「あっ…」
窓の外を見た私は思わず声が漏れた。
それは異常な光景だった。
空の雲が、まるで地上に押し迫ってくるように低く幾重にも重なっている。
重なり合った雲は太陽の光を遮る。
その隙間から差し込む陽光が、この不気味な空を神秘的なものに見せていた。
「これは…なに!?」
教室の窓から空を見上げた私は思わず声を出した。
「わからない… でも怖い…」
となりにいる美羽が私の腕を強くにぎる。
教室は一種、異様な雰囲気に包まれていた。
いや――
多分、この空を見た人、見える場所はみんなこんなふうだろう。
不気味で、怖くて、まるで心臓を何かに鷲掴みにされたような感覚。
「大丈夫だ。ただの雨雲だろ」
私の後ろにいた詩乃が言った。
「でも…」
「恐がることないって」
詩乃の言葉にうなずいたものの、目の前の空から目がはなれない。
「ホラッ! 授業するぞ!!席につけ!」
先生が手を叩きながら言うけど誰も窓際から動かない。
「先生、これって休校じゃん?絶対おかしいって」
誰ともなく上がった声。
「バカ言ってるな!授業はやるんだよ」
「マジ!?絶対おかしいって」
「おいおい、授業やるのかよ?」
みんな口々に文句を言いながら席に戻ろうとしたとき。
「あっ…」
美羽が空を見上げながら声を漏らした。
私も一緒に空を見る。

雨だ。
空を覆い尽くす黒い雲から静かに降り注いでくる。
雨がぽつぽつと窓にあたっている。
「なにこれ?黒い…」
窓にあたって滴る水滴は黒く濁っていた。
席に戻りかけたみんながまた窓の側に集まる。
今度は先生も。
みんな無言で見ていた。
霧のように降り注ぐ、黒く濁った雨を。

その日の夜。
テレビでは黒い雨について語っていた。
ここだけじゃなく、世界中が同じように空が雲に押しつぶされ黒い雨が降っている。
テレビに出ている専門家は世界中で降っている雨は人体に影響のあるものではないと繰り返し強調した。
「なあ?あの雨って結局なんだったの?」
夕食の席で詩乃が誰にともなく聞いた。
「テレビでも言ってるでしょう?害はないって。単なる汚い雨ってことよ。念のためにお父様が研究所に行ってるじゃない」
神尾先生が詩乃に、いや、私たちに対して言った。
あの雨のせいでパパの姿は夕食のテーブルにはいない。
丘の上の研究所に残って、あの雨が人間や自然環境に影響がないか調べている。
「でも気持ち悪いよね」
瑞希がサラダをフォークでつつきながら言う。


次の日になっても雨は降り続けた。
その次の日も。
学校に行くときにながめる川面は雨水のせいでどす黒く濁っていた。
流れもどこか鈍くてまるで油のよう。
「ほんとに鬱陶しい雨だよな」
歩きながら詩乃が言う。
「どう見ても体に悪そうなんだけど」
瑞希が傘の下で体を小さくしながら言った。
「なんかテンション下がるよね」
私は自分の中にある得体の知れない不安を振り払うように明るく言った。
「だよな」
詩乃も苦笑いしながら応える。
不安。
不吉な雨は激しくもなく、ただ静かに降り続けている。
まるで大地に染み込むように。
それが却って不気味だった。
私達の中にも侵食してくるようで…
あれほど綺麗と感じた通学中に見る川面の景色は消えてしまった…
下校時に見る夕焼けも今は無い。
私達の景色は変わってしまった。


4日目になり雨は止んだ。
なんだか久しぶりに青空を見たきがする。
窓を開けてみると空を覆っていた黒雲は断片的に残ってはいるけども小さい塊が間隔をおいてぽつん、ぽつんとあるだけだった。
久しぶりに気持ちのいい朝を迎えた。
「おはよう!」
「オッス」
「おはようお姉ちゃん」
リビングに降りていくと先に来ていた詩乃と瑞希が手を上げて応えた。
「久しぶりに綺麗な空ね」
朝食を並べながら神尾先生が言う。
「ほんと!空だけじゃなく私もスッキリしたみたい」
パパの席だけが空いている。
「お父様は今晩お帰りになるわ。さっき連絡が来たから」
「良かった!」
私が席に着くといつものように神様にお祈りを捧げて朝食を食べた。
神尾先生がテレビを点けると朝のニュースが流れていた。
4日ぶりの快晴についてキャスターが笑顔で話している。
そして芸能人の結婚やサッカーの試合、普段通りの何の変哲もないありふれたニュースが画面から語られた。
朝日を浴びながらいつものように3人で歩いて行く。
「なんか変な臭いしねえ?」
詩乃が気がついた。
「ほんとだ。臭い」
瑞希が顔をしかめる。
「これって魚?なんか生臭い」
私が言うと2人がうなずいた。
嫌な予感がした。
不気味な雨が止んで、青空が顔を出していつものような綺麗な景色が戻ってきたと思っていたのに。
なんだろう?この予感は。
嫌な気持ちのまま3人川沿いの道に出たときだった。
「ああっ…」
瑞希が呻くように声を漏らして立ち止る。
私も詩乃も立ち止った。
目に写った光景は私達から言葉すら奪った。
そこには無数の死骸があった。
川に浮かび流れてくる魚や動物の死骸。
死臭が風に流されて拡散される。
さっきの異臭はこれだったんだ。
川の水は灰色に変色している。
きっと黒い雨水のせいだ。
「なんだよこれは…?」
詩乃が川面を見渡して言う。
「お、お姉ちゃん!詩乃ッ!」
瑞希が足下を指さして言った。
「ああっ!!」
声を発した私は思わず自分の口に手をやった。
足下――
地面に生えている雑草はほとんどがどす黒く変色して枯れていた。
草に隠れて虫の死骸もたくさんある。
学校まで続く川沿いの道を改めて見渡してみた。
灰色の死骸を浮かべた川。
枯れ草色の土手。
「おい。いこうぜ」
詩乃が私と瑞希に言う。
でも知らない間に脚がガクガク震えて歩きだせない。
何が起こったの!?
どうしてこんなことが!?
何かが起きている。
私達の知らないところでとても恐い何かが。
得体のしれない恐怖が足下からじわじわと這い上がってくる気がした。
私達は終始言葉をかわすことなく無言で歩いた。
死の景色の中を。
学校に着くと話題は今朝の光景のことで一色だった。
「マリア!あれ見た!?」
私が教室に入ると美羽が駈け寄ってきて聞いてきた。
「うん…」
「あれってやっぱ黒い雨のせいなのかな?」
「わからないけど… そう思う」
テレビでは黒い雨は害がないようなことを言っていた。
私もそれを聞いて安心していた。
多分みんなも。
でも、今朝の光景を見てしまったらとてもそうは思えない。
「オイ!日本だけじゃないみたいだぜ」
固まっていた男子グループの誰かがスマホを持った手を高く上げて言った。
周囲のみんなが群がる。
私と美羽は窓際からその環を眺めていた。
「こっちにも載ってるよ」
詩乃と純が私達の側に来て、詩乃が画面を見せてくれた。
画面は投稿サイトだった。
そこには投稿された写真や動画がのっていた。
日本だけじゃない、いろんな国から投稿されている。
そうだ……
あの雨は世界中で降ったんだ。
黒い雨が原因なら世界中で同じようなことが起きてておかしくない。
コメントには「黒い雨のせいだ」って書かれてある。
じゃあ、どうしてテレビでは何も言ってなかったの!?
「これってヤベ―ンじゃね―の?」
「世界終了とか?」
「でもテレビじゃなんも言ってなかったよ?」
「隠してるんだろ?テレビで言ってみろよ?大パニックだぜ」
「でもネットで見れるんだし」
クラスメート達は画面を見て口々に騒ぎだした。
「騒ぎすぎでしょう。だいたい雨の成分だって解っていないのに」
純がニッコリとして言う。
「じゃあ純は、あの黒い雨は関係ないって言うの?」
「それは解りません。ただ今騒いでもなにもならないってことです」
私が聞くと純は騒いでいるクラスメートを見ながら静かに言った。
「たしかに純の言う通りかもな。騒いでもしょうがないって」
詩乃がスマホをポケットにしまいながら言った。
教室内の騒ぎをよそに始業のチャイムが鳴る。
普段通りの日常を告げるチャイム。
でも世界では普段通りでないことが起こっている。
そのギャップが滑稽を通り越して異様にも感じた。



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