親友のミーナ1

エピソード文字数 3,514文字

 今度は明るい日差しの中で、エステルは目を覚ました。

「エステル! 気が付いたの!?」

 ハシバミ色の巻き髪が、フワリとエステルの視界を覆う。エステルは柔らかな体にぎゅっと抱きしめられた。ならず者に嗅がされた甘ったるい香りではなく、春の訪れを告げる花のような優しい香りがする。その香りは、どこか懐かしい。

「え? ミ……ミーナ?」
「そうよ。私よ、エステル!!」

 エステルの目をのぞき込んだのは、一カ月前から行方が分からななっていた親友の、優しい焦げ茶色の瞳だった。

「エステル……。もう二度と会えないと思っていたのに、こんなところでまた会えるなんて……」

 再びミーナはぎゅっとエステルを抱きしめた。エステルもミーナを抱きしめる。

「私もだよ、ミーナ! 本当に会いたかった! いったいどこへ行っていたの⁉」
「どこって……。あ……!」

 ミーナはエステルから体を離した。いつもならえくぼができる丸い頬も、なぜかこわばっている。
 ミーナは言いづらそうに、唇をきゅっと噛む。

「エステル……、ここは後宮。いいえ、正確に言うと王のお召しをまだ受けていな女たちが教育を受けるための『準備の館』よ」
「後宮? 準備の館?」

 ゆっくりとミーナは頷く。

「そしてここはあなたの部屋」
「私の部屋?」

 エステルは今までに見たことがないほどの華美な部屋にいた。服飾の大店の娘であるミーナの部屋よりも高価そうな調度品で整えられ、寝ているエステルにかかっていた薄掛けは絹のようだ。その事に気が付いたエステルは、口をパクパクさせる。

「そうよ、エステル。あなたは後宮狩りにあって、今朝早くにここに連れてこられたの。新しい人が連れてこられたって聞いて、少しでも落ち着くようになぐさめに来たらエステル……あなたがいたの」
「後宮狩り……」

 その言葉をつぶやいた途端、捨てるの漆黒の瞳に炎が宿る。

「あああ!! あいつ……、あの後宮狩りめ! 今度あったら、絶対に許さないんだから! あ! あの肉屋のヨハン! あいつも同罪よ! 私を後宮狩りに売ったんだから! 今度は鶏肉じゃなくて、牛肉をサービスさせてやるわ!!」

 顔を真っ赤にして叫ぶエステルに、ミーナはポカンとした顔を向ける。

「ヨハンが誰だか知らないけれど、そんな軽い罰でいいの?」
「だって、ヨハンは恋人のためにしたことだから……」

 ヨハンのしたことをミーナに話し、だから気持ちも分からなくない、と唇を尖らせるエステルに、ミーナはプッと噴き出した。

「さすがエステルね!」
「そ、そうかな?」
「ええ。本当にすごいわ。後宮狩りにあった人が最初にここで目が覚めた時は、みんな半狂乱なのよ。それなのに、いつもと変わらないなんて」

 ミーナは「本当にすごい」と、もう一度繰り返した。しかしエステルは首を振る。

「そんなことないよ。私だって叔父さんの待つ家に帰りたい気持ちでいっぱいだよ!」
「モルデカイね……」
「うん。こんなことになって絶対に叔父さん心配してるもん! 家に帰らなくちゃ!」

 ミーナは残念そうに首を振る。

「ここは後宮よ。そう簡単には帰れないわ」
「帰れない……?」

 エステルは、モルデカイと話したことをハッと思い出した。

「そうだ! ハタク!!」
「え?」
「ハタクだよ! ハタクが後宮の宦官になっていれば、私をここから出して、叔父さんの待つ家に帰してくれるはずだよ!」

 ミーナはきょとんとした顔をした後で、鬼のような形相で人差し指を唇に当てて「し――――ー」とした。そしてエステルの部屋のドアを少し開け、窓の外をのぞき込んで誰もいなかったのを確認して、肩の力を抜いた。

「ど、どしたの? ミーナ」

 ミーナは怖い顔のまま、エステルがいるベッドによじ登り、二人の頭から絹の薄掛けをかぶせた。

「え?」
「し――!」

 ミーナはエステルと拳一つ分しか離れていないところで、声をひそめた。太陽はまだ高く、絹の薄掛けの中では、まろやかな陰影がつくが顔は見える。ミーナの顔は真剣そのものだった。

「『後宮から出る』とか『家に帰る』なんて言っちゃだめよ。いくらここが準備の館だとはいっても、後宮は後宮。脱走は、死罪ださ。その気があるっていうだけで、処罰されちゃうんだから」
「し、死罪!?」
「し――!!」

 エステルは、青ざめた顔で口を押さえた。後宮の女が外に出られないのは知っていたが、まさか脱走が死罪だなんて知らなかったのである。

「後宮は王の女が住む世界だもの。そこから逃げようなんて言えば、王に反逆したものだってみなされちゃうの。だから絶対に言っちゃダメ」

 エステルは口を押さえたまま、コクコクと頷く。

「それにエステル。宦官だけは絶対に信用しちゃダメよ!」
「え? どうして?」
「後宮の宦官をとりまとめる人が、シャアシュガズ様っていう方なんだけど、いったいいつから後宮にいるのか、誰も分からないくらい長くいて、裏も表も知り尽くしている後宮の裏の主なの」

 ミーナはさらに声をひそめて「年老いてしなびた猿」と呼んだ。

「シャアシュガズ様は残忍で、陰険で、最大の楽しみが、女たちをいたぶること! そのためにいつもペットの豹を連れて歩いているの。それで宦官たちは点数稼ぎのために、女たちの悪い噂をシャアシュガズ様に密告するっていう話だわ!」

 ミーナがこの準備の館にいた一ヶ月の間に、すでに三人が宦官の密告でシャアシュガズによって処分されたのだという。

「ね、だから絶対に宦官なんか信用しちゃだめ!!」
「で……でも」

 短い間だけとはいえ、一緒に過ごしたハタクが自分のために密告をするような宦官になったとはエステルにはとても思えなかった。

「信頼できる宦官がいるとしたら、ヘガイ様だけだわ。別の意味でシャアシュガズ様より厳しい方だけど……」

 その人は、準備の館の司なのだという。

「じゃあ、ハタクは……」

 ミーナは首を振った。

「そういう名前の人は、後宮にはいないわ」
「そう……」

 八年前、後宮の宦官になるのだと言っていたハタク。宦官になるのをやめたのか、それとも宦官になるための手術は危険だと聞くから、もしかして……。
 エステルは不吉な想像を、首を振って追い払った。

「あ……もしかしたら……」

 何かを思い出したのか、ミーナが上ずった声を出す。

「何? 何か思い出したの?」
「宦官は後宮にいるだけじゃないの。少ないけれど王宮にもいるのよ」
「王宮!? 宦官って後宮の仕事だけじゃないの?」
「昔は後宮と王宮を行き来する連絡役みたいな役職だったんだけど、今の王様は優秀宦官を自分付きの文官にしているそうよ」

 八年前、少年だった時でさえ、国のあり方やこうあるべき未来についてまだ七歳のエステルに分かりやすく語ってくれた。そんな優秀なハタクならきっと王様付きになっているに違いない、きっとそうだ、とエステルは思った。

「でも残念ながら、私が来てからこの一カ月、一度も王様は後宮に来たことがないわ。多分、その前からずっと。だからきっとこれからも。だから、その宦官も……」
「そんな!! それじゃ、私はハタクに会えないって事⁉」

 ミーナは肩をすくめた。

(ハタクが王様付きなら、直接王様に私を街に帰すようにお願いしてもらえると思ったのに!!)

 さすがにミーナにあれだけ忠告されただけあって、声にはせずに心の中の叫びだけで我慢した。声に出さなくても、ミーナにはちゃんと伝わっている。同情的な視線を送られた。

「なんで? なんで後宮にこないの?」
「分からないわ。後宮がお嫌いなのかもね」

 急にミーナは、イタズラするときのように目が輝いた。

「こんな噂があるわ。王様は女じゃなくて同性の方がお好みなんじゃないかって。だから後宮には来ないんじゃないかって」
「は?」

 それならそれで、後宮の中にいても身の安全は確かそうだとエステルが安心した瞬間に爆弾が落とされる。

「そのハタクって人が、王様の恋人なのかもね」
「ええええ!!」

 やっぱり家に帰りたいと思う、エステルなのであった。

ふと、エステルは気が付いた。

「王様が後宮にこないなら、なんで後宮狩りまでして、女を集めているのかな?」
「……それもそうね。気付かなかったわ。なぜかしら?」

 二人で首をかしげる。しかし、いくら考えても納得がいく答えは見つからなかった。



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