メット

文字数 1,998文字

私がテレビの前で正座していたのは、気象学会の研究所だった。
「台風14号は熱帯低気圧に」
夏の恒例となった台風の報道如きに釘付けになっていたのは、中継付近に住む友人の心配をしていたわけではない。映像の中にあの男が、また現れたからだった。私は押し入れから過去の台風報道に関するカセットを改めて数本見直した。やはりいた。思い込みなどではなかったのだ。同じ背丈、同じ服装の男は、決まって台風の目となった町の中継映像に必ず現れた。カセットには、古いもので20年以上前の日付が記されていた。どの映像の中にもその男はまざまざと姿を見せ、傘もささずに立っていた。夏の夜風は急な胸騒ぎや好奇心を掻き立てる。異常気象の原因解明・追求・対策が学会での仕事だった私は、居ても立ってもいられなくなった。朝方には14号が九州に上陸しようとしていた。速報が親切に避難勧告を伝えてくれたが、私は車を出し熊本に向かった。

インターを降りた頃には、ちょうど台風の目の圏内に入ったのか街は静まっていた。近年の豪雨の経験した市街地は閑散としていて、役所の避難放送だけが響いていた。宛てもなく飄々と車を走らせる中、報道陣の群れを発見してはその付近をうろついてみた。だが、あの男はいなかった。そのうち、だんだんと威勢を増す台風に追われ、私は近くのホテルに駆け込んだが、部屋でテレビを付けて目を疑った。張り詰めた表情のキャスターの奥で、あの男は冷たい表情を浮かべ、釈然と立っていたのだ。

学会に戻った私は、必然的に映像に入り込む男が台風発生の鍵を握っている、という仮説を立て論文を発表した。想定外だったのは、全国の気象学者があの男を認識していて、多くの賛同の声が集まったことだった。聞けば彼らも現地に足を運び、空振りした経験があったようだ。論文は地方記事に小さく上がると、ネットニュースが囃し立て、テレビでも報道されるようになった。瞬く間に全国から目撃情報も上がり、私が映像で視認した男の容姿が幻などではなかったことが証明された。あるテレビ局で組まれた特番で、男の名を台風の目の英訳-the Man with Eyes of Typhoon-に因んで“メット”(MET)と名付けると、国民共通の敵の名として全国的に普及した。同時に、気象学者たちは引手数多になり、番組に出演を重ねた。いつしかメットの存在こそが台風発生に起因しているという仮説は、メットの消滅が台風の消滅に繋がっていると、日本中の誰もが信じて疑わなくなった。

メット消滅作戦が学会で議題に上がってから、政府に認可されるまでそう時間はかからなかった。作戦は二段階で組まれた。まず、冷却作戦。メットの現れる台風の目付近の温まった上昇気流を、爆撃機から冷却弾を投下し上昇する寸前に冷却する。次いで、炸裂作戦。同地点に核爆弾を投下し爆発させ、台風を消滅させる。台風の勢力維持に欠かせない海水温度の冷却は議論にならなかったが、難を見せたのは台風の目が及ぶその驚異的な範囲だった。メットの出現場所が掴めないため、台風の目の範囲全域、すなわち最大で直径200㎞の円の上空で作戦を実行する必要があった。作戦内容を公表すると、国の後援によって莫大な研究資金と16,000もの爆撃機が作戦に加担することになった。

作戦公表の翌年、巨大台風接近の報道が流れた。伊勢湾台風のおよそ4倍の勢力を帯びた台風の上陸だったが、学会にとっては待ちに待った来訪だった。満を持して、作戦は決行された。8月9日の白昼だった。

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「メット消滅作戦から二年が経った今日、ここ長崎市で失った故郷の追悼式が執り行われました。」
長崎市上空で大量投下された二種類の爆弾は、当時過去に類を見ない脅威を奮おうとした巨大台風を見事に鎮圧した。だが、およそ40%の土地をえぐられた街は、二度と人間の住むことのできない場所に化け、事前に想定されていた再開発が着手することはなかった。作戦前は躍起になって避難した住民たちの間では、故郷のあられもない姿を目の前にして集団自決が相次いだ。近隣の知事たちは不能な土地の保有について押し付け合いが始まり、作戦を認可した大臣は重罪となった。報道では後の祭りを知らないコメンテーターたちが学会を嘲笑した。作戦以降、台風が日本をを襲うことはなかったが、メディアや著名人たちは作戦の成功を称賛するどころか、台風の消滅は短期的な異常気象によるものだと主張しはじめた。メットなどはじめからいなかった。

台風被害による人々の負の感情がこの国に蓄積し、偶然気象学者だった私の目に、あの男を映しただけだったのだ。作戦が終わってみれば、自分の仕事とは何だったのか。どこから世界にとってただの一点であった私を狂わせ始めたのか。監獄の中で、私は奥の食堂から垂れ流される報道の音声に耳を傾けた。
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