第5話:偶然がふたつ重なれば、それは神の悪戯。

文字数 5,451文字

 戦争や格差の話をした後、ミザリイは口数が少なくなった。
 おれに対して気分を害した訳では無いと思うが、如何せんまだ彼女の人間性を把握出来て無いだけに、下手な話題を避けて上辺の会話を続けていたら、とうとう会話が切れ部屋が沈黙に包まれた。
 仕事で客と世間話をする時は、野球やサッカー、テレビや映画の話などで重苦しい空気になるのを避けて来たのだけれど、今この状況でそれらの話題を提供するのは見送った方が良いだろう。
 その手の話は、もう少し打ち解けてからの方が会話が弾むだろうし、戦争や格差の話で盛り下がった状況では「興味が無い」と一蹴されてしまうかもしれない。

 その間、彼女はまめに湯を沸かし茶を飲み続けていた。
 夕食は食べないが、水分は沢山とるのか。それは彼女や魔女特有なのか、この世界特有なのか。
 だから、そう言う話題を振ればいいだろう?と思うが、一度(つか)えてしまった言葉は、中々口から突いて出てくれなかった。
 その上、質素ながらも温かいスープを腹に入れたからか、睡魔に襲われつつもあった。
 唯一と言っていい文明の利器は左腕の腕時計で、針は二十時を指している。
 そう言えば、田中さんの赤い工具箱はどうなってしまったのだろうか?
 転移の瞬間には、手に持っていた筈だ。もしかしたら、こちら側に転移した場所にあるかもしれない。

 それはさて置き。
 普段なら、仕事から漸く家に帰り着く頃だ。
 まだまだ寝る時間では無いが、異世界転移をした後に魔女と緊張感のある会話を繰り広げて、少々気疲れしているのだろう。
 目蓋がぴくぴくと動く。
 まだ起きていたい。ミザリイと話して考えなければならない事も沢山あるのだから、と頭を左右に振り睡魔へと抵抗を見せる。
 そのおれの様子を見て彼女は「眠いのか?奥にベッドがある故、寝てもいいぞ」と言って来た。
 口調は、戦争と格差の前の彼女へと戻っている様に聞こえた。
「いつもはこんな時間には寝ないけど、今日は少し疲れているみたいだ」と、おれは言った。
 声を出し、僅かに眠気が飛んだ様な気がしていた。
「その、貴様の左手首に巻いてある物は、只の装飾品では無い様だな」
 彼女の視線は腕時計へと向けられていた。つい先日、おれにしては珍しく大枚を叩いて購入した代物だった。定価で言うと十五万くらい。
「おれの世界ではもはや装飾品に近いけどな。これは、腕時計と言って時間を計るものなんだ」
 そう言いつつ、おれは腕時計を外して、彼女の前へと差し出した。
 それを彼女は手に取り、興味深く観察していた。

「ふむ、これで時間を計るとな?細い針が細かく動いておる。そして、この時計とやらの素材は一体何なのだ?金属にしてはやけに軽い。この硝子の内側の細かい細工も全て金属製なのか?だとしたら、かなりの技術だな。知り合いの彫金職人に見せてやりたい。ん?少し、魔力の波動を感じる。これはもしかしたら……」
 恐らく、この世界にはまだ機械的な時計が発明されて無いのだろう。日時計や砂時計、水時計はあっても不思議ではないけれど。
「その素材は金属だよ。ステンレスかな。錆びない鉄なんだ」
「ほほう、錆びない鉄か。それは素晴らしい。そのステンレスとは、貴様の世界では広く普及しておるのか?」
「普及してるね……」とおれはそこまで口にして、一旦茶を飲み言葉を切った。
 このままステンレスの話を続けると、戦争で使われる兵器の強化目的で研究が進んだことまで話が発展しそうだと思ったのだ。ミザリイは多分、探求心オバケだろうから。
 そして、また気分を損ねられては困ると思い、ステンレスから話をずらす事にした。

「けど、もっと凄いって思うのは、その時計の中身だよ。おれの世界の技術の粋が詰まってるから。精密ドライバーが無いと見せてあげれないけど。それ、気に入ったんだったらあげるよ?」
「ん?あげるとは、この腕時計をか?いやいや、それはならん。私は他者から施しは受けん」
 そう言うと、彼女はおれの目の前へと腕時計をそっと置いた。そしてそのまま話を続ける。
「しかし、その類の物に興味のある人物を幾名か知っておってな、その者たちにその腕時計を見せてやりたいのだが、それは構わないか?」
「それは、全然構わないよ。けどさ、これって完全にオーバーテクノロジーだろう?」
「んん?オーバーテクノロジーとは?」
「ああ、うーん、そうだな、行き過ぎた文明って言うか。本来、この世界の時間の流れだと、この発明は数百年とか千年以上先の未来で起こる出来事だろう?それをさ、おれみたいな異世界からの来訪者が持ち込んだ異物で、時代を早送りしても大丈夫なのかな?って思ったんだ。この時計には、おれの世界の技術の粋が詰まってるから、それをこの世界の技術者とかが研究して、様々な新しい技術がさ、一気に広まっていくのとか、何だか少し怖い様な気もするし。ほら、魔法が権威を有する世界ならさ、そう言う新しい技術って異端視されるって言うか、敵対視される対象では無いのかな?」と、おれは眠気眼を擦りつつも、必死に考えて想いを伝えていた。
 あげると言った手前、今更何を言ってるのだ、と苦い笑みが零れ落ちてしまう。

 ミザリイはおれの話を真面目な顔で聞いてくれていた。時折、頷きおれの意見に賛同する様な素振りを見せつつ語り出した。
「ふむ、そうか、成程。オーバーテクノロジーの概念は理解した。貴様の言いたい事も大体分かる。確かに、その腕時計はこの世界には過ぎた代物だと思う。しかし、私は、貴様が異世界転移してきた事を、貴様自身が否定的に捉える必要は無いと考えておる。これから、貴様がこの世界で生きてゆく限り、必然と、貴様と接する者たちは貴様の世界の影響を少なからず受ける訳だからな。それは私とて例外ではない。貴様の経験や思想に接するだけで、新しい何かを閃き、早送りの様な人生を歩む者も中にはおるかもしれん、が……」
 彼女は長く語る時、一旦話を切って茶を飲む。
 ただ喉を潤しているだけの様にも見えるが、思慮深い彼女のことだから、自らの発言を、口から発する前に入念に精査しているのだろう。
「……しかし、だからとて、それ故に貴様を罰する事は、理不尽が過ぎるというものだ。それは、他の魔女や為政者、教皇など権力を有する全ての者が、貴様を罰する権利を有しておらん。私が貴様を異世界から召喚してしまったのは紛れも無く偶然。貴様が私に異世界転移させられたのも偶然。この世界にはな、偶然がふたつ重なれば、それは神の悪戯、と言う言葉があるのだ。要するに、それを考えると、今貴様が私の目の前にいるのは……ん?ふむ、寝おったか。しかし、座ったまま姿勢を崩さずに寝るとは、中々器用な奴だ。向こうの世界では、それが常識なのだろうか?」




 ――ふと、目を覚ますとおれは見慣れない天井を見ていた。
 ベッドの上で寝いるようだ。質素なベッドだった。マットは無く木の板に厚手の布が敷いてあるだけで、硬く背中が痛い。掛布団もごわごわとしている。
 なんだか妙な長い夢を見ていた……と思いそうになったが、すぐにここが異世界だと思い直した。
 寝起きは比較的良い方だ。取り敢えず、上半身だけ起こした。
 窓から見える外は薄暗い。真っ暗闇では無いので、そろそろ夜が明ける頃だろうか。

 おれは、ベッドのある部屋を見回した。
 本の詰まった本棚があり、動物の角や骨、乾燥させた果物や茸類などが雑然と置いてある。寝室と言うよりか作業部屋か倉庫と言った感じ。
 ごわごわの掛布団を捲ってみる。
 異世界へと来たのだからラッキーイベントとして、同じベッドに裸の金髪美少女が眠っていても不思議では無い、と思いつつ。
 しかし、ベッドはおれが独占していた。
 確か、彼女と腕時計の話をしながら睡魔に負けて……と昨夜の記憶の糸を手繰り寄せつつ、ベッドから下り部屋を移った。

 ミザリイの姿が無い。
 おれがベッドを独占してしまったから、別の家とか小屋とかで寝ているのかもしれないなと思い、然程慌てる事もこの隙に逃げ出してやろうと考える事も無く、昨夜座っていた場所へと腰掛けた。
 喉が渇いていたので、すぐに立ち上がり木の器を手に大きな(かめ)へと向かった。
 甕から水を掬いそのまま飲み干し、もう一度掬って席へと戻る。腕時計は、テーブルの上に置いてあった。
 ぐぐぐ、と強く腹が鳴った。
 そりゃ減って当然だわな、と昨晩の質素なスープを思い出した。
 それから、この家の食材は好きに使っていいと許可を得た事を思い出す。
「そうか、そうだな。自分で作るか。ミザリイからおれの世界の料理作れって言われてたしな」
 そう独り言ちて、取り敢えず茸類の入ったカゴへと手を伸ばした。
 スーパーで売ってる椎茸の様な形の整ったものは無いが、大小様々で色取り取りな毒々しい茸が沢山ある。
 これが普通の一般庶民の家であれば、ヤバい茸なんてそうそう無いだろうと思えるのだが、残念ながらここは魔女の家だった。毒キノコがあっても何ら不思議では無い。
 その他の食材や香辛料や香草類も、見れば見る程怪しいものに見えて来てしまう。
「異世界転移した翌日に、毒キノコ食って死ぬとか、笑えないから、マジで……」
 それで、おれは魔女の帰還を大人しく待つ事にした。
 空腹を、甕の水で誤魔化しながら。

 ミザリイが帰って来たのは、甕の水を五杯飲み切ってから少ししてからだった。
 彼女は、扉を開けると鍔の広いとんがり帽子を取り、全身を包み込むローブを脱いで、また極めて露出度の高いワンピース姿となった。
 改めて、その美しい容姿に見惚れてしまう。これで齢百五十と言うのだから、やはり魔女の能力は侮れない。
「おはよう、ミザリイ。朝の散歩にでも出掛けて来たのかい?」
 おれは淡い欲望を抑え込み、出来るだけ爽やかな声を掛けた。
 彼女は、鍋を火に掛けおれの対面へと腰掛ける。
「散歩の様なものだ。昼間眠りにつく魔獣がおるのでな、毎日朝方に出かけて様子を見に行くことにしておる」
「へえ、魔獣か。支配域を守らせてるんだっけ?」
「うむ、魔紋を刻み使役してな。幻獣は眠らんが、魔獣は普通の獣の亜種だから、昼か晩のどちらかは眠りにつく。それ故、普段は夕方も支配域を一回りしておるのだ」
 そう言い、彼女は茶を器に入れてくれた。例の薄味だが癖になる茶だ。

「あの、昨晩は申し訳無かった。話途中で寝た挙句、ベッドを独占してしまったみたいで……」
「ん?ああ、別に構わん。基本的に、私……と言うか魔女は、殆ど寝んからな。一般の人間の三十分の一程度も寝れば十分。前回寝たのは、確か五日前だったと記憶にはあるが。あのベッドで寝る事も殆ど無い。だから今後は貴様が好きに使え」
 そんなショートスリーパーが長寿でこれ程の美貌を保っているのだから、やはり魔女は凄いんだと思った瞬間だった。
 そしてそれと時を同じく、ぐううう、と激しく腹が鳴った。
 その音を聞き、ミザリイは一瞬目を見開いた。
「ふふふ、なんじゃ貴様?腹に魔獣でも飼っておるのか?」と、彼女は言う。それは何となく、この世界では定番の文句と言うかネタなんだろうな、と察する。そして、取り敢えずそれに乗っかる事にした。
「ああ、腹ん中の魔獣が、何か喰わせろって五月蠅いんだ、さっきからさ。で、何か朝食を作ろうと思ってたところなんだけど、この辺においてある茸とか香草とかさ、食べても平気なものなのかな?」
 おれは、そう言って手を伸ばし、赤色の茸を摘まんだ。

「ふむ。いや、その件なのだが、例えば、今貴様が手にしておる茸は、私……と言うかこの世界では無毒で美味とされておるが、それが果たして貴様にも当て嵌まるかどうか、それは試してみねば分からん。茸だけでは無くて、全ての食材において同じことが言え様。昨晩、私が作った物は大丈夫だったみたいだが、よくよく考えてみれば少々迂闊だったのかもな。貴様が寝てから、さてこのまま死によったらどうするか?と心配しておった次第だ」と、彼女は「心配」と、言葉とは裏腹に平然とした表情でそう言った。
 今更手遅れなのだが、一応ぞっとしてしまう、おれ。
「あの、もしかしてさ、全ての食材で実験って言うか検証しないとダメって事?要するに、致死量にならないくらい少量ずつ試しながら、食べれるものを増やしてゆく、みたいな」
「まあ、そうするのが一番安全だと言えるだろうな。まず初めは、私たち魔女が食すものでは無くて、近隣の集落に住む庶民と同じものを食べた方が良いかもしれん。基本的に魔女は毒に対して耐性がある故、私では参考対象にはならんだろう。しかし、それを考えると、今貴様が飲んでおる茶も危険だったな。これは魔力回復を促す特別な茶なのだ。一般庶民が飲んだら栄養価があり過ぎてか腹を下してしまうのだが、貴様はどうやら平気なようだな」
 おれは、器に残った茶を見詰めながら、自分の命が常に風前の灯火にあるのだと、思い知った。
 取り敢えず、赤色の茸は元の場所へと、そっと置いた。
 そんなおれの気持ちを察する事無く、腹の魔獣は高らかに咆哮を上げていた。



第1章
魔女ミザリイとの出逢い。
END

 
 
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